知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

ブンガーン~最後の秘境(1)

2020-04-04 03:47:05 | ブンガーン
2019年07月12日~07月17日
    
7/12(金)12時過ぎの電車に乗り、難波で南海に乗り替え14時38分関西空港へ。               
 
 16:00 空港カウンターでチェックイン 
   待ち合いにてファミマーでイモ焼酎の黒霧島カップを買う。その場で一個
   飲み干す。
 飛行時間 18:05~21:50 
   スクート自体はLCCにしては上品な感じだが、5時間余りのフライト、座りご    こちが悪く、なかなか時間が過ぎずに苦戦。眠ろうと思ったがしっかりとは眠れなかったよ。   
でも、大きな苦も無く 現地時間21:25着陸した。
 

 タクシーにてスリオングのサンフラワープレイスへ向かう。

 車窓から見るバンコク、少し暗い感じだ。「セタキット・マイディー」(景気は良くない)と運転手。ルンピニー公園を眺めながらホテルへ。運転手にはシーロムソイ6戸言って中までぐるぐる入ってもらう。 馴染みのマンゴーツリーの本店やコカが見えてくる。   Sunflower Place に泊まる Hotel 11:30~04:00
  
フロントの男も極めて真面目そうで一生懸命説明してくれる。35部屋あるそうだ。
 6時半からは簡単な朝食もある、とのこと。 部屋へ入るとベットが木製でシーツがパオカオマー布のようなイサーンの安宿の調度品。都会には似合わないローカルな部屋。今後、安心、安か、近で泊まってもいいか。

 ・外へ出てみる。セキュリティーがしっかりしている。チップのようなカギを渡してくれて、出口のセンサーに当ててドアを開けて出ていく。出てすぐに日本居酒屋が何軒か並んでいる。こんなところにも、という感慨にふける。スリウオングに出るまでにオカマの店があって少々気持ち悪い。
 とりあえず両替をしにタニヤへ出かけ、その足でラーメンを食べる。
鶏ラーメン、鶏は苦手だが暗闇で食べるのはうまい。味がいい。

さ~て、なぜ<ブンガーン>に行こうと思ったのか?
タイで2013年にノンカイ県から分離した一番新しい県。77番目の県。タイの人を含めてほとんど知られていない県。
私がタイ・ラオ・メコン川にこの数年こだわっている中でもっとも知られない県。
情報は英語版が少しあるくらいで得られるものが少ない。ヨーロッパ人ってこんな未踏の県にも結構言っているんだ、と思う。
彼らの情報によると、巨大岩盤の景勝地がいくつかあるようだ、これは極めたい。
ラオスへ渡れるのか?初めて両国をつなぐ友好橋はかかってない。船であってもラオスへわたれるのか?行ってみたい、実際に確かめてみたい。
出発の数週間前に、タイレストランの従業員と小旅行をした折、その中のモッさんというおねいさんがブンガーン出身と聞く!でも市内から2時間ほど内陸に入った村らしい。
また、それまでにチェンマイへいったとき「アート先生、ブンガーン学校で日本語教えてるよ」という情報。アート先生は去年、チェンマイで通訳などお世話になった先生だ。いよいよわくわく旅準備はできた。私なりのブンガーン紀行が描けそうだ!

なぜ倦怠感が残ったのか?
それは昨日、人間ドックを受けていたからであろう?足腰に違和感が少し残る。気怠い感じが残る。体力が衰えてきたのか!?

7/13土 
04:00起床~06:05ドムアン発~07:10ウドムタニ着
 目覚まし時計もかけていたが聞こえず、昨夜頼んでいたホテルのスタッフがドアをトントンとたたいて起こしてくれた。

04:15 スリウオングでタクシーをつかまえ200Bとチップ40チップ。運転手ロイエット、クシナライ出身。
04:50 ドムアンへ(早すぎか)   そのままタイガーエアーへ愛想のいいスタッフたちに気持ちもいい。カウンターも真ん中くらいにあって便利である。

 空港内で朝食、エスプレッソ(80B)とハムサンド(70B)



05:45 機内に入りシートに座る。ウドムのアピチャート、ブンガーンのアート先生にメールラインを送る。少し気分が楽になってきた。
  気温28度。
 「カシアン、ウドム、タン、カッ」とか女性のアテンダンスのアナウンス。乗ってるのは皆、イサーン人。すべてが現地人、これはうれしいね。遠いはるかな地へ行くみたい。土曜日のせいか若い女性が多い。

06:03 離陸
  到着直前まで爆睡!
 
