博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

プランテーション型経済からの脱却

2010年05月17日 | 読書・映画
 「企業福祉の終焉-格差の時代にどう対応すべきか」著者:楠木俊詔(中公新書 2005年)を読了。2年ほど前に購入し、しばらく積読状態でした。しばらく前に私はこのブログで派遣切り問題についてプランテーション型経済と批評したことがあります。本書を読んで益々その考えに確信を持ちました。
2008年12月17日の記事です ⇒http://blog.goo.ne.jp/ss18m/e/a33515b49aa2df839d1d8e522bf104f2
 
 著者は日本企業の特色としての企業年金、社宅、社会保険の法人負担などの企業福祉が種々の環境変化で限界に来ていることを指摘し、国家による公的扶助に全面的に置換すべきことを訴えています(福祉国家の再現)。特に企業主体の福祉を充実できる能力を有する企業はほぼ大企業のみであり、企業数ではずっと多い中小企業は能力的に限界があり、その社員が福祉の恩恵を受けられないという企業規模による不公平が生じてきたこと。特に近年増加している非正規社員はその埒外におかれ、益々不公平が増大している現状を指摘しています。
 著者は国家が福祉の責任を負うべきというスタンスを明確にしています。この主張は新自由主義的な「小さな政府」とは完全に反対のスタンスです。著者は新自由主義的な観点にも丁寧に反論しています。福祉の財源としては累進的な消費税(食品・生活必需品等は非課税とし、奢侈品に高率課税する)が合理的という提言もされています。その代わり企業は福祉負担から解放され収益を企業活動に投入できるので、経済はより活性化する・・・はずという論点です。
 確かに私企業が終身雇用という形で個人の人生に全面的に責任を負うということは元々無理があったかもしれません。それは大企業にしかできないことだったでしょう。経営者に責任感があっても経済情勢によっては倒産という形で中断せざるをえないことだってありうるわけですから。著者の代案が妥当か否かは直ぐには判断できませんが、私自身の思いは強くなりました。
 元々企業福祉は、公的福祉が貧弱な時代に、人々が寄り集って作り上げてきたもので、公的部門が十分に強化され憲法第25条の存在する現代では、もはや役割を終えつつあるという指摘も十分理解できました。

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