知らないタイを歩いてみたい!

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タイの音楽~タイ的なるものをめぐって(2)

2021-01-29 07:56:40 | ハノイ
 タイにおける音楽教育の実情を知る必要があって西部タイのラッブリー県の小学校や中等学校を訪れた。その小学校では「音楽」が週一時間教えられていたが、驚いたことはタイの伝統音楽だけが教えられていることである。ドラムや鼓笛なども教室においてあるが放課後のブラスバンド活動の中で使われるもので授業では扱われていない。因みに、町の記念パレードやお寺のドーネーションなど地域のセレモニーでは大活躍とのことであった。
 中等学校に行ってみてさらに驚いた。各学期ともタイ音楽と古典舞踊(タイダンス)のみが平均週6時間も課せられていたのである。これはどうしたことだ。履修単位の多さばかりでなく、その教科内容がタイ音楽、古典舞踊のオンパレードであることに恐れ入った。
 話は再び小学校に戻るが、幼い顔の児童たちが大きなラナート(木琴)やコーン・モーン(モン)など打楽器やソーゥアン(鰐形三 琴)などを脇目もふらずに巧みに演奏している姿に、ある種の厳粛さを感じたのである。「どうしてタイの音楽だけおしえているのですか?」と教頭先生に尋ねてみた。すると教室の正面に掲げてある皇室の写真を指差しながら明快な説明があった。「王女さまが古典芸能が好きでねぇ。その保存に一生懸命なんです。また、ご自身が外国を訪問されるときはいつも宮廷楽団を連れて行かれ相手側の前でタイ舞踊を披露されるんですよ。学校教育でもこうした古典芸術の保存をたいそう大切にされているからです。」と。こうした王室の意向に加えてタイの現代史にもその意図をくみ取ることが出来る。そしてその意図は日本の場合となんと異なることか、と感慨にひたる。つまり、どうしてタイでは伝統が尊重される思想があるのか。それは’70年代のタイの社会開発の思想を少し見れば理解できよう。
 つまり、タイは好むと好まざるに拘わらず、今後ますます近代化をしていく、そして様々な社会、経済的開発が実行される。社会、福祉、そして教育にも大きな影響をもたらすであろう。その時には西洋流の近代化が怒涛の如く社会生活にも押し寄せてくる。するとタイとは一体何なのか?タイのアイデンティティーを保持できるのか?そんな知識人からの危惧から真剣に検討されたのがタイの伝統文化への関心であった。つまりタイ人に合った近代化とはタイのセンシティブな奥深い感性をタイ人が十分理解しておかねばならない。そうしたタイ人の感性を理解し、育みのはタイの伝統文化への限りない造詣であるという結論に至ったようである。
 タイ人のためのタイ人自身の近代化のためには、今、国に存在する様々な土着の文化、伝統を国の隅々まで熟知しておかねばならないという思想が強固に芽生えたのである。タイにおける近代化はもちろn欧米化べったりではない。タイのアイデンティティーを問うという過程の中で起こっていくものである。知識人の間ではこうした伝統に息づく繊細な感性の上に築かれる社会開発や社会福祉の施策でなければ意味がないと考えている。そうでなければその施策は水泡に帰すというコンセンサスが成立している。そうした理論の上にタイ独特の伝統文化の尊重という道筋が形成されるのである。
 蛇足であるが私などは日本の古来の伝統音楽に関する知識はなにもない。どうしたことだ。また、学校でそれらを教えられた記憶はほとんどない。今の日本での音楽教育は極めて西洋音楽至上主義に陥っている。それに疑問を投げかけない。そこから出てくる音楽観には日本はいつまでたっても借用文化を背負い日本独自の文化的成熟を遂げることは出来ないのではないか。
 バンコクに帰った夜はよくディナー付の古典舞踊を観賞することがある。それは昔から王室で演じられて来ただけあって優雅である。ディナーショーでは伝統的な叙事詩にゆかりのものがあり圧巻である。その中で代表的なものと言えばヒンドゥー起源の叙事詩「ラーマーヤナ」のタイバージョン「ラーマキエン」物語である。ラーマキエンは178場面で構成され、その中には「憤怒」、「歓喜」、「悲哀」などの感情表現の場面やら「結婚の場」、「別離の場」、「臨終の場」などの場面が36部門に分類・細別されている。
 こうした古典舞踊、歌謡を観賞しながら考えたことがいくつかあった。その一つは演奏スタイルである。演奏者はみな胡坐をかいて座っているということである。こうした演奏スタイルは明らかに西洋には見られない特徴といえる。西洋においては演奏は大抵椅子式になっている。そうしたスタイルの違いが芸術作品にどういう特色を出しているかを考えてみる。胡坐式においてはその演奏の動作ではどうしても躍動感に乏しくなるはずだ。つまり奏でるリズムや旋律の巾は自ずと制約を受ける、ということである。
 また、次に考えたことはタイでは音楽家という職業はほとんど育たないようにみえる。タイの歴史の中でこうした古典舞踊や歌謡は脈々と息づいていて強固であり音楽家は冠婚葬祭やその時のテーマの行事に合わせてその時々にふさわしい曲を用意するという選曲者にすぎないという現実である。いかにふさわしい曲を選ぶか、真の音楽家とは普段から多くの伝統作品に精通していなくてはならない。その点では西洋とはまったく対照的である。西洋では音楽家は個性的で創造的な作品を生み出すことが期待される。タイにおいてはこうした音楽家の故人の資質を云々するのではなく、重視されるのは多数の集団によって共有されている表現や感じ方の表出である。そこでは必ずしも特定の優れた個人を必要とはしない。西洋音楽では作曲家の生誕日を銘記したり、楽譜における音符の読み方を重視したり、あくまで個性の追求や天才の個性的な表現を重視するのとは正反対である。この点は非常に重要な相違であろう。
 さらにタイの古典音楽では単独での楽器演奏というものは稀であり、楽器とは舞台劇や演劇の伴奏として声楽の付属物として見なされておりそれ独自が独立したものになっていない、ということである。その伴奏方法においても西洋とは違った特質が見うけられる。特に面白いことは、歌の合間を縫って旋律を差し挟む方法である。歌詞が終わればその時点でのみ器楽を奏でる。従ってその貴学演奏は合間を十分意識して伸縮自在の拍節となる。


