羽花山人日記

徒然なるままに

2023-06-09 19:32:47 | 日記

一昨日のブログで紹介した本に,次の小噺が載っていた。

「二人の男が熊に襲われ,一目散に逃げ出した。一方がもう一方にいった。”熊より早く走らなければならないなんて,大変だ” もう一方は言った。”そうかい。僕は君より早く走れればいいんだよ”」

熊を主人公にした小噺を二つ思い出した。

「夫婦が畑で仕事をしていると,熊が現れた。亭主の方は大急ぎで木に登った。女房の方は,逃げ遅れて,死んだふりをしていた。亭主が見ていると,熊は女房の耳元に口を寄せて,そのまま去っていった。亭主が”熊はお前に何か言っていたようだが”と問うと,女房は答えて言った。”あんな亭主とは別れたほうがいいって”」

「北海道のヒグマは,観光地ずれしている。藪の影に身を隠していて,観光客がお弁当を広げるのを見計らって,ウォーっとと立ち上がる。人間が逃げた後,クマは残されたお弁当をゆっくり楽しむ。」

 

夏を涼しく

父の日の贈り物に,息子夫婦がアイデア商品を買ってくれた。

ベストの腰の背中側に,小型の扇風機がついていて,バッテリーのスイッチを入れると,背面に風を送ってくれる。実に涼しい。

これで,この夏の畑仕事が快適である。

 

梅雨の晴れ間に

イワダレソウ

ヒメユリ

ヤナギハナガサ

ノコギリソウ

クリ

 

STOP WAR!

 

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読書備忘(22)禁断の進化史

2023-06-07 16:16:50 | 日記

読書備忘(22)

更科功 『禁断の進化史 人類は本当に「賢い」のか』 NHK出版(電子版)  2022年

週の朝日歌壇に,次のような歌が選ばれていた

「人類は進化の失敗作なのかチャットGTPよ答えよ」 東京都 永谷理一郎様

この問いを横取りして,今日取り上げた本の読者として,私見を述べると:進化にはどのような生物を作ろうとするのかという目的は内包されていない。したがって,進化の結果生じた生物を,失敗作かどうかと問うのは無意味である。(ChatGPT の回答は,末尾に記す。興味のある向きはごらんあれ。)

ちょっと鬼面人を驚かす題名をつけているが,この本の内容は,極めて真面目なダーウィニストによる,まっとうな人類進化についての論説である。

先ず,進化は「存在の偉大な連鎖」ではないという指摘がなされる。

A種はB,Cという二つの種に分かれる。B はそのままとどまり,Cは更に進化して,DとEに分かれ,Eは更に進化する。この繰り返しで連鎖の頂点に人類が来る。

しかし,別れた2つの種の一方だけが進化の道を進むというのは間違いで,すべての種は進化を内包し,チャンスがあれば新しい種に進むのである。チンパンジーの手の指に比べると,ヒトの手の親指は他の4本との対向の度合いが強く,ものをつかみやすくなっている。しかし,対向的な指の構造は,ヒトとチンパンジーの共通祖先が備えていたもので,チンパンジーはヒトと別れてから手の構造を進化させたということで,この点に関していえば,チンパンジーの方がヒトより進化しているということになる。

このことを前提に,人類の特徴である,直立二足歩行,脳の大きさ,小さな犬歯がいつ頃,どのような条件で,どんな過程を経て生じてきたかを,豊富な引用とともに論考している。

例えば大きな脳を可能にした要因として,樹上生活から地上生活に移る過程で,食性は葉から果実に移行し,昆虫食,雑食へと進み,肉食に至って,カロリーの摂取量が増大するとともに,全エネルギーの4分の1に当たる脳の代謝エネルギーを補給することが可能になったと推定できる。

人類による火の使用は100~150万年前にさかのぼるとされるが,火によって住居の安全性が確保され,安眠による知能の発達が促進され,調理によって消化に要するエネルギーが減り,脳で使用可能なエネルギーが供給できるようになった。(ヒト以外の動物が火を利用する例が述べられている。)

ここで,なるほどと思った立論に,人類と植物が共進化してきた可能性があるという指摘だ。裸子植物には大きな果実はつかない。しかし被子植物が生まれて,植物は果実をつけるようになった。この果実は人類やほかの動物にカロリーを提供するが,果実が食べられることによって,中にある種子は動物によって運ばれ,種の存続に寄与してくれることになる。

この本で力点が置かれているのは,「意識」である。一つの章を割いて,「意識」の諸相を議論し,「意識」は必ずしも進化上有利な形質とは言えないと結論している。興味深い例を沢山挙げ,「生きる」と「意識する」の同犠牲を議論し,この章だけで一冊の本が出来上がりそうである。

