知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

今月は2回目のタイ!

2023-12-05 06:04:13 | ハノイ
初めに
とにかく、コロナあけから、2年目、幾度となく、いろんな理由をつけて、タイを訪れてきたが、文章にまとめて残すような時間も気分もなかなかなかったが、今回は、まったくの一人旅だ。旅人には出会う人々の心が残る。多くの「心地よい」印象をもつことができた旅だったので、振り返ってみたい。

結婚式
一人旅、結婚式が二つ、卒業式参加が1つ。義理を果たしたいための旅であった。となれば、ようし、この歳になっても、普段と変わったコースで行けないものか?願わくば安くあがるような旅にできないか?そんな思いから、数カ月前からチケットを探してみた。結婚式、S先生の長女の晴れの儀。昨年、12月に次女の結婚式がチェンマイであり、参加している。次女は来たが、長女はいけない、とは言えない義理の話。そして、長い付き合いのアユタヤの義理娘の結婚式や10月に口約束をしてしまったバンコクでの卒業式。

出発
友人、知人は19日の結婚式に合せて、大阪~チェンマイの直行便で11月17日に出発済み。私もとにかく19日の結婚式に間に合うようにチェンマイに着かねばならない。同じく17日  15:30関空発でハノイ飛ぶことに。ハノイには19:25着。いくらのチケットなの?24,341円。安い?高い?まずまず?ヴェトジェットである。なにか乗務員のコスチュームややる気も好感が持てる。カウンターは7キロの手荷物無事通過。ところが、チェックインの関空の国際線の列は完全に機能してない程、人が満杯だ!ぐるぐる蛇行状にくねってえらい苦労している。

出発ロビーの恩恵
一旦、出国手続きを終えればあとはボーディングタイムが来るまではうれしい時間だ。とはいえ、セブンイレブンが空いていればの話だが。今回は、通路から並ぶ列も、二十人も満たないほどに空いていた。レジへ行く列に並びながらお土産を掴んだり、お昼の弁当、アルコールを掴んだりしてレジで精算。多少の荷物の重量も気にしない、瓶であっても機内へ持って入れる。現地について知り合いと路地の屋台でお土産と称してこの日本酒や焼酎を飲み交わすこともできる。お土産のお菓子も封を切ってその場で食べ合うこともできる。この30分くらいの出発ロビーでのゆとりは飛び立つものへ小さな至福をもたらしてくれる。

おっとハノイかよ!
ヴェトジェットの機上の旅人となった私は、ビールの一缶で心地よい眠り状態になった。バンコクより1時間以上も短いのだから、その分は楽だ。
5時間そこそこでベトナムの首都ハノイに着いた。以前、トランジットで立ち寄ったことはあるが、ハノイに入国するのははじめてだ!数か月前のホーチンミンと同じ街なのだろうか?あんな街には高齢者の外国人は行くところではない、と判断した。
ふと気づいた。私はチェンマイに行くために、ここに立ち寄ったのだ。ハノイが見たかったのではない。出来れば、チェンマイ行きの便にのるためにこの空港で腰を落ち着けて待つことにしようと考えていたのだ。チェンマイ行きのチケットはなんと8,558円!お得感満点!このことで頭がのぼせていたのだ。時間をないがしろにしていたのだ。つまり、チェンマイ行きハノイ発は翌日の15時20分であることを十分自覚しなかったのだ。ハノイに20時間いる、ということを今、初めて自覚したのだ!そうだ、ハノイと付き合わねばならないのだ。





「楽しいタイ語入門」開始!

2023-02-25 11:00:25 | ハノイ
KBSカルチャー講座  5月開講!  受講者募集!

