8月7日18時33分
月齢9.4の月
「夏休み」をタイトルに持つ楽曲を
迷いながら王道の吉田拓郎をチョイスした。
この歌の背景動画が昭和ちっくでたまらん
ほくが小学生のときの教室は机も椅子も木製だった
肥後守で鉛筆を削るふりしながら机も削った
あの子の名前とぼくの名前。
ネットフリー素材から拾った小学校の画像はまさにこれっ、
机の中に弁当と教科書とカエルやトカゲをしまっていた
山越え1時間の通学途中に捕まえるとランドセルに放り込む
女先生や女子に見せるとキャーーーっが面白くて。
冬は石炭のダルマストーブが置かれ
用務員のおじさんがバケツに石炭をてんこ盛り
全校生徒で6つしかない教室を暖めてくれた。
🔶🔶🔶
4回目のワクチンは8/21(日)の午後15時半に予約した
厚木マンションから徒歩で行けるクリニックは愛川町にあり
電話をすると町外の初診の人は受け付けられないとのこと。
(ワクチンの配送&保存を思えばムリもない)
今回も厚木中央にある大型商業ビルの中にワクチン接種の
会場が作られている。ワクチンは3回目に次いでモデルナ製
ファイザー・モデルナ共に3回とも副反応はなかった。
8月は記憶に残る弔記念日
1945年8月6日 広島原爆投下
1945年8月9日 長崎原爆投下
1945年8月20日 終戦記念日
1985年8月12日 日航123便墜落
過去記事にたくさん書いたから
あらたまって書く気はないけど
いつまでも忘れない
折々に思いだすことが多すぎる
戦争=父親
日航墜落=眠れない夜
どちらも国に対する不満が渦巻く
とくに日航123墜落では事故機機長が発したスコーク7700を
傍受した米軍がC130を派遣し当日19時15分には墜落地点を確認、
ヘリによる救助体制を整えたのに日本側の救援体制が整っているから
救援不要の理由で引き返さざるを得なかったと元米軍人の証言がある。
実際には墜落地点の特定に右往左往した政府は翌日の朝に
なってからやっと墜落地点は御巣鷹山と発表した
日本政府のいらざる面子のため貴重な12時間が失われた
助かる命が何人いたことか。
誰が握りつぶした?
「真実は墓場まで持っていく」
今となっては永遠の謎が残るだけ。
備忘録:8/6の細い三日月・巨大な雲・夕焼け・スマホはツール、ブログはガラクタ見出し画像の大崎住友不動産ビルの鏡面壁に写るビル群はいつもだが、この写真は低くたれこめる雲まで写っている。今まで何百枚と撮っているが今回が初めて(#^.^#)ブログ編集は新規......
当時、日航の関連会社にいた父親が特に家族に告げず「大阪・東京」間の出張が度々あったため、今と違って携帯電話なんぞありませんから連絡が取れず、家族で食い入るように乗客者名簿を見ていた覚えがあります。
あの政府の判断ミスは地名的でしたね。今でもこの事故を忘れない様に文献や動画を観ることがありますが、まぁ胸が苦しくなりますね。特に機長の最後の叫びは…
遠慮なく載せるもんだから、自然と食い入るように見てしまった。
黒コゲに焼けた立木にぶら下がる脚、前後のシートにつぶされた
ご遺体など・・・言葉にならない悲惨な状況がつぶさにぼくの脳裏に
すり込まれていた。
事故から1か月ぐらいは目の前にちらついて離れなかった。
犠牲者とご遺族の気持ちを察することはできても同化はできない、
でも、この事故を悼む気持ちは今も持っている。
毎年命日が来るたびに失った12時間を口惜しく思う。
いつも米国にへこへこしている日本政府が、
なぜあのときは見栄と面子を優先してしまったのか。
もうすぐだね、12日。南無。