昨日行われた講演会のレポです!!
今回の講演会では、3人の研究者の方々がお話を聞くことができました。
杉山浩平氏による「弥生文化の到来と三宅島」
弥生時代の遺跡から、当時三宅島に居た人たちはどこから来たのか??
そんな謎を遺跡から発掘したものをもとに解いていく・・・
神着地区の島下遺跡から出土した土器などから、伊勢湾東部に住む人たちが
ここへ渡ってきた可能性が高いことがわかった。
三宅島では稲作が出来るような水田を造る地形ではないため、ここでは稲作を
行っては居なかったと考えられています。しかし、出土した土器には糠跡があり、
どっかから持ち込まれた可能性が高いのです。
その土器の紋様などから何処から持ち込まれたのかを知る手がかりに繋がり、
伊勢湾東部辺りで出土している土器に類似していることからこのような手がかりを
つかむことが出来たのです!!
また、坊田遺跡などでもたくさんの石皿やすり石が出土しているそうです。
この石の上にシイノミなどを置いてすり潰していたのでしょうね~
発掘されたものの中には椿の種なども多数出ているとの事で、弥生時代には
すでに椿の木が三宅島に存在していたことが分りました。
2つ目は新堀賢志氏による「弥生時代に火山噴火活動」
新堀先生は本当に三宅島が好きなのだなーと伝わるお話でした!
そんな新堀先生がこんなことを言っていた・・・
「いつも三宅島が誇れる日本一ってどこかありますか??って
聞かれるんですが、ありました!!キレイな形の溶岩を見れるところとしては
日本一だと僕は思います。」
「ここにあるものは、まさに自然が作りあげた造形美なのです!!」
そして、面白かったのが、三宅島には新鼻や間鼻など○鼻という地名が多くあるが、
これは溶岩流などが海まで到達し、鼻のように伸びている場所だからそう呼ばれて
いるそうです。また同じように、沖ヶ平や八丁平など○平と付いている場所はカルデラを
示しているそうです!
へぇ~って感じですよね?!
2000年数百前の八丁平カルデラの形成メカニズムや今回の2000年噴火の
メカニズムについてのお話。
2000年の噴火前まで、雄山山頂部には八丁平と呼ばれる湿原があったのですが、
今回の2000年の噴火でそれが吹っ飛んでしまい、雄山山頂部に巨大なカルデラが
形成されました。そのカルデラの大きさと八丁平カルデラが形成された時の大きさと
場所はほぼ同等。
そして、今回の2000年の噴火で形成されたカルデラですが、形成されるメカニズムを
見ることができたということ自体が世界で初なのです!!!!これは凄いこと!!
世界に誇れる三宅島の自慢なのです!!
つづく・・・