中野京子さんの怖い絵を読んでいたら、ベラスケスのラス・メニーナスのことが書いてあった。何度も見た絵であり、良く知られている絵である。

この絵の右側にいる道化について、今日は学んだ。

王女マルガリータと対比するかのように、変な顔の小人のような女の子が描かれている。
変な顔だから、ちょっと嫌だなと思ったり、対比して王女がやけにかわいく感じたりする。これは、引き立て役か?などと思ってしまう。
しかし、これは実際にいた人らしい。しかも顔がおかしいからかわいがられているらしい。まるでペットのような存在であったという。
現代の人が犬や猫をかわいがるように、こういう人たちをかわいがったというのだ。
だから、変わっている方が、価値がある。すごい衣装を着させているのも、自分の富を人にみせるためであり、人間として尊重してのことではない。だからこの人たちに自由はないのである。あるとすれば、主人が与える気まぐれな自由だろう。
この時代、こういう人たちを主人が兄弟ということもあったというが、それは、現代の人が飼っている犬を家族のように思うのと同じ心理だという。
この絵については、いろいろな場面で、いろいろな話を聞いていたが、この種の話は初めてだった。たぶん、百科事典などで調べれば、何かには書いてあるだろう。ただ、百科事典で読んでも、頭には残らない気がする。
そういう意味で、中野さんに感謝したい。ここで、初めてこの知識が得られたことを。
私は、美術を学ぶとき、美術史の専門家ではないから、徹底的に調べ上げるということをしない。こういう本に出会って、読みながら楽しんで学んでいる。以前知った知識の上に、新しい知識が重なるのは嬉しい。
そして、知りえた知識を感動を持って、生徒に伝える。これが喜びだ。
「ねえ、聞いて聞いて、これ知ってる?」というのが楽しい。
私は、根っからの教師なのだろう。

この絵の右側にいる道化について、今日は学んだ。

王女マルガリータと対比するかのように、変な顔の小人のような女の子が描かれている。
変な顔だから、ちょっと嫌だなと思ったり、対比して王女がやけにかわいく感じたりする。これは、引き立て役か?などと思ってしまう。
しかし、これは実際にいた人らしい。しかも顔がおかしいからかわいがられているらしい。まるでペットのような存在であったという。
現代の人が犬や猫をかわいがるように、こういう人たちをかわいがったというのだ。
だから、変わっている方が、価値がある。すごい衣装を着させているのも、自分の富を人にみせるためであり、人間として尊重してのことではない。だからこの人たちに自由はないのである。あるとすれば、主人が与える気まぐれな自由だろう。
この時代、こういう人たちを主人が兄弟ということもあったというが、それは、現代の人が飼っている犬を家族のように思うのと同じ心理だという。
この絵については、いろいろな場面で、いろいろな話を聞いていたが、この種の話は初めてだった。たぶん、百科事典などで調べれば、何かには書いてあるだろう。ただ、百科事典で読んでも、頭には残らない気がする。
そういう意味で、中野さんに感謝したい。ここで、初めてこの知識が得られたことを。
私は、美術を学ぶとき、美術史の専門家ではないから、徹底的に調べ上げるということをしない。こういう本に出会って、読みながら楽しんで学んでいる。以前知った知識の上に、新しい知識が重なるのは嬉しい。
そして、知りえた知識を感動を持って、生徒に伝える。これが喜びだ。
「ねえ、聞いて聞いて、これ知ってる?」というのが楽しい。
私は、根っからの教師なのだろう。