ある日の朝、テレビをつけると聴き覚えのある声が流れてきて一瞬で引き込まれました。
内田也哉子さんが、樹木希林さんと内田裕也さんを続けて喪った時の心境をお話されていたのです。
以前に裕也さんの葬儀での也哉子さんの喪主挨拶をテレビで見たことがあって、その時も也哉子さんの言葉が胸に響いたのですが、それは言葉だけではなくて、彼女の少し籠ったような声やぽつりぽつりとした話し方が好きなのだと気づきました。
大きな存在を亡くした空っぽの心を満たすために彼女が切望したのは、人と出会うこと。
15人との一対一の対話をエッセイにした本が出版されたと知って、年明けから何もする気力が湧いてこなかったのに、読んでみたいと思いました。
大切な人を亡くした時の空っぽな状態とそれでも変わらず過ぎていく日常の不思議さというのは、誰でもいつかは経験することです。
私も両親を亡くした時に経験したのですが、時間の経過と共に忘れていた感覚が年初めの地震のショックで甦ったような…じつはずっと深いところにあったような。
也哉子さんは、15人の人との対話から自分の中の「空」を見つめようとしていて、それは私がお客様との対話から気力の湧いてこない自分を見つめているのと何処かリンクしているように思えて、勝手な共感を覚えました。
ヤマザキマリさんとの対談の前置きに、「魔の思考」「幸せの中にあるブラックホール」「消えない虚無感」について「たとえ家族や友達でさえ、このどうにも埋まらない底なしの穴を紛らわすことはできない。ひたすら、この息をするのも苦しい感覚が通り過ぎるのを待つしかないのだ」とあって、対談者の15人の方々もこの底なしの穴を知っている人なのかも?とまた勝手に納得してしまいました。
親子とは?
その永遠のテーマは、誰にとっても重いものかもしれませんが、空っぽになった時、自分の穴を誰かに埋めてもらいたいという期待から解放されて、空っぽが教えてくれる本当の繋がりに気づいていけるのかもしれません。
あとがきの最後にある也哉子さんの言葉のように、「急ぐことなく、嵐のあとの閑寂に耳を澄ますように」甦ってきたこの感覚と居たいです。