知らないタイを歩いてみたい!

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「タイをなぜ歩くのか}

2024-01-12 11:50:54 | 旅行
昭和55年9月30日発行(1980)
「タイ」のこと (英語科)
―タイ語雑感

「英語さえやっておけばなんとかなる」といって英語会話熱は日本でも盛んである。なる程英語は 国際語になってしまったから世界の人々と語らう場合の最低条件あろう。また進んだ国々の文化 知識を吸収するのにも英語が読めることが必須条件であろう。

ところが面白い話を聞いたことがある。中東のある国に毎年数名の駐在員を送っているある企業の 人事担当の人の話である。毎年英語が堪能な社員を選んでその国に送っていたのであるがある年にち ょっとした事情でタイ語を修めた社員を一名その駐在員に含めたのである。その一名の加入で現地で の経営がそれ以前よりも随分うまくいったという。もちろんその社員の個人的資質にもよろうが、そ れ以後人事担当者は何故かタイ語 に精通した駐在員を毎年加えているそうである。アラビア語とタイ語の関連性は 全くないと言っていい。タイ語より英語の方が会話は通じるのは自明の理である。であるのになぜ現地の人々とスムーズに意思疎通ができて企業にとって成功するのあろうか。

私はタイ語に固執するつもりはない。インドネシア語でもクメール語でも朝鮮語でもいい。すべて世界的に見ればマイノリテ な言語である。そうしたマイノリティの言語を知る事は今日的に大きな意味があるような気がするのである。

そこにはお互いの意思が記号的に通じる以上にある文化を真摯に 理解しようとする態度が体得され ているのではなかろうか。マイノリティ言語圏はほとんどが開発途上国 か中進国である。物質文明などの点からみれば確かに日本より劣っている。しかしそんな国の言語をやっても「益にならない」あるい は「儲からない」と打算的見地立った上での言語観はおかしい。

自分の国の文化が絶対的に優れているんだという認識は正しくない。また欧米さえ知っておれば事 足りるという認識も今日的状況の「中では正しくない。物質文明、科学的知識の面から見れば西欧が断然すぐれていようが、事前の中で自然の恵みをうまくコントロールし、自然と人間がほどよく暮らしていける知恵を持った文明という観点から見れば西欧が一番とは言い切れない。

紙面の都合ではなかなか具体例はあげられないが、私はタイ農村を歩く中で、そうした知恵という ものを数多く見てきた。文化とは 相対的な価値観で見なければならないということを痛感している。その風土にに適したその国での合理的な文化がしっかりと形成されている。

話を元に戻そう。「英語さえやおけば」という発想でいろん国に接する事は英米の精神文化やその価値観のみで世界を知ろうとする態度で、本当のその国の人々の襞まで知ることは不可能である。英語で割り切れない所に本当の人々の気持が散らばっている。そうした心を切りてる武器としてその発想はマイナスに働くことがある。その点を留意しておく必要がある。

もちろん英語に精通する意味は決定的に大きい。また、英語圏を理解する場合は特にそうである。世界の人々に接する最低条件であることも事実だ。しかしあくまでその国の言語はその国の精神をバックボ ーンとしている事も十分知っておく必要がある。さらに英語や、過去においては中国語も世界的にみれば巨大優位言語であり、いわゆる我々にとっては「上ばかり」見ている外国語の吸収様態でである。
自分より劣っていると見なす言語は全く無視する傾向が日本にはあるのである。本来の外国語得の 意味はこの様な様態にばかりあるはずはないのである。

この事は生き方、考え方の問題として私に大きくのしかかっているのです。だから自分が自分を間 う問題として私はタイ語を含めてタイを調査しているのです。



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