知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ナコンパノム・ターケークの回遊 (1)

2020-03-30 10:17:18 | ナコンパノム
平成31年(2019年)1月26日(土)~1月28日(月)行ってきました。
   KIX~DMK 往復 ¥24,720  (1/22~1/28)

   1/26 DMK(FD3398タイ・エアアジア) 08:30発~ KOP10:00 着 1h30m
 1/28 KOP(FD3397タイ・エアアジア ) 16:50発~DMK 18:05 1h15m 毎日 
           ¥6、600往復 

1/26(土) ドムアン空港で朝飯  日本のラーメンとビール 早朝のチェックインお
腹がすきますね。ホテルからタクシー、値段交渉、ドムアンの検査など。本心睡眠不足ですが。

08:30 バンコクのパパデンが足元に見える。

10:00 ナコンパノム空港へ着
 バンコクから1時間で600キロのイサーンへ。なにか素朴で懐かしい。

 空港はかなり町からは遠い~タクシーでホテルへ行くしかない。(17キロ)
 SPレジデンスなるホテルへ  なかなか好評価のホテルである。2000円程度
11:30 チェックイン
 チークを椅子やベッドなどふんだんに使っている重厚な雰囲気でああるが、
 とはいっても、少し家族経営的な垢ぬけのしないホテル。 3つ星ホテル?
     193/1 Nittayo Road, Nai Muang

  少し休息をとり、午後遅くに散歩することに。
 ホテルを出る。ニッタヨ大通りに出る。5~6分でメコン川に着く。
当然のことながら太陽は西に傾いている。町はこれから日が沈んで暗くなってくるがメコンの河原はまだまだ輝いて明るいのはなぜだろうか?

 対岸にラオスの家並みが見える。その向こうの方にのこぎりのようなでこぼこした
 山並みが控える。靄に煙っている。

 こういった時間にここナコンパトムナーガヤードは賑わいを帯びてくる。
 メコンを右にみながら北へ歩いていく。
 *ナーガ蛇神の顔、ライオンのように見える。ヒンズー神話の中の多頭蛇らしい。
いつ建立されたか知らないが大きなランドマークとなって市民に敬虔な場所として親しまれている。
 ぐるぐる回ってお祈りをする人。

家族の寄進行事なのか、法事のようなものなのか、お坊さん達の読経に大勢の人が祭壇に線香や供養もの、花などを手向けている。

トリップアートまであるんだ。



今日は土曜日なのだ。            
それぞれが心身ともにリラックスして散歩している。なにか募金をしている大学生もいる。
市民の健康を視野に入れた広場が用意されている感じ
サイクリングロード、ジョッギングロードも充実している。

クルージングの桟橋

数年前に乗ったことがある。一人で乗るのも寂しいの通り過ぎる。 遡上して前知事官舎、聖アンナカトリック寺院まで行き、右にまわりラオスのカムモアネ、ターケークを横に見ながら川下へ向かい、タイ側のクロン寺、ポーシー寺、ナーガ神のあるプロヨシリソタナカラ広場を見ながらオーカー寺、ベトナム時計塔を終点に12キロ、約2時間弱のクルージングである。

インドシナ市場(ナイトマーケット)この呼称の市場は、ベトナム圏を意識した経済共同体のようにも感じるが、中国製品も多い。いずれにしても小さな規模で縁日のよう。市民は結構楽しんでいるようにも見える。

小さな屋台、かばん、衣類、お菓子、ケイタイなど雑多な物が売られてる。素朴なローカルマーケット、食料品から日用雑貨品、掘り出し物をあさったり冷やかしたりするのにもってこいの場所。あまり大きな期待はしないほうがいい。

イミグレーション、ベトナム時計塔

とある店でルークチンを買って川を見下ろす石段に座って晩御飯とする。
1キロ程度の市場を往復して夜のとばりがおりたのでホテルへ帰ることに。

1/27(日) ナコンパノム~ターケークへ
 朝の情景を見るべし5時半に起きてホテルから川へ向かう。
 まだ、暗い。でも、街灯はしっかりしたものだ。予算がついている。

 なんと朝の自転車のロードレース大会だ。5,60台の自転車がスタートを待っている。警官の警備やプレスの写真団たちも出場。この町の大きなイベントと見うける。
TATの情報によれば、「コーン川沿い文化を多くの人に伝えるだけでなく健康のための国際イベント」となっており、2017年1月に初めて開催。
コーンケーン – カラシン – サコンナコーン – ナコーンパノム 4県を繋ぐ長距離ルートとのこと。
となると今朝はサコンナコンまで行くレースなのだろう。


