知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

心理大国タイ  はじめに

2021-02-20 05:42:03 | ハノイ
 しばらく続いたタイ語の響きもバンコク空港に入り、大阪空港に着くころにはすっかり剥がれてしまった。タイ語をしゃべる群衆がいなくなった精もあるが気分はもうすっかり日本の社会へ適応することを余儀なくされていた。あれほどフレーズとして耳に残ったタイ語が見事耳元から消え去るのである。
 タイ行の魅了の一つはタイ語が聴かれることだ。特にバンコク空港での「プードイサン・プルーサープ!」(お知らせいたします)に始まる館内放送は旅人の疲れをすっかり癒してくれるとともに魔物の入り口に立ったような柔らかさを感じさせる。
 ワンボックスカーのちょっと性能のいいステレオから流れるFMのゆるやかなかすれたようなネコナデ声の女性のトークも心を魅了する以上のものを感じる。
 今回の思索行にて、その場所やその地方で残っているタイ語も例年と同様貴重な財産となった。また、今年初めてタイバージョンのCDが空港で売られているのを発見し即購入した。バンコクのソラー・ハウス社制作のパチャリダという女性歌手のアルバムである。そのタイ歌をずっと聴いているがやや温めのお湯に浸かっているようでここちよい。
 
 1.「ロットファイ」ロット=車、ファイ=火=汽車
 ファランポン駅にてバンコク発6時15分に乗り、ノンカイへ16時50分に到着する急行33号のトワ(切符)を235バーツで購入。
 〇ノンカイへの12時間にも及ぶ汽車の旅においては職業や生活に関するタイ語、例えば「トンテェ・ムアライ・タムガーン・ユー」(いつから働いてるの)とか「タムガン・ボリサット・ティナイ」(どこの会社で働いてる?)といった類の会話が耳に残っている。
 ー車内売り子たちー
 会社はパヌー・ドワン会社。100バーツ売れば10バーツ儲かるというシステム。だいたい1日の儲けは200バーツくらいとのこと。Aさん(男性)の場合、「アユタヤに家がある。この仕事を12年間している。夕べは7時ノンカイ発夜行列車でバンコクに来てそのまま今度はノンカイへ、そしてまたバンコクへフル回転して働いてるんだ。でも明日は1日休暇がもらえるんだ。バンコクの社宅でゆっくり休むよ。家族にはなかなか会えない。この仕事は重たい籠を片手につるすので腕がだるくて痛いんだ。」
 

ホームステイ (11)お別れ

2021-02-19 06:40:34 | シーサケット
最後にお昼ご飯を兼ねてHさんが働くラチャパット大学及び彼女らの高校、その周辺の食堂を回ってみた。

お世話になったシーサケットの皆さんと記念撮影を撮り、午後のバンコク行きのエアコンバスに乗ってシーサケットを後にした。

そこに暮らす人々の心の郷愁のコスモスは何であるのか、外来者を迎え入れる最高の持てなしはどうあるべきか、バンコクなどでは表面的には見えない基層の文化を垣間見る貴重なホームステイの旅だった。2014年11月



ホームステイ (10)クメール遺跡とタイ仏教寺院の共存寺

2021-02-17 07:42:56 | シーサケット
Prasat Hin Wat Sra Kamphaeng Yaiはホームステイ先からシーサケット市内へ向かう途中にあった。

クメール遺跡の上に仏教が覆いかぶさったようなものだが、ここは遺跡が聖地として境内の中庭に大切に野外博物館のように保存されていた。少し離れたところにサ。カンペン・ノイというのもある。ここはヒンズーのシバ神をあがめるために11世紀に造られたという。この遺跡を囲んで仏教寺院はうまく融合して共存している。
おったまげた。この大きさ。
なんでも大きければいいのだろうか?いやいや仏教関係の建造物だけが大きいのではない。クメール遺跡としては、シーサケットでは最も広く保存状態も最高のようだ。
 煉瓦と砂岩の岩で台座とされる卒塔婆が中心に3つある。10世紀ごろの作といわれている。13世紀に上座部仏教として改修、改宗された。
このヒンズーと仏教の共存こそがタイ人の合理主義、融通性、包括精神、ありはマイペンライ精神と言えないだろうか?お隣ラオスの南にあるワットプーもこの精神で過去現在未来へ生き続ける結果になるのだ。

