羽花山人日記

徒然なるままに

同窓会

2023-06-19 20:06:13 | 日記

同  窓  会

昨日,土浦市にある老舗の料亭「霞月楼」で開かれた,茨城大学農学部育種学研究室の同窓会に参加した。

この会は,研究室初代教授島津斉徳博士の五十五年祭(神式)を兼ねて,島津先生の教え子の方が企画されたもので,島津先生ご子息の柳沢保徳元奈良教育大学学長にもご臨席いただいた。

三代目教授のわたしは。島津先生を学会でお見かけしたことはあったが,直接お話したことはなかった。

薩摩島津家御曹司の先生は見るからに温厚なお人柄で,アサガオの遺伝の研究に従事され,残されたアサガオ品種の蒐集は今も研究室に保存され,貴重な研究材料として,利用されている。49歳の若さで,教壇で急逝された話は今でも語られている。

同窓会には,昭和41年から平成28年までの卒業生,33名が参加し,うち10名はわたしが卒業論文や学位論文のお手伝いをした学生だった。卒業以来初めて,22年ぶりにお会いした方々もいたが,皆さん昔の面影は変わらず,それぞれ立派な社会人として,あるいは母親として活躍しておられるのを見て,しみじみ教師冥利に尽きると感激した。

ただ,悲しいニュースも知った。わたしの恩人の谷口晋先生がこの11日にお亡くなりになっていたことが報告された。また,わたしと一緒に卒業実験をしたA・K君が故人になっていることを名簿で知った。このことは項をあらためて書くことにする。

島津先生および二代目教授小野沢芳郎先生門下の卒業生の方々とも知己を得ることができ,有意義かつ楽しい半日であった。

 

哀      悼

谷口晋先生:6月11日,わたしがご存命を確かめてから間もなく亡くなられた。

東大の研究室で3年の先輩で,1960年代終わりに,2年間ほど助手として一緒に仕事をした。北海道のご出身で,飛び切り頭のいい方だった。当時東大に導入された中型コンピューターの膨大なプログラムをあっという間に書きあげ,膨大なデータから結果を出しておられた。わたしの論文に必要なパラメーターの近似値も,おかげさまで解が得られた。

茨城大学農学部に育種学担当の助教授として赴任された後も,何かとお付き合いがあり,水戸のお宅に家族でお招きいただいたこともあった。

わたしが路頭に迷いかけていた時,本来ご自分が座るべき教授のポストを空け,自らは農業情報という研究室を作ってそちらの教授となり,わたしを招請してくださった。いくら感謝してもしきれない恩人である。

退職後も何かとお世話になった。わたしが学部長に就任した時は,一抱えもあるような真っ赤な薔薇の花束をいただき,カミさんともども恐縮したことは忘れ得ない。

名声や栄誉を嫌い,手取り足取り教えていただいた「ゲームの理論の育種への応用」をわたしに発表させ,名誉教授や叙勲の推戴があった時も固辞されていた。

徹底的な平和主義者で,プーチンの暴挙に腹を立てておられた。

終焉の地は別府市。死に立ち会われたお嬢さんの手で,遺骨は別府湾に撒かれたという。

谷口先生。どうか安らかにお休みください。

 

A・K君:数年前に亡くなられていたという。

平成6年だったと思うが,4年生の時に,卒論作成で育種学研究室を選び,入室した。

柔道部の立派な体格だったが,「気は優しくて力持ち」を絵に描いたような好青年だった。

成田高校の出身で,わたしの母校の前身の松本中学が甲子園に出場した時,成田中学に0対9で一回戦敗退した話をしてからかうと,身を小さくしていた。

巧みな実験で,ヤーコンの葉片を培養して個体を得る実験に成功し,わたしと連名で学会誌に投稿して,採用された。

教員志望で,県の教員試験に失敗したが,臨時教員を続けて望みを達した。きっといい先生になれたのに。

逆縁はつらい。ただご冥福を祈るのみである。

 

STOP WAR!

コメント (4)
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