知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

サバナケットで出会った娘たち

2020-03-25 06:10:40 | サバナケット
ある朝、ゲストハウスで出発まで少し時間があったので、庭で掃き掃除をしているメイド二人の娘にインタビューしてみた。(2019/3/18)

 最初はピンクのシャツの子:名前はゲオ、12才、生まれは木曜日としか記憶がない。
 ここで働くのは従姉のツテ。ここで働くのは2か月目だが、とてもサヌック!自分の将来は?-お金を貯めて両親を幸せにすること。兄弟は男二人、一人は働きながら学校へ行っている、もう一人は勉強している。
いま、お金があれば~リップスティックを買いたい、とのこと。

 インタビューの途中にその従姉が加わる~名前はルン。16歳でここで3ヶ月働いている。このゲストハウスで住むこともできていい。出身はサバナケット県バンポントウ村。
学校へは行ってないが読み書きはできる。両親は農業
 兄妹は7人。 自分は五女である。
 長女 結婚している、次女と四女はヴェンチャンにいる。その次が長男で食堂で
 働く。六女は10歳で勉強している。

 仕送りは月に500000チャットは考えている。ここでは特に休日はないが断ればできる。(1チャット0.08円)*4000円くらい?

 インタビューのお礼に、日本のお菓子とちりめんじゃこ、それに50バーツをチップに渡そうとする。
 しかし、二人はとても困った顔をする。チップはもちろんのこと。おみやげも受け取ろうともしない。テーブルの上に置きっぱなしである。
 タイのバンコクなどでの有様と全く違う~「恵まれる」という行為、「タンブン」の意味、まったく不可解である。
 貧しいはずの二人の娘が、お金もおみやげも受け取ろうとしない、というより迷惑そうな表情で困っている。一瞬、フリーズ(氷ついている)している。

 なぜ、こういう反応になるのか?私は地球上で美徳を護る最後の民ではないかと勘ぐった。我々が理解しようとする世界とは違う届かない別の世界で生きている少女たちだった。
 人から恵んでもらう風習がない?
 親や仏教で「人から物をもらう行為」は禁止しているのか?
 自分は、貧しいけれども知らない人からお金などを受け取るほど精神が衰えては
 いない、という自負、プライドか?
 
その後、痛く考え込んだのだがまだ、理解できないのだ。
 見知らぬ人から「恵んでもらう」ことは最大の罪悪か?
 宿のオーナーから「チップなど」は受け取るな!と命じられている?

 タイの知り合いの先生に聞くと「両親の教え」ではないだろうか?ということだった。
  どんな教えなのが?「自分が働いた対価としてのお金なら受け取ってもいいが」ということなのだろうか?
 人類最後の「美徳」を垣間見た瞬間だった。

 お金もおみやげも我々が出ていくときもテーブルに置いてあった。

♡当時のメモより:
 「二人は凍りついたようだった。同じように私も凍り付いたようだった。
その後にトクトクが来たので荷物をまとめチェックアウトをしに外へ出て、先ほどのテーブルをみた。びっくりした。おみやげとお金がそのままに置きっぱなしである。我々が問いかけて答えを見つけるには届かない世界に生きている少女たちであった。いまだに横糸、縦糸はずしても見えてこない。。。。。。。。
 私は、この世の中で、このように清らかに、俗世にいても壊れずに働いている少女たちを見たことはない。二人とも小学校にも行っていない、学校は一度も行ったことがない当然、読み書きもままならない娘たち。
 こうしてはいけないとは知らずに、もってきた日本のおみやげと50バーツをテーブルに出してしまった。それを見て年上の方が相当、困惑したような表情になり、目もうつろに見えた。「ノーノー」と拒む。下の女の子を見たりキョロキョロする。なにかとんでもない悪事を犯してしまったかのようなしぐさである。
 私はこれほど幼い子がすっかりセルフコントロールを失なった表情を見たことがなかった。彼女の教わった人生の尺度にはこうしたやり取りはまったく組み込まれていないのだ。もしくは禁断の果実を食べることになるのであり、そうした誘惑から超越して、快いことを身をていして守っていくことしか見えなかった。何のためにもらうのか?チップ、お小遣いという言葉の意味が存在しない別次元の世界に生きているようであった。」
 




