博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

この機に原水爆禁止運動の統一を

2024年10月14日 | 時事
  わが国における原水爆禁止運動が1954 年 3 月 1 日のビキニ水爆実験による第五福竜丸の被ばくに端を発したことは有名です。杉並区在住のお母さんたちによる核兵器廃絶を求める署名運動が世界的に有名になり、翌1955年の8月広島で「第 1 回原水爆禁止世界大会」が開催されるきっかけとなりました。そして同年9月19日に原水爆禁止日本協議会(原水協)が結成され、今日に続く原水爆禁止運動の中心的存在となります。しかしこの後、原水禁運動は何度も組織的に分裂を起こします。1961年に日米安保条約の是非を巡って自由民主党系と民社党系が脱退します。民社党系は核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)を別に結成しました。同年の原水禁 7 回大会の直後、当時のソ連が3 年間の核実験停止を止めて核実験を再開しました。このソ連の核実験への対応で社会党系と共産党系のグループが対立します。あろうことか当時の共産党はソ連の核実験を容認していたのでした。一方社会党系は「いかなる国の核実験にも反対」という立場から1965 年 2 月に原水協を脱退し原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成します。このように日本の原水禁運動は、約70年の歴史の中で3度の分裂を経験しています。今回、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協もこの分裂の影響を受けて組織的な危機に直面しました。その結果、日本被団協は原水協から脱退し、原水協、原水禁両方から距離を置くという方針で今日に至っています。日本被団協の活動を支援すべき原水禁運動がこのように分裂した状態にあるのは、余りにも不合理です。今回のノーベル平和賞受賞を好機に少なくとも原水協と原水禁は統一へ向けた協議を開始すべきではないでしょうか。両者の因縁が深くそれが難しい事情も多少は承知しておりますが、そんなことを言ってはいられない状況になっているのではないでしょうか。
 ちなみに、それが難しい事情は故大江健三郎氏が執筆された『ヒロシマ・ノート』(岩波新書 上の写真です)に詳しく書かれています。
 全被ばく者の高齢化の前に、残された時間は多くはありません。今回の受賞は歴史的な因縁に支配された状況を変える、またとない好機だと思うのです。

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