知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

イサーンの高僧をお呼びした。(5)

2021-02-05 06:03:42 | ルーイ
1時過ぎに京都府の南部にある棚倉小学校につく、校長先生は木村代表とは以前からの知人で、突然の訪問を快諾していただき教頭先生とともに教室を案内して頂いた。
どの教室でもタイからの珍しいお客さんに大喜びで、挨拶の言葉、礼の仕方などにかわいい喜びの声が上る。タイはどこにあるのか?どれくらいの暑さなのか? 女の子も男の子も楽しそうに集まってくるが、気を使う私たちにお坊さんは「マイペンライ」「マイペンライ」(誰だ「子供でも女の子は坊さんに触れてはいけない」といったのは!!)校長室にまで質問にきた子供たちに「いつでも、どこにいても仏様とその教えを守りなさい」と諭されるお坊さんの言葉はどう映ったのだろう。
さてわれわれ一行は全員国籍不明であったようで、教頭先生から私に「貴方は日本語が上手ですね」と声をかけられたとき突然頭が真っ白になり「コップンマー、カップ」、またネーンさんは「いつタイ語を勉強しましたか?」と子供から尋ねられたことをうれしそうに喜んでいました。
成田空港と関西空港には以前に乗り換え待ちのため立ち寄ったことはあるが、空港から一歩も外に出たことなく「日本は初めてです。」と自己紹介をしておられたわりには、日本の生活に自然と溶け込み、さすが修業を積み重ねられただけはと感心させられたことが多かった1日でありました
@お坊さんの我々日本人に残された言葉<今回日本での印象は?>(16日夜) 1 日本の方々の親切と礼儀正しさは世界一。お辞儀をし、誰とでも平等に人に接する。 2 日本について:発展した国であるが、心のよりどころがないようだ。家族のあり方が心配。心の内面をもっと豊かに鍛えるべきだ。善と悪をしっかりとしないといけない。2546年仏教に歴史がある。国の発展だけでなく自分の心の中が発展することが大事である。
3 日本の寺と仏教:タイよりも日本のお寺の方が偉大である。昔は日本も仏教に対して熱心だったことが伺える。これからは、仏陀+仏法+経を実践することが大事。心の依存するところがない。宗教に対してどう思っているのかが、皆さんに聞きたい。知りたい。
@お坊さんは帰国
 木村代表の車にて城陽を早朝出発され、中務幹事長、現地でタイ人に見送られつつ帰国された。付き人はやっぱり、初めての日本あと一ヶ月姉さんと大阪で。タイ航空カウンター女性職員が搭乗員ゲートから出国手続きをすべくお坊さんを案内して向こうに見えなくなった。17日の午前9時半のことでありました。



















イサーンの高僧をお呼びした。(3)

2021-02-05 05:54:15 | ルーイ
@日本人からルーイのお坊さんへの質問
<いつ、どうしてお坊さんになられたのですか>
12歳のときに出家した。1955年からシャミになっていた。そこのお寺で素晴らしい先生に出会ったことが自分が一生僧侶で生きようと決心させた。二度と普通の生活には戻りたくなかった。
<毎日、どんな生活ですか?>
 普通は、3時半に起きて、4時から座禅、5時 お経を。6時にはビンタバン(托鉢) 7時半に朝食
 9時から 新しい坊さんにお経や仏教、生活を教える。
11時 昼食
13時 新僧侶への教育、教典、お経、座禅、生活を教える
16時 掃除タム・ワット・エーン
17時 水浴び
18時 瞑想 歩きながら 集中力を高める
19時 お経
20時 座禅
22時 鐘をつく  就寝
<お寺に関する年間行事は?> 略
<葬式は?>基本的には日本と一緒。火葬 必要な部分は保存する。お墓はない。
<一番辛かったこと> 座禅、お経、心の葛藤   

