博多住吉通信(旧六本松通信)

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柔軟な思考とは

2009年02月23日 | 時事
 先週、麻生首相は日本の首相としては戦後初めてロシア・サハリン州を訪問しました。共同通信の報道によれば、首相はメドベージェフ大統領と会談し北方領土問題について「われわれの世代で解決するため、型にはまらない独創的な新たなアプローチで(領土交渉の)作業を加速する」ことで一致したとのことです。
 麻生首相の考える独創的なアプローチとは、日本政府が戦後一貫して主張してきた4島一括返還にこだわらず、3島返還(歯舞島、色丹島、国後島)もしくは、3島に択捉島の南部を含めた案でロシアと交渉することを指しているようだというニュース解説がありました。
 日ソ共同宣言を根拠として歯舞島・色丹島は日露両国とも文句なく返還という線に落ち着くでしょう。問題は国後島・択捉島です。

 ソ連崩壊直前の1991年に、知人がソ連の民主化が進めば北方領土が返還されるのではと述べていました。私はおそらく逆でしょうと言いました。ソ連・ロシアの民主化が進めば政府指導者は複数政党制の下の自由選挙によって国民から選ばれるようになる、そうなれば国民にとって不人気な政策は進められなくなるから、領土問題ではソ連・ロシアの指導者は益々頑なになるだろうと言いました。この件については、むしろスターリン型の独裁者のほうが世論を無視して恣意的に返還を決定しやすいのではないかと思います。もちろん強力な独裁者だって国民の人気が無くなればその神通力を失いますが、民主的な指導者よりは恣意的に振る舞いやすいわけです。そういう訳でソ連が崩壊し、エリツィン大統領のロシア連邦が誕生した時点で北方領土返還は、近い将来には無さそうだと確信しました。
 
 ところが麻生首相の3島返還論(+α)論を聞いて、これはこれでありかなと思いました。麻生首相の指摘の通り、問題を膠着化させても両国にとって利益は無いからです。麻生首相の支持率は底なしに低下していますが、この点は素直に首相を評価したいと思います。
 さらに私としては麻生首相のアイディアを一歩進めた提案を考えました。それは歯舞・色丹島は返還してもらい、国後・択捉両島は日ロ両国民混住の地とするものです。
 これには前例があります。1855年2月7日(安政元年)に伊豆の下田で締結された日露和親条約で、日露国境を千島列島については択捉島と得撫島の間とし、樺太(サハリン)については国境線を定めず日露両国民の混住地とされたことです。実際に当時樺太に住んでいたのは少数の漁業関係者とアイヌの人々でしたから、あまり細かいことにこだわらなかったというのが正確な事情でしょうが。1975年(明治8年)には千島樺太交換条約で樺太を日本は放棄し代わりに千島列島全島の領有権を得ることになりますが、それまでの約20年間、樺太(サハリン)は日露両国民の混住地となっていました。実際には樺太開発の進展に伴い日露間の紛争が頻発するようになったそうですが、そういう時代が存在したことも確かです。
 さらに1991年以降、北方四島へのビザなし渡航が慣例化していることからも、混住地化への下地はできているとも言えます。
 もちろん国後・択捉が混住地化した場合に、当該地域の日ロの主権はどう分割・分担するのか、当該地域住民のための安全保障、法的な保護・規制、社会インフラの開発・維持は誰が責任を負い誰が費用負担をするのか(日ロ間でどう分担・分割するのか)といった当然の課題は考えていかなければならないでしょう。しかしそれを考えることも意義があるのでないかと思います。

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