知らないタイを歩いてみたい!

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「東南アジアで考えたこと」1984(昭和59年)

2024-06-15 03:48:18 | 旅行
「東南アジアで考えたこと」
一、『質しい」ところ
私はここ数日東南アジアを旅しているものです。一 人でリックを背負って農村から農村を歩いているものです。時々、なんでこんな ことをしているのだろう? と不思議に思いながら。

一度でも東南アジアに かれた方はその「食しさ」,「不衛生さ」「不能率さ」 強烈に印象に残り「もう、あんなところはいかない!」とお考えになる方が多いでしょう。

私も確かに日本と比べてみるとその通りだと思います。空港に降りれば怪しげ な業者が数多くたかってきて、配車からホテル宿泊から観光地の手配までしつこく迫ってきます。

一歩街路に出れば簡易バスに人が鈴なり。信号が赤で停まれば就学年齢の児童が花を売ったり新聞を売ったり。掘り起こされた建築現場でも幼い少年までも泥だらけになって働いています。
観光巡りと称して運河でもめぐれば「俺のボートは安い!」と腕を引っ張る。運河は褐色に濁っている。その水で顔を洗い、洗濯をし、米をといでいる。

東北タイの方へ行けば、干ばつで米は獲れず、野山の木の芽や虫を食べてるところもあります。ラテライトの赤茶けた土が素足で学校へ向かう児童たちの後から煙のように舞っている。
その児童たちの多くは、読み書き算ができれば小学校の途中であってりも止めて働くのです。どんな勉学の意志があっても。
 ですから、東南アジアの人々は確かに「貧しい」し、生活は「不衛生」なのです。そんな現場からは目をそらしたり、あまり関わりたくない、と考えたくなるのも事実でしょう。
 二、本当に賛しいのか
しかし、と私は言いたいのです。しかし、私は アジアの姿をそうした基準のみでみてあとほったらかしていていいものだろうか と思うのです。結局そうし た日本人のおおかたの認識の仕方が気になるのです。つまり、経済的な見方が我々には肥大化しているのです。お金という尺度で、商人の目だけで世界を見て いくことは文化的、歴史的 人間の財産を切り捨てることにつながるのです。そこ には人間中心のっ座標が当然 ねしまげられるのです。

タイの農家に泊っているとおかみさんか朝早くから起きて食事の用意をしてくれます。子どもたちが近くの市場まで料理の材料を買いに行ってくれます。稲刈りの仕方を周り若者が教えてくれます。夜は村の人たちか 唄をうたってくれます。彼らのだれでもが「楽しいか?」「面白いか?」と聞き返します。


 相手が自分たちの村に来て「本当に楽しんでいてくれるのかを一番気にするのです。そうです!「安逸」であるかどうか、このことが彼等の視座にあるのです。そこには、デレビやマイコンの豊かな物質的な基準を持たない、人間中心の本来の幸せを求めていこうという空気がいっぱいにあるのです。貧しくあっても。
私は東南アジアの高床式農家にいると、日本が寒々とした列島にみえたり、日本人が黄色い西洋人に見えたりするのです。
(山城高校育友会新聞(昭和59年12月20日)


「タイをなぜ歩くのか}

2024-01-12 11:50:54 | 旅行
昭和55年9月30日発行(1980)
「タイ」のこと (英語科)
―タイ語雑感

「英語さえやっておけばなんとかなる」といって英語会話熱は日本でも盛んである。なる程英語は 国際語になってしまったから世界の人々と語らう場合の最低条件あろう。また進んだ国々の文化 知識を吸収するのにも英語が読めることが必須条件であろう。

ところが面白い話を聞いたことがある。中東のある国に毎年数名の駐在員を送っているある企業の 人事担当の人の話である。毎年英語が堪能な社員を選んでその国に送っていたのであるがある年にち ょっとした事情でタイ語を修めた社員を一名その駐在員に含めたのである。その一名の加入で現地で の経営がそれ以前よりも随分うまくいったという。もちろんその社員の個人的資質にもよろうが、そ れ以後人事担当者は何故かタイ語 に精通した駐在員を毎年加えているそうである。アラビア語とタイ語の関連性は 全くないと言っていい。タイ語より英語の方が会話は通じるのは自明の理である。であるのになぜ現地の人々とスムーズに意思疎通ができて企業にとって成功するのあろうか。