対岸、ラオスのターケークの黎明も視野に入る。

おっと、ナーガ蛇神さま、なんと水を吐いておられるではないか!思わず飲み込む。

そして手の込んだナーガの多頭蛇の供物が日常の信仰の深さを見せつける。お坊さんが一日の節を踏みつけていく。

コンビニで朝のパンと野菜サラダを買ってホテルへ帰る。
7時30分 チェックアウト  あまりにこのホテルへの馴染みもなかった。

さて、いよいよ国際バスに乗って、橋を渡ってラオスへいく予定である。そのためにはまず、バス・ステーションまで行かねばならぬ。フロントに8時出発でトクトクをお願いする。
 
 ロビーで待っているときにそのことは起こった。
 
従業員の一人がすれ違いざまに「パイナイボー?」(どこへ行きますか?)と尋ねてきた。昨日から、時折見覚えがあったので、「ターケークへ」と答える。すると時計を眺めながら、「バスステーションまでは何で行きますか?」と来る。親切そうな人の情を感じさせる。旅はそんな袖するも多少の縁、なのか。
さらにつっこんで「8時には非番になるので一緒にいきますか?」となる。

こういう時の貧乏人の発想は~これにはガイド料が発生する。まあ、読める範囲の額だろう、でも道中は案内がつく、旅に集中できる。どうせ日帰りのラオス行きだ。旅は道連れ世は情け、調子に乗って、お願いすることにした。

まあ、突然のことなので、とりあえずどういう形にしろターケークへ行っておくのが今回の方針だ。その従業員はもう少しホテルに仕事がありそうだ。そんなの当てにしてたら遅れて行けないかもしれない、と察し、一人でトクトクでバスステーションへ行く

ことにする。

さっと、ナコンパノム・バス・ステーションに着いた。
8時30分ターケーク行があったが、先ほどのおぼろげな約束もあったので9時30分まで待ってみることにした。
さて、時間ができたのでここからタイのどこへバスはつながっているのか、見て回った。
あれ、チェンライ行が毎日3便もあるじゃないか!スタークラスで702バーツ、スーパー(夜行)で819バーツ。どこを通っていくのであろうか?気が遠くなる。
と思うと今度はチェンマイ行きもある。イサーンと北タイとは結構つながっているんだな。乗り換えもせずにチェンマイ、チェンライとは。
ナコンパノム~ウタラデット~チェンマイ経由だ。
当然、首都のバンコクへだってあるはず。一日何便もある。VIPバスもある。
ムクダハン行もある。近距離なのでロットゥーも充実しているようだ。
コンケンへも行く。つまりは蜘蛛の巣のように放射線状にバス網が張り巡らされていくのがナコンパノムだ。
どれもこれも昼間に乗ってみてゆっくりと車窓を楽しみたいと思うのだが。

さて、ターケーク行の国際バスを待っている間に、例のホテルの従業員がバイクでやってきた。なかなか積極的だな、たぶん、こういう一人の者旅人に寄り添ってナコンパノムやラオスにガイドをすることを副業としているに違いない。

ターケークへは8時30分始発でだいたい1時間おきに17時までバスがある。17時で終わりか!
一人片道75バーツ、従業員は二人分を手際よく買ってくれた。でも、今後、どれほどの経費がいるのだろうか?一人旅の方が良かったような気になる。
荷物を積んでさあ、出発だ。

9時30分過ぎに大型バスはゆっくりとラオスへ向けて出発した。



















ムクダハン・サバナケットの旅 (2)

2020-03-26 10:58:01 | ムクダハン
3/18(月)   トクトクがゲストハウスに約束の午前10時迎えに来る。

<サバナケットの印象>ラオスでは中堅都市といえるだろう。道がまっすぐしてない。
とにかく産業基盤が少ない。観光、開発、建設、すべてが発展途中であり、中途半端に映る。
しかし、その分、タイの原型が生きているように思う。素朴、敬虔、倫理観

10時30分発のタイ・ラオ・インターナショナル・バスに乗る。バスはイミグレまででこちらが手続きしている間に姿を消す。次のバスに荷物は入っている。


乗っている人はだいたいがイサーン顔だ。必ずと言っていいほど赤子を連れている若い母親が乗っているのは不思議だ。

メコン川を渡ればタイ、ムクダハンである。

行しにタイのイミグレカードを書いていたので手続きはスムーズにいった。


ムクダハンのバス・ステーションからトクトクに乗り、ホテル探しと若干の観光に。
   運転手 063-68010串 モウサラネさん 一か所につき50~100バーツで行ってくれる。

