知らないタイを歩いてみたい!

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イサーン見聞記 1 

2022-02-14 07:25:12 | ハノイ
イサーン見聞記    東北タイ 断想
               木村滋世 (日タイ教育交流協会)

タイの人々、ラオスの人々は東北タイのこ とを 「イサーン」とか「イーサーン」といい ます。 これは古代インドのイサナという 「東北」 の意味をあらわす語からきているそ うです。

タイ国は地理的に、行政的に、あるいは歴 史的、文化的に四つの地域に区分されていま す。 チャオプラヤー川を中心とする平野を中 部タイ、マレー半島部分の南部タイ、古都チェンマイを中心とする北部タイ、それにラオ スとはメコン川をはさんで対峙する「イサー ン」 いわゆる東北タイ、の合計四つの地域で す。 日本における北海道、東北、関東、とい った区分とは意味合いが少々異なっています。 

 それぞれが長い歴史の経過の中で、民 伝売、さらには宗教においても異なった 推移を持っており、近代、現代国家のタイ政 治家たちが、産業、行政を中心に水平・統合 化しようと努力しているにもかかわらずそれ その独自性は今なお根強く残っているようです。 特に、私がこれから述べようとする 「イサーン」はその独自性という点では頂点 にある地域ではないかと思います。

首都に住む人々が「イサーン」と聞く時、どんなイメージを頭に浮かべるのか私にはよ くわかりませんが、一種特別の意味合いを持 っているように感じられます。このことは北 部の人たち、南部の人たちもそれぞれニュア ンスが違ったとしても同じような感じを持っ ていると思われます。

それはまた「イサーン」に住んでいる人た ちにもいえるようです。 彼らの話す時の語気 の中にもなにか他の方とは違った文化を 形成しているんだといわんばかりの堂々たる誇りがほとばしっていることも確かです。

私がこのイサーンについて確実な知識とし て知っていることはほとんどありません。 で すから、これから書き進んでいく中でのイサ ーンは多くは研究書、史料などからの引用で やっていくよりしかたがありません。 その中今回の私の見聞をもり込んでいき いと思っています。

正直なところ、なんともタイに旅してい て「イサーンにも一度は行っておかんと話の にもならん」 と思ったのが、イサーンへの旅 立ちの直接の動機であります。 私自身最初の 頃はタイといえばチャオプラヤー平野の稲作 くらいしか頭に浮かんでこなかったのです が、タイにかかわっているうちにいろんな機会にふっとイサーンが無視できない形で登場 してくるのです。 そうしたことをこまごまと 触れることはできませんが、そうした断片か らくる想念が私をしてイサーンに旅立たせた 間接的動機であると思います。

「ここはコンケーン、 私はあなたが帰って くるのを待っている・・・・・」 私が長居させても らっている中部タイの若奥さんソングシーか 美しくも哀感をこめてうたってくれたイサー ンのバラード。なんともいえない麗しく哀し い調べでした。 コンケーンとはイサーン を一つの州とすれば、その州都です。 この歌 で嘆きこの女性に会ってみたいものだ、なんて秘 かにコンケーンを想ったことでした。

もっとリアリステックに私の脳裏に刻み まれたのは、京都でみた 「クルー・パン・ノーク」(田舎の先生)という映画からなのです。





ノーンタカ村(11)バンチェン遺跡

2022-02-09 11:29:34 | ウドンタニー
 アピチャート氏は、こうした学校案内や農家の知人への聞き取りをせっとしてくれた以外に町のはずれにあるバンチェンという遺跡も案内してくれた。ノンハンの町から10キロくらい東に行ったところにあり遠来の客は必ずそこへ案内すると彼は言う。「文明の発祥地は東南アジアにあり?」とリーダーダイジェストに書かれているのを読んだことはある。そのバンチェンの博物館にはアピチャート氏の友人が勤めているのでいろいろ説明してくれる、とのことである。しかし、あいにく閉館であった。
 このバンチェンは小高い丘にあって面積にしておよそ2・5平米とのことであるが、その丘全体が一つの墓になっていて人骨や鉄器、青銅器、土器が無数に発見されたところである。私は考古学のことは分からないが、古代メソポタミアが一応、人類の文明の発生地とされる、そこで村落を形成し、農耕ををし、紀元前6000年頃には銅を用いた道具を作っていたとされる世界史の中で、ここバンチェンでは地層の紀元前1万年前のところで栽培植物の炭化が発見され、紀元前6800年前の地層から土器が発見されたということは一体何を物語るのであろうか?
 博物館が閉まっていたので、現在、発掘展示場になっている寺院の敷地へ行った。人骨や土器の小片が1~2メートルの地層にこびりついている。新築中のお寺の壁に貼り付ける彫刻を彫っている若い僧侶がノミを手に汗をかきながら作業をしていた。タテ2メートル、ヨコ50センチくらいの硬木に竜巻雲のような台座の上にお釈迦様が二人座っているような図柄の彫刻を彫り刻んでいる。一枚の板を仕上げるのに45日はかかる、と僧侶は言う。数十枚は彫っていく予定とのことである。こうした彫刻技術はラオスのルワンプラ版で少年僧の頃学んだそうである。そういえば別の村で若い農夫が胸にクメール語の刺青を刻んでいるのを見たことがあるが、東北タイではまさしく文化圏、文明圏はクメールやラオスなどと深くかかわっていることが分かる。