空港へアピチャート先生は来てくれているか?来ない場合は自分でノンカイへ直行のつもり。 実は、単独の旅のメリットもある。彼には悪いが。でも、彼の車も魅力ではある。(ごめん)
ウドムタンニインターナショナル空港へ
そして、アピチャート先生はロビーに待っていてくれたのである。07:20
「お互いにプアンカン(友達同士)」だよ、と言って。
彼もウッドボールを趣味にしている。協会を作っている中の役員らしい。これから私に2泊三日で付き合ってくれるためにそのウッドボールの練習の段取りをつけに街中へ行くことに。

しかし、どうしてこうイサーンはすがすがしいのだろうか?気分が張れる。分かりやすい異文化が溢れている。また、元気になるとあらゆることを取材してみたくなる、よーしやるぞ!
1時間ちょっとでタイはこういう場所へ飛びことができる。

それまでに空港近くで朝ということに。

ウボンで味をしめた<クイチャップ>を注文!お店の名前は「ヤイ・ノーイ」 1杯40B 毎日07:30~21:00までオープン。
主曰く。「豚は市場で買ってくる。煮込むの歯自分だ。煮込んだものを揚げるんだ。揚げるのがポイントだよ。
揚げたて!わし、73だ。嫁?69だ。」いろいろ勉強になるな。

たいらげた後、ウッドボール協会の役員の同僚に会いに行く。打ち合わせだ。
役員の女性女性の経営のアパートメント。部屋数は10部屋で3000B/月だそうである。「借りてみるか?」とも思うが何度来ることやら?わけ合って住むときにはお世話になるか。
会社員、公務員、学生などが入っているとか。二人まで可能。

さて、アピチャート先生のウッドボール関係の調整は終わり、いよいよノンカイ経由
ブンガーン行が開始。

09:15 ノンカイへ北進し、メコンに差しかかる。

標識は左、ベンチャン、まっすぐノンカイの繁華街、そして右折すれば「ポーンピサイ」 という街に突入する。

ポン・ピサイってはじめて

ポン・ピサイに差しかかり、アピチャート先生は「この辺はパヤナークで有名だ」と説明してくれる。
 一年に一度満月の夜メコンから火の玉が噴出するそうで、ここらあたりがその現場らしい。このあたりのメコン川には、ナーガと呼ばれる伝説の神が住んでいると信じられている。 この神は川と人々を守ってくれていると信じられている。
 毎年、入安居の終わりに 小さな閃光から大きなボールほどの大きさの火の玉が川から勢いよく現れて、空に飛んで行くという世にも不思議な現象が起こる。
最近は観光客も尾増えているそうだ。
 これはメコンの光としても知られ、地元ではナーガの祝福だと信じられてる。 

「パヤナーク」とは神話に登場する蛇神。頭の数は様々で、奇数です。大きな体をしていて、龍のようにも見える。天気を制御する力を持ち、怒ると旱魃を引き起こし、心を鎮めると雨を降らすといわれています。パヤナークはメコン川に住んでいるといわれ、ポンピサイの出没は至るところで出遭う。 
いろいろ目に留まる「パヤナーク」


メコン川も左手に見え隠れしていたこともあって、車を河原の沿道に向けて少々走る。           
思ったほど水量が少ない。
ちょっとカフェーでも。
手前、カメのこおらのような岩がある。岩を活用したお寺 ブンガーンへはあと20キロ位なメコン川の側にあるお寺、ワット・Ahong Silawad である。このお寺を起点として長い遊歩道がつくられていた。

12:00 「ブンガーン学校」へ到着
知り合いのアート君(アート先生で公務員になって1年目)なかなかの背の高い、好青年で日本語能力はばつのぐん。今日から明日と案内役となってくれる。
おっとっと、なんと日本から来た日本語パートナーの方もいらやるではないか!
学校自体は県下で一番の生徒数3000人を越す学校である。残念ながら夏休みということでみごとだれもいない閑散とした校庭です。
日本語を教えている学校って県には10数校もあるそうな。びっくり!