 川沿いのホテルへ(近くにインドチャイナ市場がある)
リバーフロントホテル 一人850バーツ(アゴダと同じ)
 メコン川が遠望できる。  部屋で洗濯をしてベランダに干す。ベットも申し分なし。


 トクトクの運ちゃんに観光スポットへ連れて行ってもらい、大きな木陰で記念写真。
石仏さんも私もメコンとムクダハンへ瞑想を届けている。
 川を南へ沿って行く。走って10分、「ピーカイ」というアミュズメントに立ち寄る.3:00  06145322碌々


さすがにメコン川と関係のある雑貨を売っている店も多い。


 「おいしい」というレストランでランチ エビフライとサラダを食べる。
 歩いて25分、とりあえずマッサージへ2時間。2hs 400B 姉妹親戚のもので経営している。陽気なモーたち。   


ついでに床屋へ(70バーツ)

うんちゃんに、縁日のようなにぎやかなところで降ろしてもらった。この門の向日が縁日だ。月曜日の午後~夕方オープンしている。
お寺の外苑を囲むように市がでている。門前町か?子どもも楽しそう。

路上にござを引いてマニュキヤ職人の前に若い娘が多く並んでいるのが目に残った。どこの田舎でも若い娘はファッションに目が無い。ゴザと爪塗りか!ラオスとはまた違いますね。


基本的には「野菜」を買ってホテルで食べたいのだが、こうしてゆっくりご当地のタラート(市場)を冷やかすのはタイの旅の醍醐味だ。とにかく、サラダを売っている店を探して回った。ほぼ90%が胃袋にはいる品物である。
アイスキャンディー屋もあれば果物や、
お寺へ参るお供え物用お花屋、
美味しそうだが鶏は食べられない私。
豊かな食材である。


宿に帰って、荷物をみたら日本で買ったお菓子が必要以上にある。「そうだ、フロントの娘たちにあげよう!」ということで夜に持って行く。大喜びだった。


3/19(火)
 リバーサイドフロントホテルの最大の楽しみは朝食だろう。
 朝食の中身がどうこうでなく、最高階5Fの食堂から目の前に見えるメコン川の情景を
 見ながら食する気分である。こういう楽しみはヴェンチャンの川沿いのホテルにも似ている。食べながらシャッターを押す。
 ブレックファーストを口にするのを忘れそうな豪華な朝陽のメコン川


 朝陽はムクダハンが良く似合う。
ホテルの前のインドシナ市場は朝はまったく人通りがない。


 8時 トクトクが迎えに来た。荷物をまとめて乗り込みバスステーションへ。


  8時15分発のウボン行のロッツーに乗った。

 10時45分、ウボンのバスステーションへ到着。

ウボンはタクシーが急増している。

バンコク往きの飛行機の時間はゆうにあったので空港近くのマッサージやに行く。1年前に来たことがある。マッサージ師のなかには私を覚えていてくれた。N氏との旅はまったく融通性、無計画性、以心伝心性がいい。
二回目のマッサージ屋。


 2時間ゆっくりと休憩できた。

移動はメータータクシーで一区間100バーツ。
 13:30 空港へ。 お昼は空港内の売店でランチを買い、持ち込んだ野菜とともに食べる。それにしてもよく草(野菜)を食べる。糖尿内科と栄養士の指導による。


 タイ航空 は15:00発で スワナプームに16:00に到着した。

 シーロムのトリニティーホテルに着いたのは 19:10になっていた。

 飲み屋に出かけた。そして、恒例の在タイ日本人や招へいのタイの留学生などと「日本料理」店でパーティーをする。

お金が湯水のごとく流れ浪費されていく。

3/20(水) N氏、別行動で。彼によるとルンピニの野生のワニを見に行って、その足でクロントイ市場へ。そしてアソークのマッサージ、ロータスへ歩いて行ってきたらしい。

私: ニューロードにある散髪屋へ。切る、染める、耳掃除で460バーツ。従業員も取り仕切っているお婆さんも顔なじみ。
中国色があり古いお菓子や中国風メニューのレストランがあり活気がある。 午後はMBKへ。 お昼はベトナム春巻きをフードコートで食べる。

