週 刊 朝 日
休刊になると聞いて,5月30日発行の「週刊朝日」最終号を取り寄せた。この雑誌を買うのは何年ぶりだろう。恐らく50年は超えている。
わたしが大学を卒業するころまで,生家で週刊朝日をとっていたと記憶している。物心ついたころから,大学進学で家を離れるまで,毎週配達されるのを読むのが習慣だった。知識,雑学の源泉だったといえる。特に好んで読み,記憶に残っているのは,吉川英治の『新平家物語』と,徳川夢声がゲストを迎えてする対談だった。
『新平家物語』は,吉川英治独特の言い回しで,なんとなく本物を読んでいるような気分にさせられた。
夢声の対談相手は,文化人,政治家,宗教家など多彩で,いろいろな裏話が聞けて面白かった。名前は不覚にも失念したが,当時の歌舞伎評論第一人者の方の話で,文藝春秋の旨いもの紹介欄に,屋台の鯛焼き屋を紹介したところ,次の日から高級車で乗り付ける人まで出て,大変評判になり,屋台を止めてお店を出すことにした。店の主が,その許しを評論家に乞い,先生のおかげと,鯛焼きを持ってあいさつに来たという。
鯛焼き屋の名前は「わかば」で,四谷見附交差点の近くにあり,東京に出てしばらくしてから買いに行って,その鯛焼きにありつくことができた。なるほどと,週刊朝日の話に納得した。
娘が四ツ谷駅近くの大学に進んで,時たま買ってきてくれた。
数年前,紀尾井ホールのコンサートに行った帰りに「わかば」を訪ねたら,長蛇の列。1時間以上待つと言われてあきらめた。
最終号の話に戻る。見開き1ページ目に,宮崎美子さんの写真が出てくる。1980年1月発行の表紙を飾ったものだ。このころには週刊朝日はあまり見ていなかったが,国立の熊本大学の女子学生という話から,興味をもってどこかで見た記憶がある。表紙の女子大生シリーズの第一号が彼女だったそうだ。最終号に談話が載っているが,週刊朝日だから脱がされることはないだろうと応募したそうである。
シリーズものの思い出記事が出ているが,50年のブランクのあとでは記憶と重なるものはほとんどなく,山藤章二の似顔絵シリーズは覚えている。
特別読切小説として,井上荒野の『日傘をたたんだ日』が載っている。「週刊朝日」を媒介にした,登場人物4人の触れ合いを描いたもので,休刊後のそれぞれの生き方にも触れ,惜別の辞として相応しい逸品である。
そのほか,この雑誌にかかわった人々の感想,シリーズものの思い出,読者からの投稿など,記事はてんこ盛りである。
当分の間,楽しく読ませていただくことにする。
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