睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

検証②:何気ない日常のなかに不思議の扉は開く。

2019-09-20 18:12:19 | ひびつれづれ


17時25分
秋の夕暮れ(α7Ⅲ)


昨日の21時00分~23時分までおよそ300枚の夜の
京急電車を撮ったが不審な物は何も写ってなかった。

それで思いをめぐらした。
今まで撮った怪奇写真はみんな無意識のうちに撮っている。
何かを撮っている最中に何気なく、飽きたからこれを、など
ことさら撮りなくない対象を曳かれるように撮っている。

怪奇現象をターゲットに撮ったことは一度もない。
今回の試みは失敗に終わる確率100%と思った。
そういうものじゃないんだ、きっと。


20代終わりのころ、
ダムに水没する前の石小屋に遊びに行った。
清い流れの早い渓流に大きな石がごろごろ点在する石小屋は
地元では名の知れた景勝地だった。

夕方まで釣りや水遊びに興じる楽しい時を過ごし、
帰り支度をしているとき、対岸の砂地にほら穴のような暗がりを
見つけた。昼間はまったく気が付かなかったのに、あれっ?
そんな好奇心に任せて渓流の岩を飛び越えて対岸に向かった。

「おーい、やめとけ、帰っちまうぞ」
仲間の声を聞きながら岩山から突き出るオーバーハング
下の暗がりに足を踏み入れた。

冷気にぞくっとしたが好奇心のほうが勝っていた。
入り口からつづく短い砂地の奥は高く盛り上がり、
その頂点に新しい卒塔婆が無造作に立っていた。

ズキンとして足が震えた。
手を合わせる余裕などなく転げるように外に出た。

あれから何ごともなく今に至るが、
あのときからずっと気になっていることがある。
山の夕暮れが早いあの時間に仲間の声を無視してまで
なぜあそこに行ってしまったんだろう?


何気ない日常のなかに不思議の扉は開く。
そう思えばTVの心霊スポット探検は信用できない
造られたシナリオに魔訶不可思議は生れない。

オーヴが写ったと聞けばカメラレンズが汚れてる、
霊が憑依したなんてのはパフォーマンスだと思う。

かといって自分は霊魂や霊体の存在を否定しない。
ぼくらは三次元に生きているんだし、
四次元多胞体や五次元パラレルがあっても不思議じゃない。

んでぼくは、
たまさかの偶然が他の人より少し多いかなぁ
そう思うことにしている。

見ようとしても見られない、
体験しようと思ってもできない、
未知なるモノがそのうち解明されたら
それはそれで面白さが薄れてしまうね。


よくわからない
なんかふしぎ
もやもや
それがいいのさ。







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