さっそく今日から泊まるホテルを。メコンが見えるところ、とリーゾナブルの条件でこんな感じのホテルを。
ファランが団体で占拠していたが、まあ一泊450バーツならまずまず、ということでアピチャートさんと二つの部屋を借りる。

次なるは、ひょとすればラオスに渡りたい、と思っている、できれば明日に一泊とか、と思ってイミグレの偵察にでかける。ホテルから10分もかからないやや北上したところにあった。外国人が通過できるタイとラオスの国境は7ヵ所あるという。
メコン川が国境となっているのはそのうちの5ヵ所。その中でボートで渡ることができるのはブンガーンだけ。
対岸はラオスのパクサンの町。行けるかな?

ところがイミグレは土日モードなので。「月から金は60バーツで渡しがあるが土日は船を買い切るシステムしかない。それも1200バーツだ。」とのこと。じゃあ、渡りたい人を集めてワリカンでもしたら、という発想が生まれたが、それもむずかしそう。
下流の友好橋を渡ってきた者はなにかしっくりしない。旅行社には土日はないのだから。船という伝統的なシステムではまだ船頭や親方が利権をむさぼっているとしか思えない。橋でもできたらひとたまりもなく古い体質は吹っ飛ぶ。
土日でも往来がある。この乗客たちワリカンなのかな?観光客には優しくないね。
荷物を滑り台から滑らせて船につぎ込むシステム。下ろすのはいいが上げるのはどうするのかな?
今回は行って帰るだけならお金がもったいない、次回に置いておこう!
ちなみにウィークデーの渡船テーブル時刻表です。1時間に1本か。
イミグレの様子を見終わるとホテルの近くを散歩したり、やはり2時間のマッサージは疲れをとるのにはずせない。一日の行程から見れも「最上級の疲れ」の状態。

メコン川沿いを歩く。


夜の4人のパーティーはホテルの敷物に座ってやることに。アピチャート先生どこからかブランディーを買ってくる。
夜のパーティー、外で日本食でも、と言っていたがホテルの女性がマハサラカム大学人間学部3回生の笑顔や愛想がいいのとゴザと机を用意してくれた。
メコン川を見つめながらここで座って食べたらいい、と心が訴えてきた。

つまみはさかなの揚げたもの。
氷も水もカイチャオ、ごはんはホテルで注文、180バーツ。安いね。
座って飲むのは居心地が悪いが足を延ばしてゆっくりした気分にはなれる。
アート先生、午後8時になると生徒とのオンライン日本語レッスンで忙しい。
学問とは求めるものには手段がないんだな、と感心する。



 
 
8:00~10:00~15:00 バンコク~ウドムタニ~ノンカイ~ブンカーン
ホテルは04:00発
SL600  06:05
07:10 ウドンタニー着


行きの電車    ¥750+¥920円 
     ホテル代 15~17   ¥7245  12 ¥2354
    チケット(スクート866)    ¥21437
    国内線 バンコク~ウドム ¥8081




ナコンパノム・ターケークの回遊 (3)

2020-04-03 16:31:36 | ナコンパノム
1/27(日)
17:30
 ナコンパノムに帰り、バスを降りてガイドのバイクにまたがって新しいホテルへ向かった。500バーツのホテルであるが名前を忘れた。
 
 ガイドにガイド料を払わねばということでまあ、2000バーツくらいタンブン(寄進)のつもりで考えていたがバーツが枯渇していた。日曜日だし夕方だし。市中を廻ったがやはり締まっていた。

 一人になると急にマッサージがしたくなり、2時間のマッサージ。
2時間後にはガイドがいったんアパートから帰り私を迎えにきていた。

 大きなスーパーがあるということでそこで夕食と謝礼とそして両替をしガイドにお礼を言って別れることにした。
タイすきを食べる。 
そして、今日のガイド料を支払う。チップはムートゥを買い渡す。
出費はこれまでだ。初めから想定内で予算は収まったはず。
ガイド料を胸に帰宅に向かう、ガイド。

1/28(月)
 朝8時まえにホテルをチェックアウトした。今日もガイドを、という雰囲気を感じたので自分で荷物を引いて表通りに出て、トクトクを捕まえて、朝からかっさーじ屋を探すことに。
町をあちこち探したがマッサージ屋がみつからない。早すぎるのか?あるにはあるがちょっと入りずらいお店が1つ2つ。

