海保職員による尖閣のビデオ映像の流出が問題になっています。世論では海保職員を擁護する声もありますが、この事態をどう判断すべきでしょうか。
事件そのものは日本政府の政府組織内のガバナンス(統治能力)-具体的には情報管理能力-がなっていないという現実をあらわにした訳で、対外的にはこれはかなり恥ずかしい話です。そんな情報管理能力の無い日本政府とまじめに付き合いたいと思う外国政府があるでしょうか?仮にですが、ある国の政府が信頼して日本政府に預けた部外秘情報が勝手に日本政府職員の手で外部に流出させられるということが起こったようなものです。日本政府の信用は台無しになるでしょう。そういう意味では「国益」が大事だと思っている人にとっては今回の事件は国益侵害そのものでしょう。
一方で国民には知る権利がある。ビデオ映像の公開は国民の知る権利に応えたものだ(だから海保職員の行為は正当だ)という擁護の仕方もあるでしょう。
私自身は事件の報道を聞いて先ず思い浮かべたのは1971年のアメリカにおけるペンタゴン・ペーパーズ事件です。当時のアメリカ・ニクソン政権のベトナム戦争政策の真相を記した国防総省の文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を、文書作成に参加したシンクタンク職員のエルズバーグ氏らがニューヨークタイムズに暴露した事件です。この暴露でニクソン政権は相当なダメージを受けベトナム戦争の継続ができなくなっていきました。つい最近でも7月にアメリカのアフガニスタン戦争政策の政府文書がインターネットに暴露されたことは記憶に新しい事件です。
今回の映像はペンタゴン・ペーパーズほどの秘密性は無いという見方もできます。しかし考えるべきは、政府組織内の当事者の「恣意性」をどう判断すべきかということです。どのような情報公開が正当で何が不法かを誰が判断するのかということです。そういう意味では、国民が知る権利を全うする正当な方法とは、あくまで一般国民が情報公開請求を政府に対して突きつけ公開を勝ち取るということです。海保職員自身が政府の判断が不当と思うのであれば、当該情報を入手できるという職務上の機会を利用して(本当に利用したかどうかは捜査上では未だ解明されていないそうですが)それを暴露するのではなく、一国民として政府に対して情報公開請求を行うべきだったと思います。したがって今回の海保職員の行為は公務員としては越権行為となり擁護することはできないと思います(ちなみに今回の事案では海保職員の行為は「公益通報」には該当しないようです)。
事件そのものは日本政府の政府組織内のガバナンス(統治能力)-具体的には情報管理能力-がなっていないという現実をあらわにした訳で、対外的にはこれはかなり恥ずかしい話です。そんな情報管理能力の無い日本政府とまじめに付き合いたいと思う外国政府があるでしょうか?仮にですが、ある国の政府が信頼して日本政府に預けた部外秘情報が勝手に日本政府職員の手で外部に流出させられるということが起こったようなものです。日本政府の信用は台無しになるでしょう。そういう意味では「国益」が大事だと思っている人にとっては今回の事件は国益侵害そのものでしょう。
一方で国民には知る権利がある。ビデオ映像の公開は国民の知る権利に応えたものだ(だから海保職員の行為は正当だ)という擁護の仕方もあるでしょう。
私自身は事件の報道を聞いて先ず思い浮かべたのは1971年のアメリカにおけるペンタゴン・ペーパーズ事件です。当時のアメリカ・ニクソン政権のベトナム戦争政策の真相を記した国防総省の文書(ペンタゴン・ペーパーズ)を、文書作成に参加したシンクタンク職員のエルズバーグ氏らがニューヨークタイムズに暴露した事件です。この暴露でニクソン政権は相当なダメージを受けベトナム戦争の継続ができなくなっていきました。つい最近でも7月にアメリカのアフガニスタン戦争政策の政府文書がインターネットに暴露されたことは記憶に新しい事件です。
今回の映像はペンタゴン・ペーパーズほどの秘密性は無いという見方もできます。しかし考えるべきは、政府組織内の当事者の「恣意性」をどう判断すべきかということです。どのような情報公開が正当で何が不法かを誰が判断するのかということです。そういう意味では、国民が知る権利を全うする正当な方法とは、あくまで一般国民が情報公開請求を政府に対して突きつけ公開を勝ち取るということです。海保職員自身が政府の判断が不当と思うのであれば、当該情報を入手できるという職務上の機会を利用して(本当に利用したかどうかは捜査上では未だ解明されていないそうですが)それを暴露するのではなく、一国民として政府に対して情報公開請求を行うべきだったと思います。したがって今回の海保職員の行為は公務員としては越権行為となり擁護することはできないと思います(ちなみに今回の事案では海保職員の行為は「公益通報」には該当しないようです)。