博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

平野國臣像

2015年07月19日 | 九州の風物

 立帰天満宮に隣接して、幕末の尊王攘夷運動の志士、平野國臣の銅像がありました(上の写真です)。平野次郎國臣は福岡藩士でしたが、薩摩の西郷隆盛らとの交流を通じて尊攘派となります。しかし福岡藩は尊攘運動に消極的でしたので、ほとんど一匹狼のような活動を進めました。文久3年(1863年)大和国五条で天誅組の変が勃発すると、これに呼応し但馬国(兵庫県)で生野の変を起こし失敗。京都六角獄舎で囚われの身となります。翌元治元年に京都で長州藩討幕派による禁門の変が起こり、獄舎に戦火が迫ると逃亡を恐れた幕府役人により斬首され37年の短い生涯を終えました。私はこの人は池田屋の変で命を落としたように勝手に勘違いしてました(宿泊していた宿屋が外出中に新撰組に踏み込まれたことはあるそうです)。

 この時代の志士と呼ばれた人々のやっていたことは、今日の「イスラム国」の活動とよく似ています。個人テロ(殺した相手の首を京都の街中で晒すとか)、武装蜂起、活動資金の商人からの強奪とか何でもありでした。今日この人たちの活動が顕彰されている(現にNHKの大河ドラマになっています)のは「勝てば官軍」の言葉通りです。だからといって「イスラム国」の活動が正当化されるわけはないのですが。

 そうした人々の中にあって平野は藩の権力に頼ることなく自分ひとりの力で活動を続けていました。最後を迎える直前の生野の変も、天誅組の壊滅が分かった時点であえて中止に踏み切らずに弔合戦のような状況だったそうです。この平野の判断はどう考えても支持できるものではないですが潔さは際立っているように思います。

 昨日ブログに書きましたイスラム国と戦う「国民義勇戦闘隊」ですが、手前味噌ながらなかなかいい考えだと思います。特に安部首相を支持し勇ましいことを言っている有識者の皆様には自発的に志願してもらいたいものです。国民義勇戦闘隊は戦中の日本政府が設置した公式な組織ですし、日本の未来を担う若い世代の盾に私たち中高年が自発的に志願するということは日本国民として当然ですよね? 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。