知らないタイを歩いてみたい!

タイの地方を紹介する。関心のある方の集まり。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

タイ・ユング旅行 ⑲ カニヤさん  -’86 夏ー

2020-12-24 05:41:13 | ラーブリー
 カニヤさん
 赤いヤマハのバイクでカニヤさんが私の宿舎に迎えに来てくれたのは翌朝9時であった。
 私はタイでは多くの文字通り親切な人々に巡り合ってきたが、その中でも最高に他人に対して気持ちを察するしなやかな心を絶えずみずみずしく備えている人と言えばまず「カニヤさん」と断定したい。そしてあんなこころやさしい人物がタイには「無尽蔵」に存在するならその地にていざ死なん、と絶賛したくなる。そんなカニヤさんのパーソナリティーの一端を紹介しておこう。ある時、私の日本の友人(独身女性)がタイへ行きたいがはじめてなので一人では不安である、なんとかならないだろうか、という相談であった。いろいろ無難で安全な観光コースも知ってはいたがタイへ行ってタイ人と関わらないほどつまらない旅はないと常々痛感しているので、思いついたのが「カニヤさん」の助っ人である。こちらの事情をしっかり連絡すれば必ずや安全に十分な満喫を味わわせていただけると信じ、カニヤさん以外はないと思った次第。さっそくその旨を連絡してみた。返事がすぐにはこないので忙しいのだろう、と思っていた。2週間後に「キムラさんの友達なら私の友達でもあります。あらゆる日本の友人、さらに世界のあらゆる人々と我々はいつでも友人になれるのです。今回のあなたの友達の旅行についてはなんの心配もいりません・」といったこちらのこころを知り抜いた気持ちの染み入る文面の手紙である。さらに続けて
「ただあなたの友人が休日に来られないのが残念です。その期間は私は勤務が忙しくいろいろ案内して歩くことができないのです。」「でもそんなことは心配はいりません。あなたも知っているようにタイには至る所に親切な人がいます。」心憎いばかりである。この他人愛的な突っ込みこそタイが心理的先進国の証である。「私の友人にお願いしましたからあなたの友人は思い通りの所へ喜んで案内してくれますよ。こうしたプランが彼女を喜ばせるものかどうかあなたから聞いてください。そしてすぐに私に連絡してください。」とまあ、こんな具合であります。読者諸氏、こんなカニヤさんの配慮こそカール・ロジャーズの言う「無制限の受容」と思われないか?
 2週間も彼女から返事が来なかった理由はこうした彼女の温かい受け皿作りにあったのである。彼女の内面のこまやかさ、繊細さについては言葉では言い尽くせるものではない。どこまでもしなやかで、あたたかく、相手を受け入れようとするしっかりした芯がその底に根付いている、とでも言っておこう。なかなか自我が肥大しつつあるどこかの国ではなかなかこうした人には会えない。
 さて、感嘆はこれくらいにして彼女の勤める学校の話に戻そう。

タイ・ユング旅行 ⑱ラーブリー、バンポンへ  -’86 夏ー

2020-12-23 10:55:52 | ラーブリー
 翌日、夕刻にチャナロン氏の勤務が終わるのを待ってラーブリーのバンポンへ行くべし待ち合わせの南部バスステーションへ向かう。バンポンは彼の故郷である。バスセンターはトンブリーにある。バスに乗るため王宮広場辺りに差しかかると同じトンブリーに向かう青年が声をかけてきた。タマサート大学の学生だという。バスがなかなか来ない。すると彼は「一緒に近道して行きませんか?」と言ってくる。片言の日本語だが通じる。知り合いが東京に留学しているとかなんとか。こっちも時間が過ぎてやや慌て気味だったので早い方がいいか、ということで彼の後についていった。チャオプラヤー川に出てトントンと何艘かの停泊中の舟をまたいでとある舟は頭に何やら交渉し「こっちへ」と手招きして私も乗るように促す。私が乗ると舟はプルプルプル。。。。と対岸のトンブリまであっという間に着いてしまった。料金の交渉があったかどうかは知らないが料金は400バーツとのこと。バスなら2バーツのところだ。「二人だからワリカンにすりゃ安いね。」と彼が言う時少々驚きを禁じ得なかった。学生の中にも超貴族がいるものだ。彼はトンブリーの百貨店に勤める恋人を迎えに行き今晩夜通しディスコに行く、のだそうだ。気分が随分浮かれているようだった「将来は弁護士になりたいんだ。」と話しながら私を南部バスステーションまで案内してくれた。彼は渡船の料金を除けば親切なタイ人として思い出に残る。しかし、「騙されたのか?」とも思うことがある。
 待ち合わせたチャナロン氏と合流し、バスに乗りバンポンに着いたのは午後8時近かった。屋台で夕食をとる。その後、数年来の知人である中等学校の先生カニヤさんのお家に行く。昨年来の積もり積もった話をしたり、明日の私の学校訪問の打ち合わせをしたりしてチャナロン氏の家に帰ったのは10時であった。