私はタイ語に固執するつもりはない。インドネシア語でもクメール語でも朝鮮語でもいい。すべて世界的に見ればマイノリテ な言語である。そうしたマイノリティの言語を知る事は今日的に大きな意味があるような気がするのである。

そこにはお互いの意思が記号的に通じる以上にある文化を真摯に 理解しようとする態度が体得され ているのではなかろうか。マイノリティ言語圏はほとんどが開発途上国 か中進国である。物質文明などの点からみれば確かに日本より劣っている。しかしそんな国の言語をやっても「益にならない」あるい は「儲からない」と打算的見地立った上での言語観はおかしい。

自分の国の文化が絶対的に優れているんだという認識は正しくない。また欧米さえ知っておれば事 足りるという認識も今日的状況の「中では正しくない。物質文明、科学的知識の面から見れば西欧が断然すぐれていようが、事前の中で自然の恵みをうまくコントロールし、自然と人間がほどよく暮らしていける知恵を持った文明という観点から見れば西欧が一番とは言い切れない。

紙面の都合ではなかなか具体例はあげられないが、私はタイ農村を歩く中で、そうした知恵という ものを数多く見てきた。文化とは 相対的な価値観で見なければならないということを痛感している。その風土にに適したその国での合理的な文化がしっかりと形成されている。

話を元に戻そう。「英語さえやおけば」という発想でいろん国に接する事は英米の精神文化やその価値観のみで世界を知ろうとする態度で、本当のその国の人々の襞まで知ることは不可能である。英語で割り切れない所に本当の人々の気持が散らばっている。そうした心を切りてる武器としてその発想はマイナスに働くことがある。その点を留意しておく必要がある。

もちろん英語に精通する意味は決定的に大きい。また、英語圏を理解する場合は特にそうである。世界の人々に接する最低条件であることも事実だ。しかしあくまでその国の言語はその国の精神をバックボ ーンとしている事も十分知っておく必要がある。さらに英語や、過去においては中国語も世界的にみれば巨大優位言語であり、いわゆる我々にとっては「上ばかり」見ている外国語の吸収様態でである。
自分より劣っていると見なす言語は全く無視する傾向が日本にはあるのである。本来の外国語得の 意味はこの様な様態にばかりあるはずはないのである。

この事は生き方、考え方の問題として私に大きくのしかかっているのです。だから自分が自分を間 う問題として私はタイ語を含めてタイを調査しているのです。


東南アジアで考えたこと

2024-01-11 16:59:07 | 旅行
一、『質しい」ところ
私はここ数日東南アジアを旅しているものです。一 人でリックを背負って農村から農村を歩いているものです。時々、なんでこんな ことをしているのだろう? と不思議に思いながら。

一度でも東南アジアに かれた方はその「食しさ」,「不衛生さ」「不能率さ」 強烈に印象に残り「もう、あんなところはいかない!」とお考えになる方が多いでしょう。

私も確かに日本と比べてみるとその通りだと思います。空港に降りれば怪しげ な業者が数多くたかってきて、配車からホテル宿泊から観光地の手配までしつこく迫ってきます。

一歩街路に出れば簡易バスに人が鈴なり。信号が赤で停まれば就学年齢の児童が花を売ったり新聞を売ったり。掘り起こされた建築現場でも幼い少年までも泥だらけになって働いています。
観光巡りと称して運河でもめぐれば「俺のボートは安い!」と腕を引っ張る。運河は褐色に濁っている。その水で顔を洗い、洗濯をし、米をといでいる。

