睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

いろんな音がきこえてくる

2020-02-13 10:49:28 | ひびつれづれ
阿含宗開祖の桐山靖雄管長が95歳で亡くなられたのは
2016年8月のこと。もう三回忌が過ぎた。
観音慈恵会の頃の桐山氏の著書は一時期の荒ぶるぼくの
心の支えでもあった。
二十代前半のぼくの人生で一番つらいときだった。

「求聞持聡明法秘伝」は桐山氏の修業時代の苦闘が多く
記されていて、ぼくは堅紙の表紙が擦り切れるほど肌身
離さず渾身没頭して読みふけった。
真言を唱え九字を切り印を結ぶのもこのころ覚えた。

だが桐山氏が阿含宗を立ち上げたときに心が離れた。
宗祖として天上の人になり、威風堂々と社殿の主に君臨
するならば、もうぼくの心の師ではないと思った。

それからというもの各宗派を独学で学びながら座禅を
通して良き師たちと巡り合うことができた。
師らはひたすら一途に融通無碍に生きろと云う。

一度は生きることに失敗したぼくへの公案らしいw
多くを語らず生き切ることが公案の答えと知った。

脱線しすぎだね、タイトルに戻るよ。
厚木に本があるのでうろ覚えだが、この本の中の
印象に残ったことを思いだした。

桐山氏が厳しい修行に明け暮れていたある日、
遠くから近くまであらゆる音が大音量で一斉に耳に
飛び込んできたという。音の拷問みたいなものか。

耳を塞ぎたくなるような状況に順応した桐山氏は、
これ以降、一点の音を聞き分けられるようになる。

これは何となく分かる。
深夜に仕事しているとどこからか生活音や話し声が聞こえる。
耳を澄ませ集中すると何の音か、どこから聞こえてくるのか、
自然と分かるようになる。

このとき目を閉じてはダメ、妄想が湧くから。
半眼で一点を見つめながら神経は耳に集中する。
遠くの梵鐘、はるか遠くの花火の音に気付くと
ツレに耳がいいと感心される、やったね。

人間が死に臨んだとき、意識がなくても耳は生きて
いるらしい、一番最後に死ぬのは耳なのだ。
耳力を磨いておかなくちゃ。


雨の降る品川
プロレタリア
中野重治の詩が聞こえてくるようだ。





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