•全く初めての方でも大丈夫、あなたも一緒に楽しくタイ語を勉強してみませんか?
•「微笑みの国」タイの歴史や文化、習慣なども楽しく学ぶことができます!
•実際によく使うフレーズ、買い物、食事、小旅行など実践的な会話を中心に進めていきます。
•毎回ではありませんが、発音練習のためにタイ人のアシスタントも来られます。
•発音記号で学習します(この講座はタイ文字は扱いません)

講師:木村滋世(JTEES)
開講日:2023年5月15日、22,29、6月5,12,19日
(毎月曜日18:00~19:30)
受講料:16、500円(6回分、税込)コピー教材費660円 
入会金:2、200円(3年間有効、全講座有効、税込)
お電話でご予約ください。☎075-441-4161




京都タイ語教室~新クール開始のご案内

2023-02-24 17:54:18 | ハノイ
News!
148クールが始まります!⇒2023年3月2日開始
26年間このタイ語教室を開いてきました。
タイ語は楽しくやって、少しでもタイ的な雰囲気を味わっていただければと思います。受講料は日本一安いでしょう!
タイ人もしっかりアシストしてくれます。
近鉄大久保駅下車  南宇治コミュニティーセンター

毎週木曜日18:30~20:30
受講料  6000円(通しで) 

イサーン見聞記7

2022-04-06 05:30:36 | ハノイ
夜行バスで眠られなかったせいか、または た安心感のせいか、新着の異郷の土地にもかわらずたっぷり午睡ができました。床下でがやがや話す声で目を覚したのは午後三時をまわっていました。
まだ気温は三十度ありますが暑かった日差もやや弱まり、樹々の地にさす影も濃さを増してきたようにみえます。

ガイドのパイラット氏が木製の階段をあがってきました。「キムラさん、朝会ったコンケーンコマーシャルカレッジの先生たちが来てくれましたよ。」 彼のうしろから二人の男性と一人の女性があがってきました。 午睡起きでボーッとしていた私の意識も嬉しい訪問者が目の前に来たという状況を確認してにわかに活気づいてきました。イサーンの先生と話ができる!このことは私にとって感動的な事なのです。あのタイ映画でみた 「クルー・バン・ノーク」 (田舎の先生)が私のミミズのネットワークに出現したのです。 イサーンの教育事情、特に子どもたちの勉強の様子や 暮しの実情、先生たちの教育観などどうしてどうしても聞きたいと思っていました。ここで面識をつくっておけば、今度日本へ帰ったあとも教育交流はできるはずです。イサーンの先生と 話すことー今回の大きな目的のひとつでした。

さっそくパーティの準備です。スーテン氏 の奥さんが手際よく手料理を作ってくれまし た牛肉と野菜を炒めたものでヌーヤム・ナ ム・トクという料理でレモン汁につけて食べ るのだそうです。ガイド氏も手際よくアルコ ール類やジュースを持ち込んでくれました。
人来たりなばアルコールはいづこの国も同じか。 タイウイスキー(中瓶で二十パーツ)、 メコンウイスキー(小瓶で六十パーツ)、氷 (一キロ八パーツ) (※一パーツ約九円)が 並べられました。テープレコーダー、カメラ、ノート、メモ用紙、私のフィールドワー クも準備OKです。 やがてスーテン氏の隣人、友人、親戚の人も車座に加わってくれました。いよいよアルコールを口にしながら談笑することになりました。

ガイド氏が連れて来た男性二人は先生、女性の一人はその友達です 一人は今朝、町に到着直後に訪れたガイド氏の「助っ人」のトン チャイ先生。少し赤ら顔でやさしそうです が、野武士のような精悍な面持です。生まれも育ちも首都バンコックで五年前に教師とし てイサーンにやってきたという変わった経歴 二十九歳、商業を担当しているとのこと。 女性はこの先生の友達。ラオス国境の町ノン カイで生まれ、現在コンケーンの自動車会社のOLのエーイさん、二十五歳です。 もう一人の先生はバンテュー先生でコンケーン生まれで教育もコンケーンで受けた生粋のイサー ン子。彼の奥さんは南部タイの人で学生時代 に知り合い結婚したとか。 彼の教科は英語。 私の英語で話しかけるのですが、お互いにナマリのきついせいか意志疎通がうまくいきま せん。ガイド氏なして生の声が聞かせてもら えると期待したのですが無理でした。