東北タイの方へ行けば、干ばつで米は獲れず、野山の木の芽や虫を食べてるところもあります。ラテライトの赤茶けた土が素足で学校へ向かう児童たちの後から煙のように舞っている。
その児童たちの多くは、読み書き算ができれば小学校の途中であってりも止めて働くのです。どんな勉学の意志があっても。
 ですから、東南アジアの人々は確かに「貧しい」し、生活は「不衛生」なのです。そんな現場からは目をそらしたり、あまり関わりたくない、と考えたくなるのも事実でしょう。
 二、本当に賛しいのか
しかし、と私は言いたいのです。しかし、私は アジアの姿をそうした基準のみでみてあとほったらかしていていいものだろうか と思うのです。結局そうし た日本人のおおかたの認識の仕方が気になるのです。つまり、経済的な見方が我々には肥大化しているのです。お金という尺度で、商人の目だけで世界を見て いくことは文化的、歴史的 人間の財産を切り捨てることにつながるのです。そこ には人間中心のっ座標が当然 ねしまげられるのです。
タイの農家に泊っているとおかみさんか朝早くから起きて食事の用意をしてくれます。子どもたちが近くの市場まで料理の材料を買いに行ってくれます。稲刈りの仕方を周り若者が教えてくれます。夜は村の人たちか 唄をうたってくれます。彼らのだれでもが「楽しいか?」「面白いか?」と聞き返します。

 相手が自分たちの村に来て「本当に楽しんでいてくれるのかを一番気にするのです。そうです!「安逸」であるかどうか、このことが彼等の視座にあるのです。そこには、デレビやマイコンの豊かな物質的な基準を持たない、人間中心の本来の幸せを求めていこうという空気がいっぱいにあるのです。貧しくあっても。
私は東南アジアの高床式農家にいると、日本が寒々とした列島にみえたり、日本人が黄色い西洋人に見えたりするのです。
(山城高校育友会新聞(昭和59年12月20日)




中学生・高校生をタイの学校へ派遣事業

2016-07-06 16:07:51 | 旅行
事業名:「日・タイ友好の懸け橋~青少年派遣事業」
目的:日タイ修好130周年記念事業として、タイの伝統的規範価値を学び、
   日本の家庭、社会、国の中で生かしていく模範生を育成する。
   「日タイ青少年の懸け橋事業」の一環とする。
ねらい:日本タイ教育交流協会が設定する作文と面接により決定する。
    日本の青少年の代表名誉大使として派遣する。
    帰国後は報告会を開催する。
主催:NPO法人日本タイ教育交流協会
監修:タイ国政府観光庁大阪事務所
対象:日本の中学生・高校生
人数:2~3名
内容:現地滞在7日間(ホームステイ)と学校にて生活する。

作文募集期間:平成28年7月19日~8月31日
作文題:「アジアから学びたいこと」1600字程度
送り先:6100101
京都府城陽市平川鍛冶塚22-15 NPO法人日本タイ教育交流協会事務局

現地派遣:平成28年12月19日~26日
派遣先:タイ北部(ピサヌローク、スコータイ)
経費:渡航費免除
自己負担:5万円

ああこんな旅がしたかった満喫の旅(バンコク編)

2015-01-14 08:15:35 | 旅行
サンプル案 ああこんな旅がしたかった満喫の旅(現地集合型) ご希望に合わせます。
月日 移動 時間 行き先 手段   宿泊   経費  
2月21日   他で企画しないような現地密着型、体験型の旅を企画します。          
(土)                             ホテル泊    
2月22日   7:00 ★ぼろ列車で行くウォンエンヤイ~マハチャイ~渡し船~メークロン線~折りたたみ市場          
   16:00 (食べ歩き①)     お一人200/1hr  
(日)    18:00 ★マッサージ、屋台で夕食(食べ歩き②)   ホテル泊    
2月23日   7:00   W tour       お一人1980THB
   17:30 ★アユタヤ遺跡巡り~象のり~チャオプラヤー・クルーズ      
(月)    18:30 ★ジムトンプソン、タイ料理店(食べ歩き③) ホテル泊    
2月24日   7:00 ★市バスと船で行く市内半日観光*バンコク外せない寺院めぐりとタイ料理のランチ       お一人1500THB
     13:00 マッサージ、ショッピング(自由タイム)   ホテル休憩    
(火)     ★ナイトマーケット~屋台にて(食べ歩き④)        
2月25日                
(水)                  
*ガイド料、実費経費 食べ歩き:プーパットポンカリー/トートマンクン/ソムタム/クンパオ/
*ツアー代など必要 ガオマンガイ/トムヤムクン/イサーン料理/
     サテ/カオパットクン/カオニューマムアン/オースワン/
     ガッパオなど