ムクダハン、サバナケットの旅 (1)

2020-03-23 10:35:31 | サバナケット
平成31年3月のタイの旅~夕日をサバナケットで、朝陽をムクダハンで見よう。
  
    航空券¥74726、国内線 バンコク~ウボン¥8307(N氏)
    タイ航空 ウボン~バンコク 2090バーツ(一人) 木村マイレージにて       不足分¥2850

3/15(金) 23時20分関空着
 電車賃350円、リムジンバス4180円(往復)、夕食(ファミマ)460円、お菓子2800       円
 N氏と2Fベンチで仮眠、そんな寝方をする若者も、特に女性も多くいるんだ。


3/16(土)
  午前5時半にカウンターで並ぶ。  
  KIX08:30➡DMK12時40分ノックスクート
 朝ごはんも野菜を中心に(待ちあいロビーのファミマで購入)

  
<タイ人の家族>車いすの母親の世話をしながら、5人の子ども達(?)が丸テーブルを囲んで、静かに食事をしている。女4人、男1人。ファミマでヌードルを買って食べている。話はほとんどしてないが母親を中心に、硬い絆でつながれている雰囲気になぜか感動!家族のあり方が凝縮された一場面だった。


ドムアン着     A1シャトルバスにて 35バーツ
 A1バス、ほぼ満員。車掌に見とれる。ぎっしりの乗客の中をかき分けて切符を売る。お金を受け取る。お札なら縦に折って箱の蓋に挟み、筒からチケットを取り出し、該当料金にパンチを入れる。それをちぎってお客に渡していく。お釣りだってあるのだから大変。この作業におどろく、みとれている。 

ウォールストリートインにチェックイン
窓なし、で安さで勝負。日本人親しみやすい。
      
マッサージ 2時間 630バーツ                                          夕食700バーツ  その他1900バーツ  両替6万円
選挙前の繁華街は真っ暗。どうなってるの?別の繁華街を紹介する男も出没
ちょっと繁華街を散策


 暗闇の路地でマイラックのママはラインで商売する、ライン様様、駆使する。

3/17(日)  タクシー 300バーツ ドムアンまで
 05:30でチェックイン 

 荷物検査のおかまちゃん。
  お「カバンひとつづつ」、「ベルト、ケイタイおいて」
  私「日本語うまいですね」
  お「少し カッ」
  こういう会話:
タイの社会は、面白い会話、楽しい会話、みんなが「面白い社会」をつくろうと精一杯がんばっている、としか思えない社会だ。

空港内で朝飯、日本のラーメン+持参のひじき白豆 +水  35バーツ水

エアアジアに 07:40~08:55
ウボンラチャタニー空港へ

  N氏両替したいが銀行はなし。タクシーでバスステーションへ  100バーツ
 

ロットーとバスが互い違いにやってくる。

10時30分のバスに乗り、ムクダハンへ 

 途中にやや大きな町に付おおくの人がおりるのでつられて降りる。でも、こんなにはやくムクダハンに着くのだろうか?
聞いてみると「アムナートチャルン」だとさ。急いで乗りなおすと今まで座ってたシートは別の人にとられてもうた。

ムクダハンへ  13:30着
  N氏、両替を、なんとこのバスステーションのATMを使ってやる。すごい!