タイの音楽~タイ的なるものをめぐって(1)

2021-01-27 05:21:52 | ハノイ
 「ユングがしばしば指摘しているように東洋は心の内的世界について、特に自己の問題については西洋よりははるかに以前から多くのことを知っていたということができる。そのためにややもすると自己の偉大さの強調が自己の存在を犠牲にして解かれてきたように思われる。・・・・・しかし問題はあれかこれかということではなく、あれもこれもという点にあるのではないか?つまり、外界との接触を失うことなく、しかも内界に対しても窓を開くということ、近代的な文明を消化しながら古い暗い心の部分とつながりを持とうとしなければならないことがある。ここにおいてユングが東洋の思索に大いに心を惹かれながらあくまで自我の重要性を強調し自我と自己との相互作用と対決するということを主張することの意味が十分に感じ取られることと思う。」河井隼雄「ユング心理学入門」~自己~より

 今回は「タイの音楽」との出会いとその時の感想について述べていく。
 これまでタイを旅していてその地の「歌」や「メロディー」に出会った中で記憶に鮮明な場面を思い出してみる。すぐに脳裏に浮かぶのはそれぞれの地方の農村に宿泊させてもらった時の歓迎のパーティの席での「歌」であろう。その時にはタイのご当地ソングやタイで流行っている歌、さらには日本の「上を向いて歩こう」とか「ここに幸あり」などかつての流行歌を唄いあう機会である。私の歌にみんな手拍子を合せての歌は、言葉によるコミュニケーションよりも友情形成では見事に効果的である。
 また、歌にまつわる「忘れがたい懐かしい場面」は東北タイの小学校の先生たちにピックアップトラックの荷台に乗せられ車座になって大声を出して歌った時のことである。バンコクから遥かイサーン(東北タイ)の地、ウドムタニからノンカイまでの果てしなく続く灌木林の中の一本道の往復を空き缶やビンを叩いて2時間余りの行程は天空に轟く歌合戦となる。その歌をいやが上にも盛り上げるのはメコンというウイスキーである。皆、燃え上がっている。こんなに爽快な時はもうないかもしれない、と思わせるほど双方が確かめ合い盛り上がって行く時の歌は筆舌に尽くしがたい。私も何回かタイへ来るといろんな場面で教わった歌があって、例えば「ローイカトン」、「カメー・サイヨーク」やら「ター・トワ」、「サオ・コンケン」などを唄いあう。
 また、イサーン行きの夜行バスに乗るたびにバスのスピーカーから流れる静かで物悲しく朗々と流れるイサーン演歌は全身が身震いするほど哀愁を感じてしまう。この時のメロディーが後の日になっても耳に残って離れない。その歌は恋人を残して遠くに働きに行く歌だったり、男女の恋の掛け合いの歌だったり即興的な民謡のモーラムだったりする。伝統的なバラィティに富んだメロディーには「これが俺たちの歌だ」と言わんばかりのある種の誇りと充実感が感じられる。こうした長距離バスでは地方独特のメロディーが聴かれるので実に趣があり、楽しい旅になる。特に甘い女性の声のイサーンの演歌はその場で曲名を教えてもらいバンコクに帰ってからCDやテープを買ったりすることになる。自分の郷土や文化を愛し、大切にするということはそれぞれの地方の歌を聞いたり歌ったりしてこなしていくことだ、と了解する。自国の文化を大切にするということはその国の地方地方の多様な文化を包括して継承していくことなのだ。
 