夕方、ホテルに日本のおみやげを取りに帰り、午後5時すぎからすすきのにて、知り合い日本料理店でパーティーを。ペム(学生)日本へ日本語を勉強に来たいそうだ。ボー(学生)、明日はラッパリンヤー(卒業式)である。N氏とO氏と参列する予定。それにクレイン(ボーの友人)
ペムはチェンライ出身。実はお父さんの交通事故でちょっとお金の問題で日本行きは延期、とのこと。
 両替をする。

3/21(木)
  トリニティーのロビーから右に折れてシーロムに向かう手前にはほとんどの朝に市場が出ている。これを見るのも楽しみだ。豊富な食事がテイクアウトできる。トリニティーに朝食が付かないのもこのせいだろうか?
おいしい店はすぐに並ぶ。
朝からカバンやアクセサリー、下着などを買う必要があるのだろうか?食べ物調達だけの市場ではないのが面白い。

 正午にアソークのセンターポイントのロビーへ。O氏と会う。
夕方には空港へ行かねばならないので荷物をホテルから持ってきてターミナル21のコーナーへ預ける。

 そのままエアポートリンクにのり、ラームカムヘン大学へ。
午後の卒業式と聞いていたので、大学の裏門当たりのマッサージ屋でタイの最終のマッサージ体制に入る。

 時間が少しあったので、大学近くのマッサージ屋へ。2時間。

 途中で、大学内のボー側からそろそろ来てほしい、との連絡があった。
 校内で出会うのは一苦労。暑い。やっと出会って写真を撮ってお祝いをする。親戚の人とも会う。
 4時頃に、出たとこ勝負でバスに乗り、降りたところがプロンポーン。少し歩いたら居酒屋おふくろだ。一杯やろう、ということでガラガラの部屋へ。
 荷物をターミナル21に預けていたので取りに行き
 ドムアン空港へ   到着 20:30
 DMK 23:40発   KIX07:10で帰国





サバナケットで出会った娘たち

2020-03-25 06:10:40 | サバナケット
ある朝、ゲストハウスで出発まで少し時間があったので、庭で掃き掃除をしているメイド二人の娘にインタビューしてみた。(2019/3/18)

 最初はピンクのシャツの子:名前はゲオ、12才、生まれは木曜日としか記憶がない。
 ここで働くのは従姉のツテ。ここで働くのは2か月目だが、とてもサヌック!自分の将来は?-お金を貯めて両親を幸せにすること。兄弟は男二人、一人は働きながら学校へ行っている、もう一人は勉強している。
いま、お金があれば~リップスティックを買いたい、とのこと。

 インタビューの途中にその従姉が加わる~名前はルン。16歳でここで3ヶ月働いている。このゲストハウスで住むこともできていい。出身はサバナケット県バンポントウ村。
学校へは行ってないが読み書きはできる。両親は農業
 兄妹は7人。 自分は五女である。
 長女 結婚している、次女と四女はヴェンチャンにいる。その次が長男で食堂で
 働く。六女は10歳で勉強している。

 仕送りは月に500000チャットは考えている。ここでは特に休日はないが断ればできる。(1チャット0.08円)*4000円くらい?

 インタビューのお礼に、日本のお菓子とちりめんじゃこ、それに50バーツをチップに渡そうとする。
 しかし、二人はとても困った顔をする。チップはもちろんのこと。おみやげも受け取ろうともしない。テーブルの上に置きっぱなしである。
 タイのバンコクなどでの有様と全く違う~「恵まれる」という行為、「タンブン」の意味、まったく不可解である。
 貧しいはずの二人の娘が、お金もおみやげも受け取ろうとしない、というより迷惑そうな表情で困っている。一瞬、フリーズ(氷ついている)している。

 なぜ、こういう反応になるのか?私は地球上で美徳を護る最後の民ではないかと勘ぐった。我々が理解しようとする世界とは違う届かない別の世界で生きている少女たちだった。
 人から恵んでもらう風習がない?
 親や仏教で「人から物をもらう行為」は禁止しているのか?
 自分は、貧しいけれども知らない人からお金などを受け取るほど精神が衰えては
 いない、という自負、プライドか?
 
その後、痛く考え込んだのだがまだ、理解できないのだ。
 見知らぬ人から「恵んでもらう」ことは最大の罪悪か?
 宿のオーナーから「チップなど」は受け取るな!と命じられている?

