最近、私は自分の人生をジャーナルしている。
朝目覚めたら、すぐにノートに、日記にも
そして、このブログにも
気がついたり思い出したり、したこと
新たな視点、などすべて。。
ただありのまま、あるがままだ。
何の他意も作為もない。
昨年来の、ずっと共にしてきたパートナーの、交通用語で言うなら、強引な方向転換のあと
いま、私は、実のところようやくたちなおれてきたかなって感じている
ようやく、笑っていて、本当に笑えているって思えるようになった
日々が新たな気づきに満ちてきだしている。
正直、それまでは長く苦しかった、
人生で今頃、こんなひっくり返しの学びがあるとはねーと
降参しそうになることも多々あった。
一番、頼りとしたい伴侶.
ずーっと、ぼくたち一生一緒だよとげんまんし合った
その伴侶そのものから起きたことだから
そこに助けを求めるのはもともと無理としても
それにしても、約束や良識も無視して強引に向きを変えた後の
影響や不負傷者が回復したり、たちなおるのを
待つとか、手助けするとか、配慮するどころか、微塵もなかったから。
たくさんの友や周囲やに助けていただきながら
長い夜は、自力で越えていくしかなかった。
心が血を流して泣いている一番つらい時機だろうと微塵も想像もつかず
「夫婦」を冠に課した大々的なイベントを謳うのを
ひとりならず、『あなたと○○くんと三人でずっと一緒に幸せになりたいの』と
熱烈なやりとりしていた相手までも
スタッフとして迎えていたことも知らないで
それでも、例年のように
成功を祈って花なんか贈ってしまった。
悪人なんじゃなくて
呵責、というもののない性格の人
そういうふうにできている人なだけだから、
相手の気持ちもわかってなどと求めることはできなかった。
そういう人と人生を共にすることを選んだのも私なのだし。
思えば故人の墓参も供養もぜんぜん、気がなくて
私から促してもだめか、ようやく、だったもの。
いま使えなくなった過去は存在せず
私はもう生きていても過去になっているんだなあって
ちゃんと認識するまで
こちらは普通の情動をもちあわせているから普通の時間がかかるのだ。
でも、おかげで、ジャーナルを思い出したのだから、結果、感謝、かな。
すべての体験
信じること 傷つくこと 傷つけること
徒労や無理解に泣くこと、
それでもおやりよ、の世界
ゆるすこと 忘れること
それでも無償でいる強さを学ぶこと
それでも愛しかないこと
感謝に変えること
揺れること 夜明けを待つこと。。。。。
10年以上前にアメリカ在住のチャネラーが
友人からきいた私の「名前」だけで
大変interestingな人生だ、この人は
今回、一回で全部経験してみせると決めてきているから
これまでも、これからも、まだまだ
たくさん、変化といろんな体験、ありとあらゆるをする
そして、ジャーナル、ジャーナル、
とにかく、ジャーナル、すること、
そう言われて
もうじゅうぶん波乱万丈だったから
えー、まだこれ以上?ごめんだわーって思った。
でもやはりまだ終わりじゃなかった。
共に波乱万丈を越えていける、いい感じで二人三脚してる
そう思っていたのにね。
いま、私は、やっと、そういう自分を
なんでもありのこの世界を初めてびっくりして観察している感じでいる。
はっきり言って、自分のたちなおりのために書いていただけだ。
ありのまま、気づきのまま
わざわざの気は、何も遣っていないから
正々堂々、捏造も隠れごともない
もしかしたら
そのことで、ことさらに、何か意図があると
勘違いされえることもあるかもしれないけど
自分の書くことに全責任もって
ただ、今、体験し、思うことをありのままに書いている
かつてパートナーが、もっと早くから
家族のことをいろんな媒体に書いてきていて、
それで喧嘩になったこともあった。
もっとも彼の場合は事実とちがった美談で
ジャーナルとは違ったからだけれど
私はただ、書いているだけだ。
書き留めているだけ。
いっさい、ジャッジもしていない
いいもわるいもない
ただただ、おきている本当のことをジャーナルしている
ああ 、なんだ、なんでもありなんだ、と教えられた様な気持ち。
怒るときは怒り、よろこぶときはよろこび、
私にはむしろそれが足りなかったって思っている。
変容。。。もっと広い意味のゴール、そこに向かうためにも自分をジャーナルしている。
意識、感情、悲しみ、記憶、
どうやってこれが統合されていくだろうって。
いま、こういう体験をしている自分がどうそれを消化して昇華させるのだろうって。
あのとき、ヘイゼルという名のチャネラーがテープに入れてくれた
いろんなことが、本当になっていっていることだけは不思議だ。
ちなみに、私はチャネラーとかって信じても好きでもないが。
そういう意味では、すべての体験、視点を変えれば互いにいろんな役を演じながら学びを助けあっているのだろうからすべて感謝だって思う。
朝目覚めたら、すぐにノートに、日記にも
そして、このブログにも
気がついたり思い出したり、したこと
新たな視点、などすべて。。
ただありのまま、あるがままだ。
何の他意も作為もない。
昨年来の、ずっと共にしてきたパートナーの、交通用語で言うなら、強引な方向転換のあと
いま、私は、実のところようやくたちなおれてきたかなって感じている
ようやく、笑っていて、本当に笑えているって思えるようになった
日々が新たな気づきに満ちてきだしている。
正直、それまでは長く苦しかった、
人生で今頃、こんなひっくり返しの学びがあるとはねーと
降参しそうになることも多々あった。
一番、頼りとしたい伴侶.