著者は,ヒトらしい能力は,ネアンデルタール人やホモ・エレクトスにも内包されていたのではないかと推察する。ヒトが農業を始めて永住するようになったのは,ヒトの歴史30万年の内の高々1万数千年前に過ぎず,それは,地球が間氷期に入って気候が安定になったからであって,ネアンデルタール人やホモ・エレクトスがこの時期まで生き延びていたら,ヒトと同じような文化を作っていたのではないかと著者は推論する。

ヒトはたまたま偶然に,繁栄を遂げてきたと言うのが,著者の主張である。

新書版であるが,読みごたえがあった。

参照;ChatGPTの短歌にある問いへの答え

人類が進化の失敗作と言うことはできません。人類は進化の過程で地球上で最も成功した種の一つです。進化は生物が環境に適応して生き残るために起こる過程であり、人類もその過程を経て現在の形に進化してきました。

人類は進化の過程で優れた知能、言語能力、道具の使用、社会的な組織などの特徴を発展させてきました。これらの特徴によって、私たちは他の生物とは異なる複雑な文化や技術を創り出し、環境への適応力を高めてきました。

もちろん、人類には未解決の問題や課題もあります。環境への影響や資源の過剰利用、社会的な不平等など、私たちが取り組む必要のある課題は数多く存在します。しかし、進化の過程は完璧ではなく、進化は常に変化し続けるプロセスです。

人類は進化の過程で多くの成功を収めてきましたが、同時に新たな課題にも直面しています。重要なのは、私たちが進化の過程で得た知識や洞察を活かし、将来の課題に対処するために協力して取り組むことです。人類は進化の過程で学んできた能力を用いて、持続可能な未来を築くことができると信じられています。

 

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繁殖干渉

2023-06-05 19:17:12 | 日記

繁  殖  干  渉

6月2日付の朝日新聞に「繁殖干渉」という用語の解説が出ていた。

本来は交雑することのない別種の間で交尾や受粉が生ずることを言う。近縁の種が混じっている集団でこれが起きると,本来的な交雑が妨げられる。

AとBという種が混じっている集団で,Aの個体数がBよりも多いと,AはA と出会う確率がBと出会うより高いが,BはAと出会う確率の方が高くなる。AとBの間の子どもは育たないか不妊/不稔であるため,次世代でBの数は減少し,世代とともに,Bは集団からいなくなる。

記事では,高知大学の鈴木紀之教授らが観察した例を報告している。ナミテントウはいろいろな植物にいるアブラムシを食べるのに対し,近縁のクリサキテントウはマツの上で特定のアブラムシを食べている。

これは,生態学でいう「食い分け」という,異なる種が異なる餌を食べることによって,種の共存が図られる現象に見える。

しかし,クリサキの食性を観察すと,マツにいるアブラムシより,ナミが食べているアブラムシの方を好むことが分かった。つまり,二つの種の隔離は,「食い分け」では説明できない。

さらに二つの種を一緒にして観察すると,ナミの雌は同種の雄と交尾する傾向が強いが,クリサキの雌はナミの雄を受け入れやすいことが分かった。

つまり,クリサキは繁殖干渉を避けるために住み分けて,おいしくもないマツのアブラムシを食べていることが考えられるのだ。

こうした現象は,他の動物や植物でも存在することが分かってきて,学説の見直しが必要になっているという。

蛇足を付け加える。

植物ではこの異種/属の間の交雑から新しい種が生まれている例が結構ある。

パンコムギは,染色体が42本あり,これは7対の3つのグループに分けられる。そして,それぞれのグループは異なる3つの種に由来することが分かっている。つまり,パンコムギは3つの異なる種の間の交雑から生まれたということなのだ。

自然の中で,こうした異種/属を親に持つ雑種がどのような過程で生じたのかは謎である。しかし同じことがコムギの仲間や,ナタネの仲間にみられる現象で,繁殖干渉が植物の進化の一つの手段となっているといえる。

そこで,自然に起きる異なる種/属間の雑種を人為的に作り出して,品種改良に利用しようとする試みがなされてきた。

この種/属間雑種の成功例としては,ハクサイとキャベツ(甘藍)の雑種のハクラン,コムギとライムギの間のライコムギが挙げられるが,多くの場合は思うように行っていないようだ。

ダイコンとキャベツを交雑して,地下部と地上部が利用できる作物を目指したが,地下部,地上部とも思うようにならなかったらしい。

有名な話だから,ご存知の方が多いと思うが:

ある女優が劇作家のバーナード・ショーに出したラブレターに,「私たちが結婚すれば,あなたの知性と,わたしの美貌を兼ね備えた素晴らしい子供が生まれます。」と書いた。ショーは返事に,「あなたの知性とわたしの容貌を持った子供ができると困る。」書いた

 

アジ サ イ

 

