(昨日の続きです)
八重洲ブックセンターについて調べていましたら、その成り立ちについて初めて知ったことがありました。八重洲ブックセンターの創設者はゼネコン大手の鹿島建設社長故鹿島守之助氏(1896年~1975年)で、鹿島氏のー「どんな本でもすぐ手に入るような書店が欲しい」との遺志を受け継ぎ、赤坂へ移転した八重洲の同社旧本社跡地に世界一の売り場面積を持つ書店をつくろうと計画され、当時流通する20万点の本を常備しようと構想(展示冊数は40万冊)は画期的なものであった。しかし、日本書店商業組合連合会(日書連)や書店組合の反対にあい、売り場面積を半分にして、1978年9月18日に日本最大の書店として開業した。開店後1年間の入店者数は約1000万人、売れた本は約500万冊であった。あらゆる書籍を取り揃えるために通常の書店とは異なり買取仕入が主体で、120万冊ともいわれる膨大な在庫量を誇るー(注)。ということだそうです。ブログ主は45年間も通っていて全然知りませんでした。
鹿島氏は毀誉褒貶の多い人物だったと思いますが(戦時中に大政翼賛会の推薦を得ずに衆議院議員選挙に立候補したにも関わらず、後に翼賛会に協力したなど)、日本で最初の原子炉である日本原子力研究所第一号原子炉(1957年)を皮切りに、日本全国の原発の半数以上の38基の原子炉を建造したことでも有名ですね。良くも悪くも戦後の日本に大きな影響を及ぼした人物でした。全然関係ないのですがブログ主の自宅のすぐ近くに鹿島建設九州支社の建物があります。
(注)ウィキペディアの記述より