私の一番の関心事はイサーンの人が常日頃 イサーンを、コンケーンをどのように考えて いるか、ということでした。とにかく車座になった人々に順番に聞いてみることにしましました。

まずはトンチャイ先生。「僕は五年前にバンコックからここに来たがイサーンはいいね。特にこのコンケーンは大きな問題もないし、住み心地がいいね。
初めてここに来た時は大きなビルも会社もほとんどなかった。随分変わったね。」

それではパンテュー先生はいかがですか。「ぼくはイサーンに生まれたことをとても誇りに思っている。 二十年前にタイの首相になったタナラットはここから二百キロほど北に行ったナコンパーム県の出身だが、彼はイサーンを次々に開発してくれた。ナコンバーム、コンケーン、ウドン、コラートは大都会になったね。今、トンチャイ先生が言ったようにコンケーンだけ考えてみても、ほとんど電気は普及したし、テレビ、ラジオの中継地もでき大いに普及しつつある。新聞もその日のうちに入るようになったし、 今年から電話もバンコックから直通になったよ。 バスなどの交通網もよく発展し、バンコックも近くなったね。もうすぐバンコックと 同じくらい発展すると思うね、いや、将来は タイの中心になるよ、きっと。」 すごい自信と誇りなのです。「人々は生活も楽になった し、不平不満を言う人もいない。ものを盗む 者も全くいない。」とパンテュー先生の礼賛の弁舌は止むところを知りません。<バンコックと同じようになる>と彼が言うことには少々戸惑いをもちますが、この五年間の町の発展ぶりは確かなようです。

エーイさんはいか がですか。「わたしが六年前に来た時は 何もなかったのに、本当に変わりましたね。」スーテン氏も奥さんもおばあさんのタイオン さんも同じ意見のようです。 スーテン氏の叔 父に当るカイ氏 (四十八歳)。 「そうだね、わ しもみんなと同じ意見だよ。ここで生まれた しコンケーンが一番だ。特に盗人がいないこ とがいい。これからますます発展すると思う よ。」
それでは隣人ファン氏(四十四歳)は? 「カイおっさんと同じだね。 昔とくらべてみ んなが学校へ行くようになってそれだけ男の 子 女の子がかしこくなったね。 田んぼに出 たがらんのが問題だがね。昔、町に行っても あれほど多く車もなかったし、会社、オフィ ス、銀行、市場、映画館なんてものもなかっ た。十年前とくらべると夢のように変っちまったよ。今後もどんどん発展して良くなると 思うよ。」最後のインタビューはパチョン氏 (三十一歳)。 スーテン氏の幼な友達です。 話はここで少し横道にそれますが、男連中は皆 上半身裸なのです。

このパチョン氏も裸なの ですが、首下にみごとなイレズミをしているのです。図柄はアンコールワットのようなお寺院の模様で、その下にはクメール文字があり、「仏陀の御慈悲を!」と刻まれているそうです。
一年前にウドンタニの僧に彫りつけてもらったとか。話を元に戻して彼の言は「ここはイサーンの中心だね。 今後もどんどん発展していくよ。だけど、新聞で読む限りタイはまだまだ多くの問題をかかえているよ。最近はコミュニストの問題が深刻だね。」である。 少し辛目のコメントか。でもここに集ま
ってくれた先生、会社員、農民、運転手、みんなイサーン人として一様に郷土に誇りと自信を持っていることは確かです。
そして、おの原因がここ五年、十年の産業、経済の圧倒的な発展にあるようです。