 タイの知り合いの先生に聞くと「両親の教え」ではないだろうか?ということだった。
  どんな教えなのが?「自分が働いた対価としてのお金なら受け取ってもいいが」ということなのだろうか?
 人類最後の「美徳」を垣間見た瞬間だった。

 お金もおみやげも我々が出ていくときもテーブルに置いてあった。

♡当時のメモより:
 「二人は凍りついたようだった。同じように私も凍り付いたようだった。
その後にトクトクが来たので荷物をまとめチェックアウトをしに外へ出て、先ほどのテーブルをみた。びっくりした。おみやげとお金がそのままに置きっぱなしである。我々が問いかけて答えを見つけるには届かない世界に生きている少女たちであった。いまだに横糸、縦糸はずしても見えてこない。。。。。。。。
 私は、この世の中で、このように清らかに、俗世にいても壊れずに働いている少女たちを見たことはない。二人とも小学校にも行っていない、学校は一度も行ったことがない当然、読み書きもままならない娘たち。
 こうしてはいけないとは知らずに、もってきた日本のおみやげと50バーツをテーブルに出してしまった。それを見て年上の方が相当、困惑したような表情になり、目もうつろに見えた。「ノーノー」と拒む。下の女の子を見たりキョロキョロする。なにかとんでもない悪事を犯してしまったかのようなしぐさである。
 私はこれほど幼い子がすっかりセルフコントロールを失なった表情を見たことがなかった。彼女の教わった人生の尺度にはこうしたやり取りはまったく組み込まれていないのだ。もしくは禁断の果実を食べることになるのであり、そうした誘惑から超越して、快いことを身をていして守っていくことしか見えなかった。何のためにもらうのか?チップ、お小遣いという言葉の意味が存在しない別次元の世界に生きているようであった。」
 




ムクダハン、サバナケットの旅 (1)

2020-03-23 10:35:31 | サバナケット
平成31年3月のタイの旅~夕日をサバナケットで、朝陽をムクダハンで見よう。
  
    航空券¥74726、国内線 バンコク~ウボン¥8307(N氏)
    タイ航空 ウボン~バンコク 2090バーツ(一人) 木村マイレージにて       不足分¥2850

3/15(金) 23時20分関空着
 電車賃350円、リムジンバス4180円(往復)、夕食(ファミマ)460円、お菓子2800       円
 N氏と2Fベンチで仮眠、そんな寝方をする若者も、特に女性も多くいるんだ。


3/16(土)
  午前5時半にカウンターで並ぶ。  
  KIX08:30➡DMK12時40分ノックスクート
 朝ごはんも野菜を中心に(待ちあいロビーのファミマで購入)

  
<タイ人の家族>車いすの母親の世話をしながら、5人の子ども達(?)が丸テーブルを囲んで、静かに食事をしている。女4人、男1人。ファミマでヌードルを買って食べている。話はほとんどしてないが母親を中心に、硬い絆でつながれている雰囲気になぜか感動!家族のあり方が凝縮された一場面だった。


ドムアン着     A1シャトルバスにて 35バーツ
 A1バス、ほぼ満員。車掌に見とれる。ぎっしりの乗客の中をかき分けて切符を売る。お金を受け取る。お札なら縦に折って箱の蓋に挟み、筒からチケットを取り出し、該当料金にパンチを入れる。それをちぎってお客に渡していく。お釣りだってあるのだから大変。この作業におどろく、みとれている。 

ウォールストリートインにチェックイン
窓なし、で安さで勝負。日本人親しみやすい。
      
マッサージ 2時間 630バーツ                                          夕食700バーツ  その他1900バーツ  両替6万円
選挙前の繁華街は真っ暗。どうなってるの?別の繁華街を紹介する男も出没
ちょっと繁華街を散策


 暗闇の路地でマイラックのママはラインで商売する、ライン様様、駆使する。

3/17(日)  タクシー 300バーツ ドムアンまで
 05:30でチェックイン 

 荷物検査のおかまちゃん。
  お「カバンひとつづつ」、「ベルト、ケイタイおいて」
  私「日本語うまいですね」
  お「少し カッ」
  こういう会話:
タイの社会は、面白い会話、楽しい会話、みんなが「面白い社会」をつくろうと精一杯がんばっている、としか思えない社会だ。

空港内で朝飯、日本のラーメン+持参のひじき白豆 +水  35バーツ水

エアアジアに 07:40~08:55
ウボンラチャタニー空港へ

  N氏両替したいが銀行はなし。タクシーでバスステーションへ  100バーツ
 

ロットーとバスが互い違いにやってくる。

10時30分のバスに乗り、ムクダハンへ 

 途中にやや大きな町に付おおくの人がおりるのでつられて降りる。でも、こんなにはやくムクダハンに着くのだろうか?
聞いてみると「アムナートチャルン」だとさ。急いで乗りなおすと今まで座ってたシートは別の人にとられてもうた。

ムクダハンへ  13:30着
  N氏、両替を、なんとこのバスステーションのATMを使ってやる。すごい!