@1月14日(火)案内人 木村芳郎氏文責
  同行者:池田靖氏、木村芳郎氏、ピンケオさん
 東北タイのルーイ県からお招きした高僧プラ・スメティー師の京都見学を池田副代表とピンケオさんと木村の3名がサポートすることになった。
 今日は、平安神宮、動物園、清水寺を中心に散策する予定である。
 午前9時、近鉄大久保駅で落ち合った木村とピンケオさんの2名は、タクシーで城陽市の運動公園近くの宿舎に向かった。宿舎の一室には、高僧と付き人であるピンケオさんの弟が待ちかまえていた。この寒いのに窓は開けたままである。
 挨拶は何とか出来るが、日常会話は話せるわけがない。ピンケオさんの存在がなんと大きく見えたことか。神々しいスーパーウーマン?以後粗略には扱いません。
 「昨夜はよく休めましたか。不自由なことはありませんでしたか」とピンケオさんの通訳で聞いてみたが、「ディー」だそうだ。女性が付き人通さず直接話しても、何らこだわりもなくお坊さんはニコニコ顔で返答している。*さすが、高僧、できとる。黄色い衣の高僧の腰に、ピンケオさん持参のホカロンを巻き、厚手の靴下をはかせていざ出発である。
 タクシーで近鉄大久保駅まで行き、切符を買うのが大変興味深く目が輝いていた。付き人には自分で買うように指導して貴重な体験の押し売りをしておいた。買った切符で改札を通のがまた大変、タイにはバンコクにしか自動改札は無いんだから。山深いルーイや田舎のロイエットから出てきたお二人にはドキドキの初体験であろう。** ホームで電車に乗るとき、オバハンが後ろからぐいぐいと押してきよる。コラッ!お坊さんにさわるなあ。ガードする私をオバハンはグッと睨んでいた。
 近鉄東寺駅で下車して池田副代表の車を待つが、渋滞のせいかなかなか来ない。ふと見るとお坊さんの身体が小刻みに震えている。いくらお坊さんでも寒いものは寒いのだ。熱いお茶でもと、自動販売機の前にまで行くと、これまた自動販売機が珍しく付き人の青年は感心していた。
 お坊さんは12時までに昼食を終えねばならないので、少々早いが市役所前のゼストへ行く。麺が食べたいとのリクエストに食堂に入り、メニュー見てコレ!なんと天麩羅うどんであった。
 食事を済ませて平安神宮へ向かう途中に鴨川を渡った。ユリカモメが舞い川面にはたくさんの鴨が遊んでいる。と、オー、と付き人の目が輝いた。こんなご馳走はイサーンなら一日でいなくなるそうだ。
 平安神宮では朱色の鳥居や神社に非常に興味を抱き、ここのお坊さんに会いたい、と言われ困惑した。仕方がないので赤い巫女さんにお願いして記念写真を撮ったが、巫女さんとお坊さんの取り合わせはいいのかなあ。
 次は京都の誇る動物園、珍しい動物を見てもらおうと勇んで来たものの「本日休園」。事前の調査ができておらん。
早いが、清水寺へ参拝する。ここでは重い鉄の棒を引き上げるのに、付き人君は真っ赤にして奮闘していた。本堂では、お坊さんは熱心に見学されたが、付き人に自分の写真を撮らせることは忘れない。タイのお寺に帰って話の材料になったり、思い出の記念になったりするのであろう。小雨が降ってきて寒いので早く切り上げることにした。
 仕事のあるピンケオさんとは京阪四条の駅で別れ、洛西の池田氏宅へ向かう。彼女のいない車中は、時々噛み合わない会話があるだけで間が持たない。タイの田舎の一人旅で、単語を羅列しているだけの私ではどうにもならん。そのあと洛西高校で会議を終えた木村代表の車で城陽の宿舎まで無事に送り、一日が終わった。それにしても、気さくで気持ちの優しい立派なお坊さんだ。
 明日は妙心寺で日本のお坊さんと対話をされるそうだが、十分な成果をあげていただきたいものである。ピンケオさんおつかれさま。タイ語教室のオチコボレを実感した一日であった。
  *作成者つぶやき:お坊さんは女性と話すかどうか?別の日に私の携帯で川崎のメイと称する女性に話しかけられてたよ。**自動券売機や改札口での経験はアメリカ等であるのでは。




