朝4時半、
南風強くむし暑い、
雲は不穏に流れて小雨。
夜のお散歩で撮った大井町の画像が出てきた。
ぼくは無意識に大井町を遠ざけているみたいだ。
これは酒のみの意地きたないところで、
行きたいけど行けないから、見ないことにしておく。
行きたいけど行けないから、見ないことにしておく。
大井町のどの店にも入ったことがない一見さんから見ると、
大人リーマン御用達の暖簾風小洒落た飲み屋、
若者たちが好んで集まりそうなプチCLUB系、
底なし呑兵衛や常連さんが巾をきかす飲兵衛横丁、
この三つくらいに分かれていそう。
これなら学生時代~くたびれた老リーマンになるまで
行きつけの店を変えながら長いこと大井町に通えるな。
なんたって70歳まで働けというご時世だから、
人も店も酒も細く長くいつまでもを心がけるといいね。
早々と酒の定年を迎えるとつまらない夜がきて、
人生の定年が早まる気がする。
沈黙の臓器は普段からよく利き耳をたてような。
やる気が起きない朝、
読みたい本もない、
ぐてんとして一日をやり過ごそうか。
本は一冊も持ってこなかった。
4/13にYes or Noを問うたらNoが必定だった。
このうさぎ小屋に本を収納するスペースはnothing.
必要な時に必要な本だけ取りに行けばいい、
そう思っていた。
それが過ちだと気づいたらもう落ち着かない。
万札が入った財布を置き忘れてきた気分になる。
知識だけならネットやGoogleがフォローしてくれるが、
もやもやと燻る情緒は満たしてくれない。
トイレの紙はインキの匂いの新聞紙じゃダメなんだ、
白檀の香りがするトイレットティッシュでなければ。
そういえば40年前に行った福島の親戚の家の屋外にある
ぼっとん便所は新聞紙を切って積んであった。
最後の法事に行ったときは新聞紙がチリ紙に変っていた。
幼い頃の村の祭りは色付きのチリ紙で作った花を細竹に付け
小さな神社の小さな神輿を飾りつけた。
母のお供で花つくりの集まりに行ったとき。
おんばひがさ育ちの母はチリ紙を幾重にも折って作る繊細な
作業が苦手、それを見かねた村の長老が、
「人には得手不得手があるもんだ。できることをやりなさい」と
やさしく言ってくれた。
幼ごころに沁みた言葉。
ぼくのいまはそれを曲解しているフシもあるけど、
まあ個性ということで、人の出会いはCrossroads.
今ごろになって大粒の雨が落ちてきた。
稚魚のお守りしよ。
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