結局は、インドシナ市場の2階建てビルの2階で発見だ。とりあえず、2時間。
ほれ!客が来た!
このマッサージが正解なのだ。
こんなところにあるんだな。名前は「ミーサアマイ」マッサージ、という。
4人姉妹で、この階に少し離れながら2店舗を経営するやり手。持つものは女性だな。家内ビジネスに長けるのは女性ばかりだ。 092-79062予例
 おねいさんのオーさん。上手いものだよ。2時間。

ちょっとお腹が空いたので同じ2階の川の見えるレストラン(お客0)へ。
シンハービール、エビ焼き飯、エビ入りサラダ、ああ、うまい。川辺の様子を見ながらリラックスする。


それにしてもお客もいないマッサージ、レストラン、これでも経済は成り立っているのだろう!人々はちょぼちょぼに生きている感じ。

お腹が膨れてきたのでトロンとして気分になり、帰りの時間も少しあったので、もう一回、2時間のマッサージに挑戦。今度は一番下の妹がモー。
それまでにトイレも行きたし。
こんな感じ。ここにはまた訪れたいと思う。またまた意識を失ってしまった。が、強さ、硬さがなかなか筋をおさえてツボにはまっていたぞ。

 いよいよ立ち上がり市場の横にいた白タクの運ちゃんに頼んで空港まで運んでもらった。 09332409緑郷 ラオスのことなら俺に任せよ、とも言っていた。


15:30 ナコンパノム空港へ到着し、チェックインしてエア・エシアの飛ぶ人になった。 16:50発~DMK 18:05 1h15m

(講評) ナコンパノムには県全域に置いて、ワット・プラタート・パノムを筆頭に、ワット・タート・マハチャイ、ワット・プラタート・ターウテーンなど数多くの寺院があり、ラオス中部の民衆も必ず参るほどの聖地だということがわかる。
それぞれの寺院が伝説や物語を持っており民衆は敬虔にそれを信じて疑わない。ここでは、観光と生活と人生がこうした「寺院」に空気のように漂い濃密に触れ合うことで意義、意味を持っていることが分かる。その点からもにわかガイドさんに教えてもらった見えない価値を信じる姿は忘れがたい。




 

ナコンパノム・ターケークの回遊 (2)

2020-04-02 05:55:21 | ターケーク
ターケークについて

1/27(日)  国境を越える緊張はどこからくるのだろうか?
 急に言葉の通じない乗客の中に突っ込まれる。現地の人と観光客の扱いは違ってくる。イミグレカードがどこにあるのか?簡単には分からない。手数料はいくらなのか?単位が変わる。バーツからキップなんて。そしてそれが正当な手数料なのか?
 まあ、いろいろ適応して通過せねばならないのだ。

10:00頃
 国境ゲートに着く。ここで乗客全員バスを降りてタイ側のイミグレーションで出国手続。簡単なものです。パスポートを見せるだけですが。 一応、出国です!
 イミグレを出発してすぐにメコン川が見えてきます。旅情を感じたいのですが異文化の硬いバリアーに必要以上に緊張、すこしオーバーな表現ですね。

10:20でターケーク
ラオス入国ゲートに到着です。
パスポートを出しその場でコピーされて隣の窓口でパスポートを受け取って手続き終了です。日本人もビザ不要なのでタイ人と同じように簡単に入国。

   
なんとか通過だ。右側走行になる。
なんだか大草原のような風景に変わる。開発中なのか、雑草の広がりなのか?ラテライトの土が舞っている。

何度かラオス民衆のための下車があって、約1時間少しでターケークのバスターミナルに着きました。
バスターミナルは郊外にあって周りには何もありません。でも、ベトナム行のバスがあるんですよ。

ほら、ドンハとかフエとかダナンといった有名な都市に行けるんだ。今度ね!


これを見ると、チェンコン、パクセ、ビエンチャンなんかにもバスは行きかうと分かる。いつの日か、ここからあちこちと行ってみたい。

10:30
何をするか?まあ、一つ二つの観光をしよう。ということでバスステーションの前に停まっているバンをガイドが交渉。なんと一日貸し切りでガソリン込で1800バーツとのこと。タイと比べると同じくらいか。ラオスはガソリンが高いと聞いているのでまあ、自分のペースの旅をするか、ということでこのバンに決める。
こんなバンだ。贅沢な一人旅。

ひっとするとターケークで一泊、とも思ったが何かすすまない気分も。物価が高い?タイがキットン?明日のバンコク帰りが心配??????

