写真は関門海峡に面した裳裾公園にある長州藩の砲台(復元模型)です。1863年~1864年の長州藩による攘夷実行と、その結果としての四国艦隊下関砲撃事件の史跡です。1863年(文久3年)幕末の攘夷運動の高まりを受けて長州藩は率先して関門海峡を通過するアメリカ船、フランス船、オランダ船などの外国船舶を無通告・無差別に写真の砲台から砲撃しました。現代から見ればどう考えても正気の沙汰ではないですが・・・翌年イギリス、アメリカ、フランス、オランダの四国連合艦隊は報復に来襲し、砲台と長州藩の船舶を壊滅させ、陸戦隊によって砲台も占領されてしまいます。連合艦隊は軍艦17隻、兵員5000人ということですから相当な大艦隊だったことが分かります。結局長州藩は高杉晋作を交渉人として海峡の外国船の自由通行、物資の補給などの講和条件を受け入れ、攘夷の無謀なことを悟り、軍備の近代化に努めることになります。
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