運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

弥山を見せん

2007年03月30日 11時58分12秒 | Weblog
えらいものが来てしまった。・・『弥山』(みせん)と題されたその作品を実際に我が家に迎えての家族一同の所感だ。だって、部屋の空気から、雰囲気からちがってしまったのだもの。これが名作の持つエネルギーというものか。

 この作品が我が家に来るまでの過程も運命の出会いの連続だった。
ことの起こりは、すでに九州地区で自費出版なのに一万部も売れていた『いのちのまつり』という、一冊の絵本が、我がパートナーのところに同時期に別のルートで持ち込まれたところからだった。いのちというものの根源、自分の命を親、祖父日、祖祖父母・・と延々とさかのぼることでどれだけのつながりでいまの自分があるかが一目瞭然で見て取れる仕掛けページつきのその絵本の発案者であり、お話を書いた著者である草場一壽氏の本業が、実は陶彩画という観たことのないジャンルのアーティストであることを知り、HPでみた作品の凄さに仰天して、神戸で開かれている個展会場に観にでかけた。
会場にあった作品の中には、こんな美しい色の世界があるのかという奥深く鮮やかな色たちの輪の中心に、どう見ても小妖精としか思えない光り輝くなにものかが出現しているものがあった。『時の番人』という名のその作品は、作家の意図を離れ、釉薬をのせたあとはもう、窯と火の神がなすままお任せの中で現れたものらしかった。その抽象画の前から離れられなくなる人や泣き出す人が多いという不思議な世界だった。
 個展からの帰りの新幹線で、もうすぐ京都という頃だったろうか、読んでいた本からふと目をあげて窓の外をみてギャッとなった。左のやや後方に、見たことのない光景、大きな大きな深い紫色の雲の背後からまるで光背のように物凄い光が爆発して散っている。原爆の最初の光・・とまでは言わないかもしれないが、でも、ああいうのだったのかなーと思い浮かべてしまうほどの光だ。何事が起きているのだろう、と、思わず携帯で東京に『今すごい雲が!!』メールしていたら、車両のドアの上のテロップが流れ始めた。『・・・只今、和歌山の新宮地方を中心にマグニチュード6.6(だったかな??)の地震が発生・・・』、わ、あの雲は、では、地震の雲?
新宮ということは熊野も揺れたのだろうかと、熊野の山が開いた光だったのかなんて考えた・・・・。
 その数日後、神戸の個展も終えたであろう陶彩画のHPを開けたら、新作紹介、となっていて、一枚の作品が載っていた。
それを見て驚愕した。まるであの雲のような色をした岩屋か洞窟のようにみえる絵の中央から、光と共に烏帽子と直垂をまとった貴人が横笛を奏しながら出てくるところ、といった姿にみえるではないか。
タイトルを見てさらに驚いた。
『弥山』(みせん)・・昔の主弥山、つまり、聖なる山、奥の院、ひやああー!                            ・・・つづく