イサーンの高僧をお呼びした。(2)

2021-02-05 05:50:58 | ルーイ
@受け入れの苦労。でも楽しい!
 11日に初めてお坊さんの宿舎探し。タイ留学生ヌットちゃんを連れて、あっちこっち探す。なんせお坊さん受け入れなんて前代未聞なわ家ですから。習慣、タブーを少しでも知って宿舎を考えないと。フウッ!なんとか城陽市のアイリス・インが空いていたのだ。
 12日は木村代表と中務幹事長、それにタイ知識人ゴー先生とでお出迎えに行ったのでありますが、仏門へ帰依したことのある唯一の仏教専門家知識人ゴー先生は、出迎えの車中で、「なんでお坊さんをお呼びするんですか!」真顔の表情で、私めの高僧の招聘事業の無策、いい加減さ、考えの甘さを親切に激しく詰問する。
*出迎えをにぎやかにするには、「花がいるなあ」ー「お坊さんに花は渡せない」エエッ
*「今日は寒いけどお坊さん用のコートは持ってきた」ー「お坊さんは黄色いジャンパー がいる。今から買いに行こう」時間がない。*「祭壇におく仏像はあるの?エ!ない。どうするの?」「誰かの家にないかなあ」*「水を入れる鉢はあるか」「白いひもがいる」「宿舎は共同トイレ、共同風呂だが」ー「共同風呂はいけない。裸は見せない??」
*「晩ご飯はどこで食べてもらおう」ー「食事の時間は朝だけ」*「女性と話してはいけない」「えっ、フォーラムで踊りや楽器の演奏があるのですか?お坊さんは見てはいけないの知らないの。」
最後は、「どうしてすべて準備ができないのにお坊さんを呼ぶんですか!」というだめ押し言。でも、もうすぐ関空に到着されるのだ! 

@どんなお坊さんが!
 五時前に付き人と黄色い衣をまとったお坊さんはニコニコされながら出迎えロビーに出てこられた。小柄ながら、気さくそうで、多くの心配を解除してくれる方のようだった。 お名前  プラ・ラッチャー スメー・ティー (60歳)
お寺  ワット プートゥー・マクナーラマーム
住所  タンボン サーイカーウ アンプー ワンサプン ルーイ県
お坊さんの地位
    タマユット派で、チャオ・カナ・チャングワット・ルーイ(ルーイ県の大僧侶長である。知事と同位である。)(県仏教会会長)
 お坊さん曰く:「私はアメリカや外国には行ったことがある。たいがいその国の習慣に慣れているので特別の配慮は無用。今回は、ご招待していただきありがとう。」この挨拶で全ての気遣いが不要となった。金ぴかの仏像もタイから持参されていたのだ!
@いよいよタイ・フォーラム
 1月13日(祝日月)午前10時30分から始まりました。(南宇治コミセンにて)
 サワディー・ピー・マイ・クラップ!~タイから新春の「元気」をもらいましょう!タイ、ルーイ県から本当に黄色い袈裟を着た僧侶に来ていただくことができました。不可解な世相の中で、高僧から少しでも「生きる知恵」を教えていただけないかと思うのは小人の欲か。いずれにしてもタイ・フォーラムでは寒くて冷え込んだ季節、タイの熱い熱い元気をもらって今年一年のスタートとしたいもの。(当日の挨拶文)
 <スケジュール>
10:30 受付
10:40 タイ、ルーイ県のお坊さんからの「御講話」
11:40 本日のタイ料理の作り方説明とグループ分け
12:30 料理開始(トムヤム・カイ、野菜炒め、ガイヤン、かぼちゃデザートを予定)
13:40 料理が完成するでしょう。
14:00 いただきまーす
14:30 アトラクション開始
その1)「ネーンちゃんのタイ古典舞踊」
その2)「タイ伝統楽器演奏」
その3)「にっぽんむかしばなしー紙芝居」
その4)「にっぽんの調べーヴァイオリン二重奏」
その5)飛び入り「タイのルークトーン演歌」
<記念撮影><自己紹介>
16:00 とりあえず料理は後片づけ
16:30 タイの最新情報
  18:00 日本タイ教育交流協会・会員、新会員総会
 <お坊さんの御行事>(円山会員の車で、10時に宿舎から会場へ来ていただく)
 <会場設営>舞台、祭壇設営(仏像、花瓶、祭壇の花、ローソク、線香、線香を立てるお米か灰か砂の入った茶碗、花瓶、白いと、お水入れの鉢、水かけの束)
 <儀式> お経  五戒を受ける(受けたら酒は飲めない)仏法僧を説く説教、瞑想、内面の葛藤をおさめる 聖水をかける 各人の手首に白い糸を結ぶ、占い 御利益のあるワッペンを全員がいただく。
<特番> すべての公式スケジュール終了後、別室にてタイ人の方たちはお坊さんから占いをしてもらっていた。






