ノーンハーンに着いた時に「本当にあの先生は泊めてくれるのか?」「いや果たして家にいるのだろうか?」「泊めてやる、と言ってくれるであろうか?」「もしだめなら他の家を紹介してくれるだろうか?」いろいろ不安が心によぎる。
その度に手に握っているアピチャートという名前とノーンハーン郡ノーンタカイ村ぺけペケ番地の住所の書かれた紹介状に目をやる。
大通りに面した村の入り口で小学生をつかまえてこの名前を住所を言ってみる。アピチャート先生の名前は知らないがそれらしき学校は知っているという。
その学校を目指すが道はぬかるんでいて車は通れない。仕方がないので車を道路際において水牛道路を歩いていく。学校はこの二週間は休みだという。雨がよく降り田んぼに水が潤い、農繁期になってってきたため児童が農作業やら家事の手伝いに忙しくなるからだという。
水牛道路を引き返し、車を止めている村へ引き返す。もうあたりは暗い。村とは言っても辺りには人は見えない。森の木を切り倒し、土地を開墾し、永年にわたり築き上げてきた荒削りの田んぼ。水牛の背に乗って農婦が家路につく。不思議な森の世界にさまよい込んだようだ。一つの感動が身をよぎる。水溜りで黙って釣り糸を垂らしている女性がいる。こうした光景がいとおしく涙が出そうになる。自然の中で人、動物、川、森、水田、道、家がしっかりと生態としての秩序を守っているかのようだ。釣をしている女性に再びメモにある住所を尋ねる。少し行き過ぎたらしい。少し戻って手前のヤシの小道を進み、百メートルほど行ったところに私の尋ね求めてきた、まだ見ぬアピチャートさんの家があった。十メートルは有にあるヤシの木が彼の高床式の家を取り囲むかのように何本も聳えたっている。ヤシの木の下は雑草がうっそうと茂っている。小道と反対側の二十メートルほどのところに四角い池が二つある。ハスの花、その蕾が顔を出している。
道とこの池はかなりの坂道になっており、その高低の調整を高床の柱がみごとに果たしている。床のところは地面から2メートルはあろうか。人の気配はなさそいうである。床下のコンクリート面にオートバイが一台置かれている。下から「こんにちは!」と2,3回声をかけるが返答がない。静かだ。
階段下で靴を脱いでゆっくりとチークの床まで上がってみる。「アピチャートさんのお家ですか?こんにちは」とやや大きめの声を出してみる。すると一つ棟を隔てた奥から女性の声で「そうですが、、、、」といいながら姿を現した。床下ではアヒルやらニワトリやらそのヒヨコやらが声がうるさい。その女性の後ろから3,4歳の女の子がついてきた。私の顔を一瞬みるなり「あがってください」という返事。「私は日本人で**さんの紹介で***」と言葉を続けようとしたが「わかっています。主人は今、出かけていますが夜には帰ってきます。それまで上がって待っていてください」との返事である。私は日本人でここを訪ねて来てしばらくここに滞在した、と思っていることすべてを一瞬にして了解してくれたのである。でも、どうなんだろう?私もアピチャートを知っている私の友人からも一度も日本からアピチャート氏に手紙を書いたりしていない。(この友人はかつてバンコクのシーナカリン大学に2年間留学していた時にアピチャート氏と知り合ったのである。そして私に住所だけ教えていてくれたのである。)
「主人は今はウドムタニの教育委員会へ行っています。夜、8時には帰ってきます。どうぞ泊まって行ってください。**さんはよく知っています。2年前にここに遊びに来てくれました。」と懐かしそうな表情をしながら、床のござを広げ、座るように言っていただく。彼女は手前の寝室でむずかる幼児をあやすために姿を消した。言葉、表情は少ない控えめな奥さんである。昼間、はるばると心もとなく不安混じりになっていた私は安堵の喜びが湧いてきた。