 

「タイ的なるものをめぐって」(4)

2021-01-26 05:54:11 | ハノイ
 ー結論としてー
 以上の教科書の記述で見る限り、次のような「タイ的なもの」が浮かび上がってくると言えないだろうか?
 第1点として、タイにおいては「この世に生きる」ということは人と人との関係のあり方を問わずして成立しない、ということである。そして、人と人との関わりを持つということは「楽しみ」をもたらすゆえであるという人生哲学がうかがえること。
 第2点としては、自己の確立にいたる過程では、ます、他を意識せよ、ということを強調している点である。自己を確立させるのは他の存在を通して得られる実在でなくてはならない、という一貫した自他の統合の概念である。他人の中に自己を見出しつつ歩め、という哲理である。
 第3点としては、人と人との友情(親愛関係)というものは相手に対して具体的行為を伴わなければならない、という点である。施し、他益、恩、尊敬、恋慕、謙譲といtった行為を具体的に展開することこそ重要である、としている点である。また、施し、他益などは何もモノやお金などの具体物を与えることではなく、精神的な献身も大いに奨励している。行いを考えてみても身体を動かす行ないもあれば言葉を通じての行ないもある、ということである。
 第4点として、「友情」を考える場合、親しい仲間内に通用する狭い人間関係を言うのではなく(*ここでは日本語でいう《友情》とはニアンスが違う?)先生であろうが親であろうが、親であろうが、祖父母、親戚、僧侶、あらゆる層の人生の先輩に対して同様に普遍的に通用しなければまったく意味がないということです。そこにはある種の「平等」が成立しているし、こうした平等または並列としての人間関係に重きを置く社会であるからこそ「ヨコの関係のひろがり」を容易にしている要因といえよう。
 そして最後の第5点目であるが、諭しの中には一貫して冷徹な揺るぎない諦観が流れていることである。そこにはたまたまこの世に生まれることになった人間には甘えや拗ね、妬み、同情などは存在しえない、という厳しい諭しが伺える。日本の青年期における拗ね、甘え、妬み、僻みなどという極めて病んだ感情構造はみじんもないことである。

 以上、自己同一性の確立への胎動期に人と人との間の関係への問いにこだわり、それを前提としたうえでしか、自己の統合はありえない、とするタイ社会、タイ人をして他者指向の強い国民性を育んでいると思われる。(断)


「タイ的なるものをめぐって」(3)

2021-01-22 10:46:48 | ハノイ
 -ピヤワーチャー(美辞)についてー
 美辞とは愛らしく丁寧な話し言葉をいう。聴く人を気持ちよくさせるような言葉遣いのことであり、相手を思いいたわる言葉であり、上品な言葉遣いをいう。しかし、いくら丁寧でやさしい言葉遣いでもうそであったりしてはならない。言葉遣いとともにその言葉の内容が問題となる。そこで問題となる言葉を次の4つにまとめている。1つめは、虚言。うそをついて人をだますこと。2つめは、あてこすりで故意に人をそそのかしたりけしかけたり、ほのめかしたりいやみを言ったりすることである。3つめは、粗野な言葉、つまり言葉は人柄を表すもの、乱暴で下品な言葉である。相手を敬い愛する者の口からもれる言葉は粗野であるはずがない。そして4つめとしては無駄口である。暇つぶしにデタラメを言ったり時と場所をわきまえず下らないお喋りをすることである。こうした問題となる言葉遣いは当然軽蔑されてよい。言葉遣いくらいはと軽く考えてはいけない、と諭す。同じことを言うのにも言い方ひとつで相手の受け取り方はまるで違ってくるのである。尊敬されたり、軽蔑されたり、愛されたり、憎まれたり、遠い人を近づけたり、近い人を遠ざけたりする不思議なものとして「美辞:の教訓がある。
 実際に、タイの友人と会った時に、実に心地よい小鳥が鳴くような響きのタイ語をメロディーのように聞かされたり、もの静かであるが、口角をいっぱいに動かし抑揚のある話しぶりをするのに感銘を受けることしばしばである。タイ語のもつ声調のせいだけではあるまい。経験的にタイ人は声を荒げたりする場面を極端に嫌い、逆にそんなときにはそれ用の微笑みをするような場面を幾度となく目撃してきた。