イサーンの高僧をお呼びした。(1)

2021-02-05 05:31:51 | ルーイ
@イサーンのお坊さんをお呼びした!
 昨春、本会は宇治鳳凰ロータリークラブより地道な諸活動が認められ報償金をいただいた。ありがたいことだった。そこでその有効な活かし方を会員で相談していたのですがなかなか決まりません。昨夏のイベントのあとの反省会で、そこに参加したタイ人会員に相談してみた。「お坊さんをお呼びするのがいい。私が紹介します」とかなんとかトントン拍子で、後から考えると随分、無謀な招聘を決定したのであります。
 何が”無謀”なのか?答え:だれも上座部仏教を詳しくは知らない。(だからこそ文化理解でお呼びするのだが)そして、どこからどの高僧をお呼びするのか?だれがお世話をするのか?どんな儀礼をしていただくのか?もっと小声で「資金は足るのか!」エエィッ!尻込みはいけない。不可能なことだからやってみよう!そんな気負った気持ち。本音を言えば在日タイ人たちが歓喜されるような行事がいいのでは、といった会員同士の暗黙の了解が働いたのは事実です。在日タイ人はお坊さんに居ながらにしてお出会いできるのだ!
 その後は、タイ仏教(上座部仏教)について調べよう、調べよう、と思うちに、本当にそんなことが実現できるのかいな、いや、タイ人会員が当たってくれたロイエット県の高僧は多忙故に来日不可能らしい、というニュースを聞くに及んで、お迎え意識はやや薄らいでいった。他の会員も言い放し、聞きっぱなし!

@簡単にはいかない。でもおかげさまで!  関空にて
 お坊さんを紹介してくれるタイ人女性の現地の弟が、イサーンのルーイ県の最高僧と接触できたらしい、というニュースは昨年12月末。弟がトラックで行商しているルーイにてアメリカやオーストラリアなどへ仏教の交流活動をされている高僧が「わしが行ったる!」と快諾されたとか。(12月末)でもビザがぞっとするほど煩雑だということを会員もそのタイ人も微塵も考えていないのだった。
 その弟が付き人として日本に来れることも内緒ですが、(紹介者にとっては)今回の行事のもつ重要な目的だったのです。口には出さなかったが。この付き人のビザがでない。私からもバンコクの日本大使館へ電話をかけるが通じないもんだ。1月10日になってバンコク日本大使館から直に私の職場へ電話があった。「付き人って必要なんですか?どんな身分ですか?お坊さんは何をするんですか?就労はしませんね?責任をもってくれますか?十分そちらでよろしく」との館員のだめ押し電話。紹介してくれた在日タイ人女性まで書類の照会などがあり、「こんなにムズカシイとは知らんかった」との弁。来日決定はフォーラム実施の1月13日の3日前。当初、11日到着がチケットが購入が間に合わず、
12日の夕方着の飛行便で来られることが確定。