このサ・カンペン・ヤイはピーマイやパノム・ルンなどイサーンにある、いやタイ全土の中でも補修も行き届き見ごたえのあるクメール遺跡だった。
蘭の花や沙羅双樹の花が美しく咲いていた。
シーサケットでの観光時間は誠に限られた中であったが、人々が信仰している対象を二つ伺うことができた。そして彼女らを見ているとこうした遺跡は古い学問対象ではなく、今を生きる、そして興味を持って生かし続けるものであることがよく理解できた。

 そして、シーサケットだけでも10カ所はこうしたポイントがあることも分かった。また、時間があればゆっくりと回ってみたいと思った。









 





ホームステイ (9)お別れ

2021-02-16 06:08:46 | シーサケット
家族を中心に。

ラーシーサライ郡バーン・ドウデン90(ムー9)での一泊二日の貴重な生活体験の機会が終わろうとしている。イサーンの人々が自分のライフサイクルでどのような場所やどのような行為や、どのような意識を持っているのかを垣間見させていただく機会だった。本や写真の紹介ではまったく伝わらない赤子から老人まで共有する空気を空間を感じ取る素晴らしい機会だった。
ここではメナーム・コン、メーナーム・ムン、そしてメーナムワンシオの河川が人々の富をもたらし外界との接点となるいにしえからの文明の糸口であったことが分かる。

村によっては、コム語(コムの碑文がある)や、ユーム語、ユアン語、クメール語、そしてスゥイ語(アンタラックスパンランフシ郡)ユー族のバンファイも有名であるが、このあたりの詳細は今後にまかそう。




ホームステイ (8)村の原風景

2021-02-14 05:29:35 | シーサケット
 朝、オンドリの鳴き声がおぼろげに聞こえて「ああ、田舎に来てるなあ」という懐かしさに目が覚める。村を歩きたい。特にもう一度昨日の桃源郷のワンシオ川の情景を見てみたいと思った。

世話をしてくれた3人とHさんとで家を出て川へ向かう。
午前5時45分
家を出て朝の静寂な道を歩く。すがすがしい何ものでもない。
朝霧の中道で鶏が朝をついばんでいる。長閑なもんだ。
機織り機が軒下で物干し代わりになっている。
なんと朝露がおりている。
10分ほどでワンシオ川が見えてきた。東側から朝陽が登りつつある。
やはり川、水、夕日、朝陽は絶好のコスモスを生み出してくれる。このデア、ウムイム、クワンを見ていると都会の娘のように自撮りをしたり手持ちぶたさになったりはしない。自分たちが育った川や野や田など自然の中でどういう風に遊んだのか、記憶や所作がしっかりとDNAに組み込まれている。そして外来者の我々にその豊かさを共有しようとしてくれる。
こんな事をして遊んだのだろう。

養殖場へ餌をやりに行く漁師が舟を走らせる。
記念に写真を。昨日会ったのにすっかり打ち解けて娘のように感じる。
帰る途中で釜を作って何やら火を燃やしている村人に出会った。
塩を精製しているのかと思ったが堅炭造りの用だった。

<牛の世話をする娘>
なにか普通の光景なのだろうが記憶に残ったのはこの瞬間であった。娘が朝早くから牛を野に放つために向こうからやって来たのだ。農業を営む娘なのか、たまたま親の手伝いをしている娘なのか?組み込まれたイサーンの暮らしの中での自然な光景としたら極めて新鮮な発見と映った。