  やっと昼飯という活動に入る。豚ラーメンを食す。

  大きな町だ。30度の暑さに疲れる。土地ぼこりが町を彩っている。


タイ・ラオ・インターナショナル・バスに乗る。
14:30発 

  国境のイミグレーションは「ストレス」をもよおす。
やがてタイ側のイミグレ、カスタムオフィースへ。パスポート提示で簡単。

第二友好橋を通過。日本の支援で造られた橋である。2006年日本人技師3名が犠牲になった。思わず手を合わす。

*国際バスが橋の上で「プッツプ~!」とクラクションを流す?何の意味があるのだろう?
  ルークトン(演歌)を流していた車内バスが橋の中ほどに来て、なにか解説を始める。ラオ語のようでわからない。「ピーノンピーノン」(兄弟?)という言葉だけわかったような気になる。どんな内容なのかとても気にはなる。今度行ったら録音でもしようか?隣のラオス人に聞いても笑っているだけ。

やはりラオ側のイミグレは手間取った。パスポートを渡した切。
どこでイミグレカードをいただけるのか?現地の人と外の者との窓口が違う、など。なんでもかんでも一か所にしてくれや!役人の都合か!

ラオスは国土が未開発だ!人口が少ないのか、外圧が緩いのか、マイペースの開発停滞のように見うけれる。そして気が遠くなる。
こんな光景に突入する!


サバナケット、バスステーション到着(15:20)

サバナケット着 、バスステーションは実に簡素なものだ。近づいてきたトクトクの運転手に、市内観光とホテルの紹介を頼む。

「町のレストランや遊べるところを紹介してくれ!~「よし!」
「川沿いのゲストハウスを紹介してくれ!」~「よし!」
ちょっと町らしくなってきた。

一軒目、西洋人と現地妻の経営の宿。やる気を感じられない。逃げるようにトクトクの乗る。
次なるは川沿いのゲストハウス。道を隔ててメコン川があり、夕日がメコン川に鏡のように輝いている。しかし、空気が曇ってかすんで燃えているようで気怠い。3月はこんなものなのか?
Nong Soda Guest House   400バーツ/一人

 蚊がどこからともなく上下に舞っていた。トイレのレンガが壊れていてわびしさを醸し出す。少し休息を取り、

トクトクのおじさんに町のスポットを案内してもう。
こんなのもある。

お腹が空いたのでエアコン付のレストランへ入る。 Ban Nam Lao Resuturant
大盛サラダ、エビ焼き飯、空芯菜炒め、少しビール 500バーツ


3/18(月)
朝、N氏と町の情景を見に散歩。小さな市場に差し掛かり、
遠くからお坊さんたちが隊列を組んでやってくる。
 お坊さんの隊列に出会う。庶民がサイバーツする光景に出くわす。いい空気が流れる。
 結局、東南アジアの上座部仏教はこれほどまでに民衆に近く、市場に近く、人々の心に近い。人々はこうした光景を生活の規範、基盤として原風景として魂に焼き付けているにちがいない。うらやましい限りだ。


やや通りを中へ入ってくと数件が群がった朝市がある。食の祭典である。

 小さな市場を何店か過ぎたはずれに米蔵のような重厚な伝統をにおわす造りの小屋がある。のぞいてみよう。

駄菓子屋さん、オイリャーコーヒーを売る店、お弁当もある。
ツバメが巣の幼鳥にエサをやるために戻ってくる親鳥を連想する。いや、ハチの巣に戻ってくるハチのようにも連想する。まあ、とにかく、いろんな人が買いに来る。
主婦だったり、子どもだったり、学生だったり、勤め人だったり。朝食でお口に必要なものをこのお店で調達していく。



まったく、見飽きることはない。幸せ国民指数が、その笑顔、その動き、活気で相当高いことが伺える。胃袋を満たすためにまず、お金が動くラオス。

お店の裏口には円テーブルに古老たちがコーヒーやパンをとりながら談笑している。
毎朝のことじゃろう!人々のコスモスだ。
カーキ色の公務員のような女性がバイクで何か買いに来てその場に加わって、そしてどこかへ消えていく。こうした経済活動をみていると人々の物の豊かさ、心の豊かさのほどよいバランスはどうあるべきか、垣間見ることができる。

