二日目月曜日
テウ先生に7時過ぎにホテルへ迎えに来ていただく。ホテルはドゥ。タラ。インという。後ろのドアをあけると、一面にナン川がやや忙しく左に流れているのが見える。東映映画村のようなうす暗い、侍がいてもおかしくない道路事情。学校へ向かうバイクが目立つ。今日は制服はサンタの服装でもいいそうだ。メリークリスマスの挨拶や服装や。何人かに「メリーキスマス」といいながら飴玉をもらう。また、腕に自分で家で作ったという白い紐を巻いてくれる生徒も。うれしいね。
講堂で待機したあと午前8時前に運動場の正面の掲揚台のある晴れ台に。3千人の生徒たちが動いている、座っている、歓声をあげている。校長先生の挨拶「今日は特別のお客様、日本から来てもらった。」との紹介で、一人ずつバナナで作った花をいただく。通訳はテウ先生、ノット先生が。私は「日本タイ教育交流協会の代表です。6人の高校生を連れてきました。協会は日本とタイの青少年の未来の懸け橋作りでやってきました。3日間、日本の文化とタイの文化で交流することを楽しみにしてます。どうぞよろしくお願いします。」と言っておいた。サワディーカップ、私はタイ語が話せません、とタイ語で言って笑いをとる。あとはスタッフの自己紹介や、生徒たちの挨拶に聴衆は歓喜。ワーという雄たけびが沸き起こる。感動感激の瞬間である。終わって講堂へ移動する。
歓迎の式典、上段に校長先生が登壇し、花壇では副校長先生が、解説。終われば校長先生のご挨拶。そして日本人10人と先生方の記念写真。そして、歓迎のタイ舞踊。解説ではアユタヤ時代の日本とタイの親交の証として踊られたものとか。タイ衣装と浴衣姿の生徒たちが10人ほどで踊ってくれた。本当のタイ舞踊をみたければ少し物足らないかもしれない。あと、6つのグループに分かれてろーいかとんの踊りを丁寧に習う。左手右手交互に動かす練習を十分繰り返しラムオンの曲で輪になって右回りに輪を作って踊りだし。私も入るとカメラがずっと追っかける。
やがて我々の番である。リハーサルなしの本番を見せることに。さくらさくらと上を向いて歩こう、日本の高校生はどうも集団で歌うという経験は少ないようだ。これはびっくり。我々は一緒に歌うことはある。彼らはイヤホーンで聞くか、カラオケでも一人でマイクで歌う。こうした合唱のようなことは全く苦手のようだ。仕方ないのでユーチューブで聞くことにしたが、それが今やっている歌詞と違うのだ。まあ、タイの皆様には楽屋裏を見てもらい、ひらかなの練習程度でこの全体発表は終了。次は各個人の日本の文化発表だ。これはなかなか見せてくれるものが多かった。日本の日常生活や高校生活を映像や動画で紹介する。また圧巻は家族の紹介だった。その中で、ペットがいて、夜は自分の家に、朝はおじいちゃんの家にいるという紹介があった。家族のすばらしいありようがあって日本人の私も考えるものがあった。最後は6つに分かれで日本文化の体験交流。着物ゆかた男用女用、お茶、金平糖のお菓子付き、にわかスタッフの書道教室、そろばんみんな輪になってそろばんをやっている。10個くらい持参しての大盛況。そしてドラえもんやトトロのスマホを使った歌や踊りをまあ、それなりにやっているグループ、そして英語を流ちょうに駆使して、音楽に合わせて見事にけん玉をこなす小春さん。生徒たちもワーワーキャーキャーと言って自分でやってみるがうまくいかない、じゅずにできたいずれの場合もギャーキャーの歓声。そのルーティンで時間的に消化不良だったが十分満足できる時間だった。
お昼になり、生徒たちは食堂へ消えていた。先生方は講堂の片隅でゆっくりとガパオや果物をいただいてなごむ。
午後は4時までは数学や日本語の授業に参加する。我々は見学させてもらった。生徒たちはタイの生徒とすっかり同化していた。我々はフライディーとかいう商業施設の横にあるマッサージに2時間、疲れを癒した。
4時半ころから、大きなレストランのムーカタパーティーとなる。3人のタイの生徒が上手な日本語で挨拶をしてくれた。敬語も使えるし起承転結もあるしみごとな日本語であった。だれが教えたのであろうか?そのあと日本人がひとりずつ挨拶をした。私にも順番が回ってきたが協会の招聘事業やスピーチコンテストのことに触れておいた。8時前にホテルへ帰宅。
大きな宝物をいただいたような気がします。
いまはその宝物が何かを十分説明できないけれど、皆さんの笑顔やもてなし、思いやり、のあたたかい心が日本へ帰ってからじわじわと思い出され、いま日本では欠けているところのこころにずしんと教えてくれる素晴らしいこころを豊かなものを得ていく気がします。タイに来なければ得られなかった素晴らしいかけがえのない宝物をいただきました。ありがとうございます。