博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

レーニン主義の亡霊(再掲載)

2023年02月12日 | 歴史
 以下の記事は私が2014年12月19日に本ブログに掲載したものです。昨日の記事と同様に、日本共産党の民主集中制についての私の考え方をご紹介するために文言に特に変更を加えず再掲載させていただきます(明日も続きます)。 

 日本共産党が民主集中制の組織原則を21世紀の今日でも放棄しない理由は、それを採用した歴史を見る必要があります。民主集中制の組織原則を最初に採用したのはロシア革命を遂行したボリシェビキ(後のソ連共産党)でした。そしてボリシェビキは国内戦という非常事態下で「やむをえない措置」として「党内分派の禁止」を1921年に決定します。敵に包囲された要塞が民主的に運営されることはありえない(アイザック・ドイッチャー)という訳です。鉄の規律の中の職業革命家の集団にボリシェビキを仕立てたレーニン(上の写真です)自身が、それ以前から、そのような傾向を持っていました。そのボリシェビキが設立した共産主義インターナショナル(コミンテルン)は、「ラクダが針の穴をくぐるより難しい」と言われた「21ヶ条の加入条件」の中で、その第12条に「軍事的規律に近い鉄の規律」を規定します。やがて各国共産党に成長していく各国支部はその条件を呑むことになります。たぶんドイツやフランスやイタリアなど欧州の共産党は、いやいやながらその条件を呑んだのではないでしょうか。欧州の共産党は、元々より自由な社会主義政党の中から、よりラディカルな人々を核に派生した組織だからです。実際にドイツ共産党の創立者のローザ・ルクセンブルクははっきりと、そういう非民主的な傾向に対して、レーニンにNoを突き付けていました。欧州の共産党が1980年代以降に、割と簡単に民主集中制をやめることができた背景にはこのような歴史があるからではないでしょうか。
 ところが日本共産党は欧州の共産党のような経路を取らずに、最初から共産党として日本に誕生しました。今や日本でもっとも古い政党になっています。だから21ヶ条の加入条件にもあまり抵抗感が無かったのかもしれません。1920年代の日本社会は大正デモクラシーの背景はありましたが、治安維持法に先立つ治安警察法などがすでにあり左派には厳しい社会だったという社会的条件も、やむをえない事情としてあったのだと思います。
 しかし現代の日本には、もはやそうした社会的条件はないのです。ですから民主集中制を維持する理由は消滅していると言えるでしょう。実はこのような指摘は1975年に立花隆氏が、1976年には藤井一行氏がなさっているのです。しかし当時の指導部の不破氏は拒否しています。この1970年代の段階では反共産党的な新左翼運動があったので、それらの勢力と一線を画すためという理由もまだ言えなくもなかったと思いますが、さすがに21世紀の今日では、これは時代錯誤というしかないでしょう。どう見ても現指導部が自分の権力を維持したいので民主集中制を維持しているようにしか外部からは見えないのです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。