厨房に中に入れてもらってコーヒーを立ててコップに入れる手際を見せていただく。

帰り道、学校の前を通りかかった。やはり未来の投資、教育は大切にされていることが伺える。国家の建設は教育からである。








何かうれしいウドム、シラチャーの旅

2020-03-19 05:29:19 | ウドムタニ・シラチャー
平成17年9月15日(木)~19日(月)
踏破箇所  飛行機ーサムローーモーターサイーロットバスにて以下の場所

2005年(平成17年)9月に訪タイははじめてか?雨期とか言われているが洪水は来月以降だろう。今回はわずか4泊だ。貴重な96時間だったが印象に残る変化に富んだ旅行だった。バンコクの新たなホテル、翌日ののんびりとしたマッサージ、長閑なウドムタニの農村、そしてシラチャー、バンセンのエー、ジョイとの小旅行と新発見。サムローの運ちゃん、マッサージのおばちゃん、ウドムのレストランの女将、そしてフロントの受付スタッフ、さらに、とりわけエーさんとジョイがわざわざ会いに行った我々を心から歓迎してくれたナムチャーイ、すべて我々の安逸(サバーイ)創りに真剣にかつ精一杯尽くしてくれた感じがする。それが利益を伴う経済活動の一部だったとしても。人生を楽しむことは多くのタイの人々と目線で付き合うことだ。疑似時間であったとしても。

日 程
9月15日(木) TG775 19:00~23:30 航空券代金:61,000円

 ●大久保発 14:48 16:35
●タクシーにて、タニヤ 23:00 クラブ純へ
●チェックイン  01:00 サイアム・ビバリーホテル *口コミ
       この値段にしては十分である。定宿にしてもよい。フレンドリー、タイ的雰囲気、ホイクワン駅近し、中国人が 多いのは中国大使館       が近いせいもあろうか。空港へのアクセスもいい。翌日国内便利用とか深夜便着の場合は最高環境か。


9月16日(金)
●ホテルにて2時間マッサージ(500B)
 ●11:30 ロビー出発
 ●TG010 バンコク13:40 →ウドムタニー14:45着
●ガリンを止めてトン・  クーンに決める。

●16:30行動開始。サム ローをチャーター
●ソンを見学
●農村へ
●沼のレストランへ
●日本食「トウキョーシ」 で日本酒と刺身、さば、 天ぷら。
ウドン行き13時40分とはビバリーでのんびりできるね。マッサージでもよろうかいな、という気分になる。いいもんだね。とにかく思ったときが「やってしまうとき」時間がないのだ。
35歳のチェンライ出身の既婚女性。夫は新妻をもらった。子どもは学童、オバアチャンが面倒を見ているとのこと。
マッサージをゆっくり2時間、ホテル内なので500B。
ドムアンのアイコにてキツネウドンをシンハーと食す。うまい。横6人椅子の小型の飛行機でウドンへ。3時前に着陸。ホテルを決めるのにガリンかTon Koon か迷う。空港リムジンの兄さんに尋ねる。「トン・クーンが清潔でいい」とのこと。また、該当ホテルのバンが迎えに来ているかでコストに大差が出る。タクシーでは200B市内までかかる。では、バンは無料だ。トン・クーンに決定。フロントレディーに700Bと言われたが会社名を言って600Bに。「昨年まで600だったけれど今年は値上げ」本当のような、一応の常套文句のような。タクシーで200B払って、500バーツホテルに泊まるより、無料送迎バスで600Bのホテルに泊まった方がいい。トンクーンのもう一ついいことは、国際電話の対応もダイレクトに完備していることだ。日程のないウドンの半日観光の始まり。まずは、市内レストラン、それから近くの沼へ。出来たら昔ならがらの農村を見たい。夜はこの町にめずらしい日本食居酒屋へ。ホテル前のサムローの運ちゃんにお願いする。値段は帰ってから、ということで前交渉をしなかった。手は関わりを持たぬような素振りで庭に待機している。市内を若干回り、郊外へ。沼ではその堤防でジョギングをしている市民が多い。やや10分ほど出たところで道路沿いの畑に水牛がいる。水牛に草を喰わす農夫に聞いてみた。農家は豪華な家ばかりである。12ライの水田を持っている。すべてカオニュアを作っている。沼へ。屋形がたくさんあって、金曜日、夕方、宴会は3軒。娘達がサヌックサバーイしている屋形へ乗せてもらいビールを注文。4人女性。カラオケを経営している女店主と従業員が夕食を食べてるところ。店は8時から開くので来てくれとのこと。6時過ぎになったので、そのうち3人もサムローに乗せて市内へ帰る。3人はアップナームするそうで、我々は日本食レストランへ。名前は、「東京市」寿司屋である。冷や熱燗と気分を高める。本来は「キタロウ」に行こうと思ったがもっと大きいきれいな店ができた、とのことでこの店へ。8時前になったのでカラオケ屋に行く。9時にはホテルへ帰宅。