出発前にトイレに。チップ10バーツ。


11:15 
どこへいきたいか?、って聞かれても分からん。とにかくガイドと運転手に任すことに。まあ、2~3か所くらいで食事して終わればいいか、と。

途中の市場で大根のようなものを見た。この野菜は
 カノンというそうだ。出来そこないの大根と思えばいい。

フランスパンがいたるところで売られている。このフランスパンは仏の植民地時代の名残だが、縦に割ってソムタムを刷り込む。うまいらしい!ラオ洋折衷文化!


ターケークの町を越すと粗野な自然が続く。

バンの車窓から、農園風景、粗野な林、すれ違うトラックの立てる砂ぼこり。
「あのトラックは何を積んでどこへいくのか?」とタイ語で聞くと、運ちゃんは「テンモー(西瓜)だ、ベトナムへ持って行く。トラックもベトナムのものだ」と答える。



カラカラに乾いた田んぼだ。
遠くの山々は、予期せぬ角度でとんがったり、削れたり。たぶんインドオーストラリアプレートがぶつかったついでに岩が転げて出来た、という感じの山並みだ。不自然な怪しげな形の山々。

地図を見ると国道12号と書かれている道をまっすぐ東へ(ベトナム方角)約6キロほど進み、左折れて北へ進んだ山並みの一角である。ターケークからは最も近場のスポットのようです。しかし、舗装から小道に折れると砂ぼこりだ。
玄武洞のような岩肌、岩穴に到着する。

タンパファ(Tham Pa Fa) または(Buddha Cave)または(Tham Nong Pa Fa)というらしい。地元の人には、タムパファで知られている。が、日本人にはあまり知られてない。Nong Pa Fa とは、「殻の柔らかい亀の湖」という意味だとの説明がある。
現地の人は「ター・プラ」と発音している。

ガイドについて岩山へ近づいてみる。
ガイドが切符を買ってくれる。一人120B
ガイドはズボンを隠すように腰巻を借りてきた。それとお供えの造花も持たせていただく。なかなか敬虔なガイドだ!
  ちなみに、この巣窟に関する料金でありますが、駐車料は車5000キップ、バイク2000キップ、入場料外国人は5000キップ、ラオ人は???、ボートトリップは10,000キップ、と書かれている。ちなみに腰巻は、女性用でラオ語ではシンといい3000キップである。**この料金はすべて1時間で!としてある。なんとけちくさい。
池のような沼のような、いちおう泥色の水は残っている。水牛がいそうな沼(世俗の池)?
多分、雨季は沼地であろうその上に木製の長い橋が架けられている。みごとな橋と言えますね。
           で、私もちょっと写真撮影を。お供えの花を持ってますね!


<ちょっとご紹介>予期せぬガイドを買ってでたタイのホテルの従業員スッパーポンタンルワンリットさん。j年齢は30歳。シングルマザー。ムアンから約3時間ほど北へ行ったシーソンクラーム郡サムコン村の出身で、子どもを親に預けてムアンで働いている。ホテルでは一日350バーツ程度の日給とのこと。これだけでは足らないので市場へ行って行商を手伝ってもいるそうだ。
アパートは月2500B、そして養育を頼む親へは6000バーツをめどに仕送りをしているそうだ。
⇔スッパーポンさん

おっと、洞窟の入り口にはこんな池も(聖なる池)ボートにのって。地下湖で涼しいボートトリップだ。タイから来た観光客がわいわい楽しんでいる。水の色も違うんだ。

 泳ぎは禁止とある。
洞窟内には500年ものも含めて229体の仏像があちこちに置かれているそうだ。入り口が狭いので、この洞窟が発見(再発見?)されたのは2004年、つまり15年ほど前だそうだ。
石灰岩の岩群、足元に注意が必要だ!the 石段を下りていく、その先にかがんでくらいの入り口がある。入り口の所でチップ強要の番人がいる。追いはぎだ。
なんと道中は化石化石!考古学者、地質学者にはよだれが出そうな化石が岩肌からむき出している。
いつ頃の樹木なのだろうか?化石にもならず木石のままだ。
にわかに地学の研究をしたくなった。
たくさんの仏像があちこちに飾られていた。お花を供える。なるほどブッダ・ケイブだ。中に入ると洞窟というより、お寺の一部のようだ。

