(昨日の続きです)
カーダール政権下(1957年~1988年)のハンガリーは社会主義経済と市場経済の独特な混合経済体制により、東欧諸国の中では特異な立ち位置を占めるようになりました。特に1989年の東欧革命においては重要な役割を果たします。1988年5月にカーダールが引退すると、ハンガリー社会主義労働者党内では、急進改革派が実権を握り、翌1989年には東欧圏で初めて一党独裁を放棄しました。同年6月には非業の死を遂げたナジ・イムレ元首相の名誉回復がなされました。さらに自国とオーストリアとの国境を開放し、抑圧的な東独政府から逃れてきた東独市民をオーストリア経由で西独へ脱出させるなどの取り組みを進めました(汎ヨーロッパ・ピクニックと呼ばれました)。ブダペスト市民が蜂起した10月23日は「1956年革命、および共和国宣言の日」として祝日になりました。この日には上の写真の国旗が飾られます。1956年革命中に蜂起したハンガリー国民が使用した国旗です(注)。真ん中に丸い穴が開いていますが、ここには共産主義の象徴の赤い星とハンマーと鎌のマークが描かれていました。市民がそれを鋏で切り取ったのです。
さて2024年現在のハンガリーですが、1989年の民主化で重要な役割を果たした青年民主同盟(略称:フィデス 現在のフィデス=ハンガリー市民同盟)の設立者で若干25歳の若さで民主化を主導したオルバーン・ヴィクトル氏が首相として政権を握っています。オルバーン首相は、反移民、反LGBTを掲げ、「ハンガリーのトランプ」の異名を持つ人物として有名です。中国の一帯一路政策に積極的に協力し、ロシアのプーチン大統領とは親密な関係をロシアのウクライナ侵攻後も維持しています(つい最近の7月5日に訪ロしプーチンと会談)。ハンガリーはNATO、EU加盟国(ハンガリーは議長国)であるにも関わらず、NATOとEUのウクライナへの支援に批判的です。東欧民主化の旗手の一人として活躍したオルバーン首相の現在の姿勢は不可解ですが、なぜそうなのかは、良く考えてみる必要がありそうです。
(注)https://www.wikiwand.com/ja/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97