タイは一九六一年より「国家経済社会発展計画」を実施し、この年は第四次五か年計画の大詰とか。その主目的である「経済活動の地方分散化」、「後進農村地域の貧困除去」、さらには「都市農村の所得格差の縮少」などの政策はここコンケーンでは確かに浸透してきているようです。いや彼等の言葉を借りる限り目を見張るものがあるようです。が、こうした経済開発が真にそこに住む人々すべて幸せをもたらすかどうか未確定ですし、イサーンにおける急速な発展の影に予期できぬ魔手が潜んでいないとも言えないでしょう。



イサーン見聞記6

2022-04-04 06:16:08 | ハノイ
朝にしてはやや暑い日射しがバナナの葉陰 からこぼれてチーク板の縁先に照りかがやい ています。スーテン氏の家はこの村では標準的な大きさでしょう。床の高さは大人の背丈 くらいあってその階段をのぼるとまず一畳く らいの広さの炊事場兼洗面所があります。そこには水がめが四個、ポリバケツ一個などが棚 に並べられています。

その隣りに全体の半分くらいを占める広さの居間(というより多目 的広間)があります。 その奥が右から台所、 子ども部屋、スーテン夫婦の部屋、祖母の部 屋と区切られています。
ここで大人三人、子 ども三人の毎日の衣食住がおこなわれている のです。


屋根は痢を除いてトタン板の屋根になって います。村の大部分がトタンのようです。このトタンの下で昼寝をしたのですが、暑 いこと暑いこと。35℃は越しているでしょ う。実は後になってわかったことですが、 家の人たちが寝をする場合には床下の床台 の上でやるのです。

そうなのです。 昼寝、糸 つむぎ農具の手入れ、夕食の準備、子守 り、雑談、すべて昼間の仕事、生活は床下に 移るといった方が正しいようです。 私も翌日 からは昼間は床下に逃げたのです。

でもなぜ安価に入手でき断熱作用にもなる茅葺き屋根をやめてしまったのか。こんな不 合理なことはないなあ、とその時、思ったの ですが、しばらく滞在するうちになるほどと 思ったのです。

一般的には取り付け、扱いは 簡単であるし、耐久性もあるでしょうが、実は雨水の関係なのです。 天の覚みの雨水の一滴も粗末にしてはならないという哲学のあら われなのです。 トタンに降った雨水は軒の雨どいをつたって下におかれた水がめに使れる落ちるという仕組みなのです。 一瞬に降り、一瞬 に止む雨水を一滴でも多く獲得し貯蔵しなけ ればならないのです。そこでトタンの役割り は圧倒的なものになったのです。 水、特に雨水に対するイサーンの人々の感覚は想像もつ かない程鋭敏なものです。

家の造りに目をやると、寝室や倉庫には、 バナナの皮で編まれた囲いがありますが、そ れ以外居間にも台所にも壁や囲いになるもの がありません。荒削りの丸太の柱、細かいと ころは竹ざお、といった実に簡素な造りで す。外から丸見えですし、よく幼児が床か ら落ちないものだと思いました。村の中を見 しても、大なり小なりこの型の家屋です。 大きな虫籠といった感じです。

床下は牛小屋 、ニワトリ小屋だったり、 養蚕場だったり、また農具、生活具の格納場に なっています。 特に目につくのは、竹製品の多様さ、豊富さ。クラドン(てっつき)、コンカオ(めしびつ)、カツテツ (大きいこめびつ)、 ファンヌンカオ(蒸し器)、農具、鳥籠など がや床下に吊されています。 すべて自家製とのことです。 

家の内部を見渡すと 壁には親族のものらし写真の入った額縁が吊さ れています。国王の顔つきのカレンダーも 貼り付けてあります。 しかし私のいる居間には ほとんど家財類がありません。 無造作に畳まれた蚊帳が 釘にかけられてあったり、床の上 には私のためのござが敷いてあるくらいでが らんとしています。