タイ・ユング旅行 ⑱ラーブリー、バンポンへ  -’86 夏ー

2020-12-23 10:55:52 | ラーブリー
 翌日、夕刻にチェナロン氏の勤務が終わるのを待ってラーブリーのバンポンへ行くべし待ち合わせの南部バスステーションへ向かう。バンポンは彼の故郷である。バスセンターはトンブリーにある。バスに乗るため王宮広場辺りに差しかかると同じトンブリーに向かう青年が声をかけてきた。タマサート大学の学生だという。バスがなかなか来ない。すると彼は「一緒に近道して行きませんか?」と言ってくる。こっちも時間が過ぎてやや慌て気味だったので早い方がいいか、ということで彼の後についていった。チャオプラヤー川に出てトントンと何艘かの停泊中の舟をまたいでとある舟は頭に何やら交渉し「こっちへ」と手招きして私も乗るように促す。私が乗ると舟はプルプルプル。。。。と対岸のトンブリまであっという間に着いてしまった。料金の交渉があったかどうかは知らないが料金は400バーツとのこと。バスなら2バーツのところだ。「二人だからワリカンにすりゃ安いね。」と彼が言う時少々驚きを禁じ得なかった。学生の中にも超貴族がいるものだ。彼はトンブリーの百貨店に勤める恋人を迎えに行き今晩夜通しディスコに行く、のだそうだ。気分が随分浮かれているようだった。

タイ・ユング旅行 ⑰文明の発達史観(3)  -’86 夏ー

2020-12-19 04:27:12 | ハノイ
 「そんな基盤の決定的違いを知らずに文化がどうだ、心がどうだとは無神経なものだ。」途上国の人々に日本の現代の病理を理解しろという議論の立て方がおかしいのだ。日本は日本の「近代化」を極め、今はその近代化がもたらす負の部分にも悩まされている。そして部分修正しながら折り返しの再建をねらう国と、これから物質文明の恩恵にあずからんとする途上の国とそこで相互の「理解」というのは何を指すのか?彼らには我々の立場には実感が持てないのだ。アジア理解を口にするとき我々は我々だけの尺度で相互理解でなく相互誤解をしているのだ。「理解」し合うということは結局はどちらかの都合で行っていることなのだ。それでも融和的心情で「理解」を唱えるのは幻想なのだ。絶対ふれてはいけないところをかかえながらしかお互いに付き合ってはいいけないのではと思う。その点からすれば「理解」というより「了解」という言葉の方が合っているようだが相手の主体性を尊重した言葉はないのである。このことを「了解」しておかないとアジアにおける相互の付き合いなんては到底市民権を得ることはできないであろう。
 チェナロン氏と行動を共にして分かったことであるが、彼は自分の身分証明書をホテルで提示すれば高級ホテルであっても料金は半額になるのである。まあ、私も彼の借りたホテルの部屋に泊まることで恩恵は受けさせていただいたのだが。彼が教育関係の公務員であるという特権のようである。国家に有用な人物はかなりの特権を持っているようである。発展に向かって若い国だからだろうか。さて、ところがである、意外にも意外、彼の下宿へ行くと下が商店でその三階の6畳ほどの一間の部屋である。真っ暗と言っていい。もちろんエアコンもない。スワンパーの雑踏市場の真ん中で中国人経営の古アパートである。屋台街の露店の煙がまともに窓から入ってくる。彼が私に「ここで泊まっていかないか。」と言ってくれたがマットレス1枚では気の毒なので辞退した。
 我々がバンコクの路地裏を歩いていると中国人経営の雑貨屋、乾物屋、漢方薬局などを目にする。そしてその入り口には老主人が上半身裸で安楽椅子などに座って新聞を読んでいる光景を見る。ああした建物の2階、3階には意外なタイの素顔があるのではと一度上がってみたい気がしていた。やっとチャナロン氏の下宿を垣間見させてもらことによって実現したのだ。家主はマンダリン出身の中国人で一階は仕立て屋兼洋服屋も経営している。奥には共同の水場があってその横は路地に続く住人の出入り口である。2階は老婆が借りて住んでいる。昼間は自分の部屋の外の踊り場で古雑誌の紙をはがして袋にする内職をしていtる。そして3階が彼の下宿である。彼の部屋は机、ラジカセ、白黒テレビ、簡易箪笥、それにマットレスが敷きっぱなしになっている。足の踏み場もないと言っていい。彼のプライバシーの侵害にもなるのでこれ以上の取材,描写は差し控えるが若い男の大学生の乱れた部屋だと思っていただければよい。ランゲージセンターの主任教授であることとこの下宿部屋とのコントラストは気にならないことはないが、彼の合理的な考えや経済観の表出なのかもしれない。