洞窟内は撮影禁止でした。

ラオスの粗野な暑い大平原が、遮断される洞窟、しかも仏教の聖地でもある。身も心もサバーイ、サバーイの空間だ。
タイ側から見つめるとのこぎりのような奇形の山並みも、このように麓まで来るとなかなか見ごたえのあるスポットだ。

 ブッダ洞窟から30分ほどしたところにタン・ナン・エー洞窟がある。ターケークからは15キロ東に行き、南へ折れて未舗装の道路を1キロ行ったあたりにある。
こんな道を南下していく。

13:15 到着
 家族ずれ、若い団体、西洋人、おばあさんが家族の者と手をつないでゆっくりと入っていく。
 入場料は120バーツ払う。
見どころはいろいろあるようだ。

 コンクリートで出来た回廊のような渡し橋を折れて地下へ潜っていく。入り口が狭いところである。

ガイドは「インスタ映え」を狙っているのか、一人で写真を撮っている。
赤色のライトアップ

最大の見どころは、中央部の部屋だろう。天井の高さは30メートルくらい、その部屋はナン・サマウンタと呼ばれているらしい。サマウンタと貴族との悲恋の話があるそうだ。

若い女性が洞窟の仏像の前で自撮りのシャッターを押している。

さらに進むと地下に湖がある。電燈で少し見える。大洞窟につながる海上をボート探検もできるらしい。救命具やヘルメットを身に付けた若者が上がってくる。


全部歩くと 5 キロとか。洞窟はブルーを基調に明るく照明され、セメント補修もほどこされた歩道を歩く。
ゆっくりすればいろいろ見えてくる名勝地だろうな。
 
タンナーンエー(Tham Nang Aen Cave)。
ものの本によれば、30年ほど前にタイの王女さまがこられることになり格調を高く施設を築いたものらしい。そのころにベトナム戦争は終わり、きっと、タイ・ラオ友好の懸け橋の機運の走りになったのだろう。

こうした洞窟には、週末にラオス、タイの人々にも人気のスポットの一つらしい。外気の暑さからの自然涼しいエアコンにもなるかなね。

十分に身も心も肝も冷やしたはずなのに、外に出てカフェー・ジェンを飲むガイド。


13:15  シーコータブンへ。 
メコンを見ながらランチタイムを    途中、やたらとベトナムの国旗が目立つ。
   遅まきのランチ・タイムだ。
いつもの これ!ラオスでも美味しいね。
勝手におかずを増やすガイド。

最後の訪問地はここ、ターケークの南6kmの所にあるシーコータボーン大仏塔。




この本堂の中でもガイドは敬虔である。
なにやら一生懸命お祈りしている。
来世のことか?、現世のことか?超現世のことか?過去の懺悔か?

ガイドの半生は、幸せだったのか?男(夫?)と別れ、子ども二人を育て、両親に加世田お金を仕送りし、そして日々仕事に追われる。仕事があればいいが!
全てをブッダの前でお祈りをする。「今よりも境遇が良くなりますように!」だろう。
あるいは「良きパトロンが現れてお金の不自由が消えるように!」かな?

 これほど仏に敬虔な人物でも、でも、でも、他人、特に外部から来た私のような者からがめつく稼ごうとし(そう見えるだけか?)、できれば一銭でもセシメルことはできないか(失礼)?と祈っているのではないでしょうね。内なる仏への帰依の精神と、外の位置づけからの激しい搾取の鬼心。まったくダブル・スタンダードが明確だ。
性善説の日本人の私には、どうも首をかしげる。
 仏の前で手を合わす姿、古くからの仏への帰依の習慣は空気のように身について、そのことだけでも尊く崇高に見えるのだった。

 最後の最後に、バス・ステーションへ向かう途中に伝統的様式の家屋を見せてもらった。

16:30 ターケーク発の国際バスに乗る。
ラオスのイミグレは比較的簡単であった。ここで乗客全員バスを降りてイミグレーションで出国手続きです。パスポートを見せるだけで荷物検査はありません。
メコン川を越えます。第3タイ・ラオ友好の橋です。
タイ入国ゲートに到着です。タイ人はそのまま窓口に進めますが、日本人は入国カードを提出です。事前に書いておいてよかったわ!