羽花山人日記

徒然なるままに

思い出のインドネシア

2023-06-25 16:49:01 | 日記

思い出のインドネシア

天皇ご夫妻のインドネシア訪問のニュースを見て,もう半世紀近く前に訪れた彼の地のことを思い出した。

わたしは,インドネシアを仕事で3回訪問している。先ず思い出すのが,飛行機を降りて空港の建物に入った時に押し寄せる,熱気と煙草の匂いである。特に,チョウジ油を混ぜたクレテックという煙草の香りは,インドネシアならではのものである。滞在中に吸ってみたが,うっかりすると病みつきになりそうなので,一度で止めにした。

最初の訪問は1991年の3月で,ちょうど湾岸戦争の最中だった。おかげで飛行機の客席はがら空きで,三つくらいの座席を占領して手足を伸ばすことができた。

インドネシアでは,ジャワ島のボゴールが任務地で,ペンションに滞在した。オーストラリアの人類学者と同宿で,朝飯はいつも一緒だった。会ってお互いに自己紹介が終わると,彼はわたしに「日本語が話せなくてすまない」と詫びた。英語圏の人から,こんな言葉を聞くのは後にも先にも1回だけで,その人柄に感激した。以後,わたしも外国の人と日本語で話す時は,「ごめんね」と思って口に出す時もある。

その時与えられた任務は,インドネシアが世界最大の産出国であるチョウジ(クローブ)の品種整理であった。「ザンジバル」という,導入元の名前がついた品種が主要品種だったが,品種内の分化がはなはだしく,かなり雑駁なものが同一名で栽培されているので,その実態を探るというのが仕事の目的だった。葉のサンプルを日本に持ち帰って,DNAを調べようと当局の許可を願い出たところ,ダメと言う。葉っぱを培養して個体を作ると,チョウジ品種が流出したことになるというのだ。写真を撮るのはと訊いたら,写真は培養できないからと,大真面目に許可の答えを頂戴した。結局,ジャワ島の各地を回って葉っぱの写真を撮り,日本に帰ってから画像解析をしたが,あいまいな答えしか得られなかった。DNA抽出の準備をしていかなかったのが悔やまれた。

わたしは007の映画と小説をいくつか知っているが,その中で,007がアメリカの諜報員とカリブの島で落ち合って,むき身の蟹を手づかみで溶けたバターをつけながら食べる小説のシーンが印象的で,そんなことができるチャンスがあればと思っていた。雑談の中で,そんな話を先遣のJICAチームリーダーにした。ある晩,彼に夕飯を誘われ,海辺の食堂に連れていかれた。待っていると,茹で上がった大きな蟹がテーブルに運ばれてきて,一人で食べていいという。夢かと思いながら手づかみで食べ,007になったような気分を味わった。

途上国はどこでもそうだと思うが,インドネシアでは子供たちが働き者である。熱帯特有のスコールが降り始めると,子供たちは傘を手にして家から飛び出してくる。そして,バスの停留所に行き,雨具を持たない乗客が降りてくると手持ちの傘を差しだし,受け取って傘を広げて歩いていく客の後ろから自分はずぶぬれになりながらついていき,目的地に到着すると傘とお駄賃を頂戴し,停留所に引き返す。みじめには見えない。子供たちは明るい顔を輝かせて,稼ぎに励んでいる。

インドネシアにはいろいろな爬虫類がいるようだが,よくお目にかかったのがヤモリで,ホテルの天井に何匹か張り付いていた。夜中に顔の上に落ちてくると脅かされたが,そんな目には遭わなかった。トッケイと鳴くヤモリがいて,トッケイを何回か繰り返して最後にグルルルルと鳴くそうである。このトッケイの連続を7回聞くと幸運に恵まれるという伝説があるが,残念ながら一回も聞かなかった。

インドネシアは多くの島からなる多民族国家で,600くらいの土着語があるという。民族間で争いが起きないように,マレー語を援用して公用語にしている。世界一簡単な言葉だというが,覚えているのは数単語でしかない。「人はオラン。飯はナシ。菓子をクエ」,オランは人,ナシはご飯,クエは菓子をそれぞれ意味する。

人口は2億7千万人で世界第4位,まだまだ増加の途中にある。資源に恵まれ,多様な文化を持つインドネシアの潜在力は大きいと思う。

親子のお散歩

マンションのベランダからO夫人撮影。

花の向こうに秋が見える

 

STOP WAR!

 

 

コメント (3)
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