
週末に『ケドマ-戦禍の起源』(2002年 イスラエル・イタリア・フランス 監督・脚本・制作アモス・ギタイ)という映画を見ました。1945年に第二次世界大戦が終結しナチスドイツの強制収容所から生き残ったユダヤ人が解放されます。しかし彼らはもはや元の祖国-ヨーロッパに居場所を失っていました。多くのユダヤ人が居住していたソ連東欧圏では共産政権による新たな迫害・排斥さえ始まってしまいます。彼らは約束の地・当時英国に委任統治されていたパレスチナを目指して移住を開始します。「ケドマ」とは彼らユダヤ人不法入国者を乗せた密航船の名前です。映画はケドマ号の乗船者の表情から始まります。全員が虚ろな感情を失った能面のような表情をしています。彼らは皆強制収容所で肉親家族を失い、自らも心身共に言語に絶する迫害を受け生き残った人達ですから、それは無理も無いことでした。
やっとパレスチナに着いて上陸すると今度は、英軍警備隊に不法入国者として銃で追い立てられます。やっと英軍の手を逃れた入国者らはシオニストの手引きでキブツ(ユダヤ人入国者の共同体・自給自足の集団農場)を目指します。しかし彼らの前にユダヤ人に土地を奪われる不安にかられた先住者のアラブ人が立ちふさがります。
登場人物の一人のユダヤ人青年は収容所で両親を殺害されていました。彼は両親を思い出しては泣きくれていましたが、道中で遭遇したアラブ人の老人や女性子供達の集団から不信の目を向けられると逆上して赤子の頭ほどもある石塊を掴んでアラブ人の老婆に詰め寄っていきます。目も往ってしまっています。怖い。
これはこの映画の中でも最も恐ろしい場面で、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人が被害者の立場から(アラブ人への)加害者の立場に転換した瞬間を表現しています。同じ人間が被害者から加害者へ瞬時に水平移動してしまうのです。
実は戦前からユダヤ人のパレスチナへの入植は行われていました。戦前の入植者はアラブ人と摩擦はあってもどうにか共存していました。ところが戦後のユダヤ人入植者は密輸・密造したステン短機関銃や手榴弾などで武装し(装甲車やジープまで)彼らだけの共同体をどんどん作っていきます。アラブ人が不安にかられるのもやむをえないことだったでしょう。ケドマ号に乗ってきた人々は武器を渡され、いきなりアラブ人武装グループとの戦闘に動員されていきます。上記の青年も小銃を渡され躊躇なくアラブ人家屋に発砲します。
これが21世紀の今日に続くパレスチナの悲劇の始まりだったということを描いた映画でした。イスラエル人監督がユダヤ人とアラブ人の両方の目線から公平に描いています。映画は淡々と場面を描いていて台詞も少ない(登場人物は皆心に傷を負っていて言葉を失っている)ので歴史的背景を知らないと何だかよく分からないかもしれません。
同じ歴史的題材を扱った映画で『栄光への脱出』(1960年アメリカ)があります。この映画ではアラブ人がまるで悪玉のように見えますが『ケドマ』を見るとそうではなかったということが分かります。
やっとパレスチナに着いて上陸すると今度は、英軍警備隊に不法入国者として銃で追い立てられます。やっと英軍の手を逃れた入国者らはシオニストの手引きでキブツ(ユダヤ人入国者の共同体・自給自足の集団農場)を目指します。しかし彼らの前にユダヤ人に土地を奪われる不安にかられた先住者のアラブ人が立ちふさがります。
登場人物の一人のユダヤ人青年は収容所で両親を殺害されていました。彼は両親を思い出しては泣きくれていましたが、道中で遭遇したアラブ人の老人や女性子供達の集団から不信の目を向けられると逆上して赤子の頭ほどもある石塊を掴んでアラブ人の老婆に詰め寄っていきます。目も往ってしまっています。怖い。
これはこの映画の中でも最も恐ろしい場面で、ナチスドイツに迫害されていたユダヤ人が被害者の立場から(アラブ人への)加害者の立場に転換した瞬間を表現しています。同じ人間が被害者から加害者へ瞬時に水平移動してしまうのです。
実は戦前からユダヤ人のパレスチナへの入植は行われていました。戦前の入植者はアラブ人と摩擦はあってもどうにか共存していました。ところが戦後のユダヤ人入植者は密輸・密造したステン短機関銃や手榴弾などで武装し(装甲車やジープまで)彼らだけの共同体をどんどん作っていきます。アラブ人が不安にかられるのもやむをえないことだったでしょう。ケドマ号に乗ってきた人々は武器を渡され、いきなりアラブ人武装グループとの戦闘に動員されていきます。上記の青年も小銃を渡され躊躇なくアラブ人家屋に発砲します。
これが21世紀の今日に続くパレスチナの悲劇の始まりだったということを描いた映画でした。イスラエル人監督がユダヤ人とアラブ人の両方の目線から公平に描いています。映画は淡々と場面を描いていて台詞も少ない(登場人物は皆心に傷を負っていて言葉を失っている)ので歴史的背景を知らないと何だかよく分からないかもしれません。
同じ歴史的題材を扱った映画で『栄光への脱出』(1960年アメリカ)があります。この映画ではアラブ人がまるで悪玉のように見えますが『ケドマ』を見るとそうではなかったということが分かります。