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Arpa Paraguaya

2023-06-03 20:00:14 | 日記

Arpa Paraguaya

今日の『おんがく交差点』(BSテレ東)のゲストは,パラグアイアルパ奏者のネルソン鈴木さんだった。

ネルソンさんは,幼い時にお父さんのドライブでパラグアイを旅行した時に聴いたポルカのリズムに魅せられ,16歳からアルパを練習し始めた。2018年の全日本アルパコンテストで4位となったが,男性のアルパ奏者が彼一人だったため,審査員からスカウトされたそうで,その甲斐あって翌年のコンテストで金賞を獲得したという。

ネルソンさんの1曲目はソロで「Pájaro campana(鐘つき鳥)」。フェリックス・ペレス・カルドーソ作曲の,古典的なアルパ曲の調べに,21年前に別れを告げたパラグアイへの郷愁で胸が一杯になった。

ネルソンさんが2015年に岩手県の津波被災地でチャリティーコンサートをした時,聴衆の中に涙を流している人がいるのに気づき,演奏後その人のところへ行って,つらいことを思い出させてごめんなさいとあやまった。その人は涙をぬぐって笑顔になり,あなたの演奏に感動して涙が出た,ありがとうと言われた。自分の演奏が人の心に届くのだということを知り,嬉しかったという。

好感の持てるとてもいい話だ。

ネルソンさんの着るパラグアイの民族衣装にあわせて,ホステスの大谷康子さんも深紅のスカートに,パラグアイのアオポイというブラウスで登場した。パラグアイを代表するアグスティン・バリオス作曲の「Divagacion」を見事な弓さばきで弾き,はじめて聴く曲だったが,パラグアイらしい雰囲気を感じた。

最後のコラボは,アルゼンチンの曲でラウル・ディ・ブラシオ作曲の「メリッサ」。アルパとヴァイオリンというとても珍しい,そしてとても素敵なアンサンブルを聴かせてくれた。

ネルソンさんの精進と成長を楽しみにしている

大谷さんのHPより拝借

 

水    害

昨日来の大雨で,猫の額のわが菜園は,一丁前に水浸しとなり,作物が水没している。如何ともし難し。水が引くのを待つのみ。

 

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週刊朝日

2023-06-01 16:33:28 | 日記

週  刊  朝 

休刊になると聞いて,5月30日発行の「週刊朝日」最終号を取り寄せた。この雑誌を買うのは何年ぶりだろう。恐らく50年は超えている。

わたしが大学を卒業するころまで,生家で週刊朝日をとっていたと記憶している。物心ついたころから,大学進学で家を離れるまで,毎週配達されるのを読むのが習慣だった。知識,雑学の源泉だったといえる。特に好んで読み,記憶に残っているのは,吉川英治の『新平家物語』と,徳川夢声がゲストを迎えてする対談だった。

『新平家物語』は,吉川英治独特の言い回しで,なんとなく本物を読んでいるような気分にさせられた。

夢声の対談相手は,文化人,政治家,宗教家など多彩で,いろいろな裏話が聞けて面白かった。名前は不覚にも失念したが,当時の歌舞伎評論第一人者の方の話で,文藝春秋の旨いもの紹介欄に,屋台の鯛焼き屋を紹介したところ,次の日から高級車で乗り付ける人まで出て,大変評判になり,屋台を止めてお店を出すことにした。店の主が,その許しを評論家に乞い,先生のおかげと,鯛焼きを持ってあいさつに来たという。

鯛焼き屋の名前は「わかば」で,四谷見附交差点の近くにあり,東京に出てしばらくしてから買いに行って,その鯛焼きにありつくことができた。なるほどと,週刊朝日の話に納得した。

娘が四ツ谷駅近くの大学に進んで,時たま買ってきてくれた。

数年前,紀尾井ホールのコンサートに行った帰りに「わかば」を訪ねたら,長蛇の列。1時間以上待つと言われてあきらめた。

最終号の話に戻る。見開き1ページ目に,宮崎美子さんの写真が出てくる。1980年1月発行の表紙を飾ったものだ。このころには週刊朝日はあまり見ていなかったが,国立の熊本大学の女子学生という話から,興味をもってどこかで見た記憶がある。表紙の女子大生シリーズの第一号が彼女だったそうだ。最終号に談話が載っているが,週刊朝日だから脱がされることはないだろうと応募したそうである。

シリーズものの思い出記事が出ているが,50年のブランクのあとでは記憶と重なるものはほとんどなく,山藤章二の似顔絵シリーズは覚えている。

特別読切小説として,井上荒野の『日傘をたたんだ日』が載っている。「週刊朝日」を媒介にした,登場人物4人の触れ合いを描いたもので,休刊後のそれぞれの生き方にも触れ,惜別の辞として相応しい逸品である。

そのほか,この雑誌にかかわった人々の感想,シリーズものの思い出,読者からの投稿など,記事はてんこ盛りである。

当分の間,楽しく読ませていただくことにする。

 

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