タイ・ユング旅行 ⑯文明の発達史観(2)  -’86 夏ー

2020-12-15 10:25:20 | ハノイ
 私には今日本人がホルマリン漬けにされようとしているんではないかと思える。子どもの現状をみればなるほどと頷かれよう。テレビゲーム、ファミコンに没頭し、まったく他の人には関心を示さず親のエゴから来る競争社会に過剰に適応させられている。しつけも耐性も横にやられているように見える。いや自我さえ奪われてしまったかのようである。日本の近代化にとってその精神的な面での影響は無視できなくなっている。家庭、学校、社会など十年単位でとらえてみてもその変容はすさまじい。いじめ、登校拒否、家庭内暴力、拒食症、数え上げれば切がないほど日本の西洋化での弊害はでている。もちろんそれじゃあ文明を拒否すればよい、なんて短絡思考は許されない。陳腐な表現であるが私はこうした文明の中の精神的ひずみを少しでもなくする方策を模索しているハッピーな者である。
 こうした明治来の日本の文明化、それに伴うアジアへの軽視(無関心、もしくは蔑視)の潮流、、一方、現象としては新人類現象、モラトリアム、心理学の病理は数え上げれば切がない症候群が溢れる中で、一つのカンフル剤として考えることがある。一人でも多くの、特に若い子ども達を預かる教師たちにアジアの非観光地域に足を踏み入れてほしいのである。そこに2~3日踏みとどまって見聞してほしいのである。少々のポケットマニーを貯めれば可能なのだ。こんな生のアジアアプローチをチャナロン氏に吹っ掛けてみるのも面白い。
 彼の返答はこうだ。「あんたがいうことには原則的には賛成だ。アジアの途上国には明日の生活お不確実な現実を抱えた人々がいる。収入を得るために屈辱に耐えて生活の糧を得ている人々も数知れないからね。だけど自分の行きたいところへ行ける自由が大切だね。日本人は欧米の真の文明を見るべきだろうね。(どこか噛みあわないが)タイにしても日本と別の意味の近代化をしているとすればタイに来てみるのも値打ちはあるだろうね。でもあんまりアジア、アジアとは言わずにやっぱり欧米も十分に見たほうがいいね。人間ってのはこの世でしたいことが山ほどあるってことだ。欧米にあこがれている人たちとももっと意見を交わして見聞を広げることが大切だと思うね。さすがに英国へ留学して帰ってきただけはある。完全な近代合理主義の信奉車だ。世界の他の部分も見ないとアジアの本当の姿も理解できないよ。欧米の文化、モラル基準、教育制度など近代化の真の姿を見るべきだよ。そうすればその影響がどれほどアジアに強烈に入っているか分かるよ。タイの固有の文化なんて抵抗もできないさ。今でもタイ人は毎日毎日アメリカやヨローッパの映画やテレビ、ファッション、人間を見ているし彼らの贅沢な暮らしを知ってるよ。。。。」
 「ところがだね。欧米の人たちなんかタイがどこにあるかも知らないんだよ!」彼の途切れない主張はその後も続く。お互い少々酔いが回ってきたようだ。論理的に頭が回らなくなってきている。いずれにしても日本における欧米へのアプローチとタイにおけるアプローチは歴史的にも政策的には違いは鮮明である。タイではつい最近まで自国の伝統文化に根差した固有のアイデンティテイーを創造的に模索するルンマイ(若い世代の知識人)達の層があるがチャナロン氏はそれのも属さないまるまるの欧米合理主義者である。彼のルートが中華系であるせいもあろう。
 独断的要約:「あんたがたは今、物質文明の恩恵にどっぷり漬かっていて困ってもいない。テレビはいかん、パソコンはいかん、と言っているが何のためにいかんのか!目の前で喰うのに困っている人たちだって物質的に豊かに会って文化的な生活をしたいに決まっている。