  やっと昼飯という活動に入る。豚ラーメンを食す。

  大きな町だ。30度の暑さに疲れる。土地ぼこりが町を彩っている。


タイ・ラオ・インターナショナル・バスに乗る。
14:30発 

  国境のイミグレーションは「ストレス」をもよおす。
やがてタイ側のイミグレ、カスタムオフィースへ。パスポート提示で簡単。

第二友好橋を通過。日本の支援で造られた橋である。2006年日本人技師3名が犠牲になった。思わず手を合わす。

*国際バスが橋の上で「プッツプ~!」とクラクションを流す?何の意味があるのだろう?
  ルークトン(演歌)を流していた車内バスが橋の中ほどに来て、なにか解説を始める。ラオ語のようでわからない。「ピーノンピーノン」(兄弟?)という言葉だけわかったような気になる。どんな内容なのかとても気にはなる。今度行ったら録音でもしようか?隣のラオス人に聞いても笑っているだけ。

やはりラオ側のイミグレは手間取った。パスポートを渡した切。
どこでイミグレカードをいただけるのか?現地の人と外の者との窓口が違う、など。なんでもかんでも一か所にしてくれや!役人の都合か!

ラオスは国土が未開発だ!人口が少ないのか、外圧が緩いのか、マイペースの開発停滞のように見うけれる。そして気が遠くなる。
こんな光景に突入する!


サバナケット、バスステーション到着(15:20)

サバナケット着 、バスステーションは実に簡素なものだ。近づいてきたトクトクの運転手に、市内観光とホテルの紹介を頼む。

「町のレストランや遊べるところを紹介してくれ!~「よし!」
「川沿いのゲストハウスを紹介してくれ!」~「よし!」
ちょっと町らしくなってきた。

一軒目、西洋人と現地妻の経営の宿。やる気を感じられない。逃げるようにトクトクの乗る。
次なるは川沿いのゲストハウス。道を隔ててメコン川があり、夕日がメコン川に鏡のように輝いている。しかし、空気が曇ってかすんで燃えているようで気怠い。3月はこんなものなのか?
Nong Soda Guest House   400バーツ/一人

 蚊がどこからともなく上下に舞っていた。トイレのレンガが壊れていてわびしさを醸し出す。少し休息を取り、

トクトクのおじさんに町のスポットを案内してもう。
こんなのもある。

お腹が空いたのでエアコン付のレストランへ入る。 Ban Nam Lao Resuturant
大盛サラダ、エビ焼き飯、空芯菜炒め、少しビール 500バーツ


3/18(月)
朝、N氏と町の情景を見に散歩。小さな市場に差し掛かり、
遠くからお坊さんたちが隊列を組んでやってくる。
 お坊さんの隊列に出会う。庶民がサイバーツする光景に出くわす。いい空気が流れる。
 結局、東南アジアの上座部仏教はこれほどまでに民衆に近く、市場に近く、人々の心に近い。人々はこうした光景を生活の規範、基盤として原風景として魂に焼き付けているにちがいない。うらやましい限りだ。


やや通りを中へ入ってくと数件が群がった朝市がある。食の祭典である。

 小さな市場を何店か過ぎたはずれに米蔵のような重厚な伝統をにおわす造りの小屋がある。のぞいてみよう。

駄菓子屋さん、オイリャーコーヒーを売る店、お弁当もある。
ツバメが巣の幼鳥にエサをやるために戻ってくる親鳥を連想する。いや、ハチの巣に戻ってくるハチのようにも連想する。まあ、とにかく、いろんな人が買いに来る。
主婦だったり、子どもだったり、学生だったり、勤め人だったり。朝食でお口に必要なものをこのお店で調達していく。



まったく、見飽きることはない。幸せ国民指数が、その笑顔、その動き、活気で相当高いことが伺える。胃袋を満たすためにまず、お金が動くラオス。

お店の裏口には円テーブルに古老たちがコーヒーやパンをとりながら談笑している。
毎朝のことじゃろう!人々のコスモスだ。
カーキ色の公務員のような女性がバイクで何か買いに来てその場に加わって、そしてどこかへ消えていく。こうした経済活動をみていると人々の物の豊かさ、心の豊かさのほどよいバランスはどうあるべきか、垣間見ることができる。

厨房に中に入れてもらってコーヒーを立ててコップに入れる手際を見せていただく。

帰り道、学校の前を通りかかった。やはり未来の投資、教育は大切にされていることが伺える。国家の建設は教育からである。