夜のお散歩
季節外れのススキにライトを当ててみた。
今日はネタ切れのお休みにしようか
アナウンスしないでばっくれようか
仮病はあとあとバレるからよくない。
アナウンスしないでばっくれようか
仮病はあとあとバレるからよくない。
ネット詣でをしてもピンとこないのは
自分の触覚が緩んでいるからだ。
(# ゚Д゚)とか.ヽ(^Д^*)/. の感情がなくて
平坦なとき(;´・ω・)ウーン・・・ 。
これも老化の一環と云われると返す言葉もなく
バカヤローと相手の胸倉をつかんでも、
弾き飛ばされるのはぼくのほうと想像できる。
これがいけないんじゃないか?
最初から否定的で向こう見ずな要素が削がれ、
だんだん無難で優しい好々爺の道を歩むようで。
うちみたいにDINKS-TWINのまま老後を迎えると
赤ちゃんの柔らさやおむつの匂いも想像外になる。
わが身の老いと行き先を見つめながら
赤子の誕生を祝い成長を見つめるのは
循環という意味でも道理に適っている
だがうまくしたもので、
みんながみんな好々爺になれない。
神の配剤というか、
ぼくもバランスの一角として存在価値がある。
今日の天気に誘われて洗濯機を回すように、
ひとりひとりの小宇宙が銀河を創っている。
漫画ちっくな発想は宇宙戦艦ヤマトの
TVを見てボロ泣きしたころみたいだ。
南部牛追唄だけで十数人のYouTubeを見た
この人の唄と尺八がいちばん胸に刺さる。
尺八がいい
唄がいい
惜しい人ほどいまにいない。
三橋美智也「南部牛追唄」
三橋美智也「南部牛追唄」
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