 -アットチャリアー(他益)についてー
 この徳は他人のためになる言動のことをいう。立派な人間は自分のことよりも人のためを思うことである。人に迷惑をかけることを何よりも恐れる。自分の利益よりも他人の利益をまず図る。さて、他益にも2種類があって、1つは具体的な行いにおける他益、2つは言葉における他益があるという。実際に目の前で溺れている人を救う、転んだ人を助け起こす、火事の時に鎮火に協力する、道案内をする、といった行ないの面で他へ役立つことである。これを「行いにおける他益」という。また、素行の悪い人に忠告をする。迷っている人に助言をする、怠けている子をいさめ勉強させる、酒におぼれている人に意見して禁酒させるなどは「言葉による他益」である。

 -サマーナッター(謙虚)についてー
 友情成立についての最後の徳であるが、おごらず高ぶらず心を謙虚に、ということである。この徳にも2つに大別される。「対人面における謙虚」の行いと「徳面にいける謙虚」の行いである。最初の対人面の謙虚の行いであるが、父、母、叔父、叔母、祖母、僧侶、学校の先生など、こうした人々には十分尊敬をはらうべきだし、敬うべきだとする。また、徳面における謙譲の行いとは国家的な祭日や仏教儀礼における種々の行事を奨励することをいう。
 以上、教科書によれば友といつまでも仲良く付き合っていくためには以上の4種の徳を積むことによってゆるぎない友情が成立する、と説く。そして友情の成立はとりもなおさず世の中に生きる場合の一人一人の実践が最も重要であり、なければならない、としている。


「タイ的なるものをめぐって」(2)

2021-01-20 10:50:25 | ハノイ
 ータム(布施)についてー
 人との友情を結ぶ上で、まず「自分のものを他人に与える」ことは絶対に欠くことができないと認識すべきである。このタム(布施)は大きな徳である。このタムには以下の3つに分類される。1.親切心のタム、2.救済心のタム、3.供養心からのタムである。自分に有り余ったものを、例えば、衣類、お金、食べ物などを親切心から友人や隣人に分け与える施しを「親切心からのタム」という。また対象が友人や隣人を越えて世の一般の困っている人に向けられることを「救済心からのタム」という。見ず知らずの赤の他人であるからといってほっておいてはいけない、ということである。さらに最後の施しであるが、例えば、親や叔父さん、叔母さん、祖父、学校の先生、僧侶など人生の先輩、徳の高い立派な人への感謝の気持ちからの恩返しを考え、我々を今日まで育て上げ、教え導いてくれた恩返し、それは「供養心のタム」である。まじめで正直な人間になることは両親への恩返しとなるし、しっかり勉強し立派な社会人になることは恩師への恩返しである。托鉢の僧に布施をする。仏日におけるお寺でのお布施をしに出かけることは僧侶に対する感謝の気持ちを表すまたとない機会である。
 ここで少し注意しておかねばならないことは、「タム」とは必ずしも形あるものを施すことではなく、自らの行いを正し、まじめに仕事に励むことなども社会への「安心」というものを与えることであり、それ自体が意義深い「タム」である。
 果たしてこうした徳と友情の成立がどの程度の関連性をを有しるのかは定かではないし、この徳自体が余りにも仏教中心の国体維持のための民衆の意識操作に関係している風に受け取れなくもないがそう言い切ってしまえば元々「道徳」など存在しえず友情のあり方云々すらもあったものではない。無責任で不毛な論理が蔓延することになろう。他人への有形無形の「施し」こそが言葉だけの援助や恵みではない普遍的な深みを帯びた人間の営みなのであろう。