9月17日(土)
●7時、リムジン出発
 ●TG009 8:20ウドン発
●9:20バンコク着
●マジェステックグランデへ荷物預ける。
●エカマエから「バンセン」行くバスに。
●シラチャーへ行ってしまう。
●シラチャーイン投宿
●マッサージ+床屋
●日本居酒屋
●カラオケへ

無惨なシラチャー(良いと思ったことが見事靴上げされる。)バンコクのホテルへ行く運転手にケチ付けたのが運の悪さの始まり。ホテルからエカマエのバスに乗るべし出発したが、歯ブラシはなし、携帯電話なし、その他必需品携行品に入れず。
シラチャーでそのまま誘惑に負けてシラチャー・インで泊。五百何バーツであった。薄汚いゲストハウスで窓も真っ暗。幽霊が出そうなのはこんな場所か。もっとすっきりできないものか。何とかジョイさん(大阪のトーケンに勤めていた)に電話をしなければ。ジョイさんも待っているし。携帯番号をメモしておくべきだったな。住所録には、エックさんの電話あり。そこでチャーに電話。ジョイさんまでたどり着く。今日、バンセンに行けなかったことを告げる。明日の昼には行く、とのことを告げる。

その後、マッサージ2時間、240B(サクラ)へ。床屋400B、そして町を歩いてナイトスクエアーへ。まだ早いとあって日本食も六時かららしい。「花本」という日本食居酒屋へ入店。
酒でのったところでフェニックスへ。帰りにS99とかいうところで、最後、天使(038-771193)



9月18日(日)
●8:30ソンテオにてチョンブリーへ
●アマタナコン、トウケンへ ●チョンブリーの観光
 ●バンセンの海岸
 ●ジョイのアパート
 ●シーフードへ
 ●バンにてバンコクへ
 ●マジェステックグランデア泊

朝、セブンイレブンへ。歯ブラシ、朝食、ビール購入。
江ノ島へ。サムローにて。20B
江ノ島の入り口からオレンジソンテオにてチョンブリーへ。
皆降りたので我々も下車したがそこはチョンブリの手前の町でまだまだアマタまでは距離があった。それを知らないのでモーターサイにて国道を突っ切る。危ないバイクで25分も。
やっとトーケンを見つけた。エーさんが出てきてくれた。嬉しかった。久々の作業服姿のエーさんだった。エーさんはすぐ仕事を休んでくれてバンセン観光に連れて行ってくれた。「日本からアチャーンが会いに来たので」ということで上司に休暇をもらったそうだ。同僚の男の子の車でバンセンの途中の猿の公園カオ・サムックへ。潟には貝の養殖もしている。アンセラーという石の名所も通過。レム・テンという海岸公園へ。そして美容院にいるジョイをつかまえてバンセンビーチのブラッカーランレストランへ。

3時にバンセンからバンに乗って、アヌサワリーまで帰る。エーさん、ジョイさんも付き合ってくれる。1時間ほどでバンコクにつき最後の期待のホテル、マジェステックにチェックインしたところで二人は帰るとのこと。何だせっかく来たくれたのに。でもよく来てくれた。この心遣いが嬉しくてしょうがなかった。エーさんの作業服姿と笑顔が忘れられない。
エーさんは私がチョンブリーに来ると知ったのはジョイへ電話した前日のことだったそうでその時メールを送ってくれたらしい。帰国して見たら、mai nichi kidthung..........buy.......buy....でした。もっと言いたいことはないのか?いや精一杯なのか。
二人は大阪の南巽のトーケンに派遣されこの6月にタイへ戻った社員である。なにか人が良いので気持ちいい。

夕方、ナナ近くでショッピング、BTSでプロンポーンへ。フジスーパーと居酒屋西村へ。従業員からモーションあり。(ベン 04-1808497)西村もつぶれるかと思ったが面白くなっていた。ーにてアソークへ。「悠」にて沈没。


9月19日(月)    
  ●ロビー集合8時半   TG620 11:10発 マニラ経由   21:20着

  マニラ経由でひたすら眠って、無事関空に着きアオパパイヤを持ってはるか10時18分発で京都駅へ向かった。










  
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