 私はやっぱり中部タイと 同じイサーンも蓄積の少ない "go through(移動可能)の文化だなと思ったのです。も ちろん米、穀物、天水、絹 、竹製品などは中部タイより貯蔵された伝統的農村ではありま すが、それは自然の厳しさの結果なのです。 どうして "go through" 文化であるか。 その 原因としては比較的浅い歴史しか持たない開拓村の宿命であるかもしれないし、生活の関心が水と稲に集中している結果かもしれない し、決定的貧困によるのかもしれません。

あ るいはタイ人全般が持っている家屋というも のに対する価値観の投影で
あるかもしれませ ん。 いずれにせよよそ者にとっては建物を見 る限り出入りが実に気楽にできる造りである し、住人にとっては家財をたたんで次なる天 地へいつでも移動できる家であると見受け ました。

スーテン氏の奥さんがいてくれたゴザに 仰向けになりイサーン特産の色どりあざやか な枕を頭にあてると「やっとイサーツへ来たな」という満足感が改めて湧いてきます。
どこからか「クルッー!クルーッ!」とノッカウ (山鳩)が鳴いています。 私は今、東北タイ (イサーン)の空気の中に漂うサバーイ(安逸) のただ中に入ったのです。

奥さんの母タイオンさん (54) の一日の主な仕事は養蚕です。若夫婦が野良仕事に出て いる間、家の留守番役をかねて日二~三回の給桑をします。 涼しい床下が蚕の館です。 床台の上に木と竹で組まれた棚に直径50センチくらいの平底の竹かどが、5個、それぞれ衣 にしっかりつつまれて飼育されています。 一 かごには二百五十~三百匹がおり、糸にして 二グラムくらいの絹がとれるそうです。 

タイ オンさんの所には全部で10かごありますから順調にいけば月に二十グラムの生糸がとれる ようです。 桑の発育が順調で害虫(主にア り)がつかなければ年に十回は孵化するそう です。 タイオンさんは床下から一かごもって
きてくれてカイコを実際に見せてくれまし た。もうすぐ孵化する成虫ですが日本のよ り一まわり小さい感じがします。 繭は黄色で いわゆる「山繭」というのでしょうか。現地 ではトーモンと呼んでいます。黄色のは繭は蒸すとけむりで白色にかわるそうです。 日本の 一化性蚕の繭より小粒で皮薄く粗野なもの です。 イサーンの自然の厳しさ、不毛さを感 じさせる繭でした。 

奥さんが寝室から一枚の 絹織物を持ってきて見せてくれました。 ピン クと白を基調とした格子縞です。 銀色に輝や いている宝物のように見えました。縦50セン チ、横一メートルの衣ですが、 パンコックで は三千円以上するそうです。ガイドのパイラ ット氏が「安い! 一枚わけてほしい。あん たも買った方がいいよ」と勧めてくれるので約千円で一枚買っておきました。 夜通し蛍光灯 をつけて蚕を活動させています。

外がま だ暗い早朝からタイオンさんは桑をござにひ ろげていました。このあたりは五軒一軒の割で養蚕を副業にしています。 こうしてイサ ーンで産れた絹はパンコックにいきタイシル クとかマットミーシルクと呼ばれて商品化するのですが、タイオンさんは「こうした絹は あまり売らない。 晴れ着を作ったり、飢饉な どのまさかの時の交換用品にするのです。」 と説明してくれました。

蚕の話が一段落したところで奥さんが食事 を用意してくれました。食事はカツテツ (飯 つぼ)に入った冷えたカオニャ(もち米)。これが主食でそれぞれが手でつかんで小さく 丸めて食べます。 おかずはプラカオとかカテインと呼ばれる塩辛いへしこです。 塩とぬ かに二年間漬けたものです。 カオニョは日本 のおこわと同じような味だし、へしこも塩か らさが倍ではあるがカオニョによく合う。 あ とコップとかキャットといったカエルの炒っ粉 になったおかずもおいしい。 中部タイの 食事より日本に近い味です。

緊張も空腹もともこうしたもてなしですっかり 消えて知らず知らずにまどろんでいました。