ずーっと、ぼくたち一生一緒だよとげんまんし合った
その伴侶そのものから起きたことだから
そこに助けを求めるのはもともと無理としても
それにしても、約束や良識も無視して強引に向きを変えた後の
影響や不負傷者が回復したり、たちなおるのを
待つとか、手助けするとか、配慮するどころか、微塵もなかったから。
たくさんの友や周囲やに助けていただきながら
長い夜は、自力で越えていくしかなかった。
心が血を流して泣いている一番つらい時機だろうと微塵も想像もつかず
「夫婦」を冠に課した大々的なイベントを謳うのを
ひとりならず、『あなたと○○くんと三人でずっと一緒に幸せになりたいの』と
熱烈なやりとりしていた相手までも
スタッフとして迎えていたことも知らないで
それでも、例年のように
成功を祈って花なんか贈ってしまった。
悪人なんじゃなくて
呵責、というもののない性格の人
そういうふうにできている人なだけだから、
相手の気持ちもわかってなどと求めることはできなかった。
そういう人と人生を共にすることを選んだのも私なのだし。
思えば故人の墓参も供養もぜんぜん、気がなくて
私から促してもだめか、ようやく、だったもの。
いま使えなくなった過去は存在せず
私はもう生きていても過去になっているんだなあって
ちゃんと認識するまで
こちらは普通の情動をもちあわせているから普通の時間がかかるのだ。
でも、おかげで、ジャーナルを思い出したのだから、結果、感謝、かな。
すべての体験
信じること 傷つくこと 傷つけること
徒労や無理解に泣くこと、
それでもおやりよ、の世界
ゆるすこと 忘れること
それでも無償でいる強さを学ぶこと
それでも愛しかないこと
感謝に変えること
揺れること 夜明けを待つこと。。。。。
10年以上前にアメリカ在住のチャネラーが
友人からきいた私の「名前」だけで
大変interestingな人生だ、この人は
今回、一回で全部経験してみせると決めてきているから
これまでも、これからも、まだまだ
たくさん、変化といろんな体験、ありとあらゆるをする
そして、ジャーナル、ジャーナル、
とにかく、ジャーナル、すること、
そう言われて
もうじゅうぶん波乱万丈だったから
えー、まだこれ以上?ごめんだわーって思った。
でもやはりまだ終わりじゃなかった。
共に波乱万丈を越えていける、いい感じで二人三脚してる
そう思っていたのにね。
いま、私は、やっと、そういう自分を
なんでもありのこの世界を初めてびっくりして観察している感じでいる。
はっきり言って、自分のたちなおりのために書いていただけだ。
ありのまま、気づきのまま
わざわざの気は、何も遣っていないから
正々堂々、捏造も隠れごともない
もしかしたら
そのことで、ことさらに、何か意図があると
勘違いされえることもあるかもしれないけど
自分の書くことに全責任もって
ただ、今、体験し、思うことをありのままに書いている
かつてパートナーが、もっと早くから
家族のことをいろんな媒体に書いてきていて、
それで喧嘩になったこともあった。
もっとも彼の場合は事実とちがった美談で
ジャーナルとは違ったからだけれど
私はただ、書いているだけだ。
書き留めているだけ。
いっさい、ジャッジもしていない
いいもわるいもない
ただただ、おきている本当のことをジャーナルしている
ああ 、なんだ、なんでもありなんだ、と教えられた様な気持ち。
怒るときは怒り、よろこぶときはよろこび、
私にはむしろそれが足りなかったって思っている。
変容。。。もっと広い意味のゴール、そこに向かうためにも自分をジャーナルしている。
意識、感情、悲しみ、記憶、
どうやってこれが統合されていくだろうって。
いま、こういう体験をしている自分がどうそれを消化して昇華させるのだろうって。
あのとき、ヘイゼルという名のチャネラーがテープに入れてくれた
いろんなことが、本当になっていっていることだけは不思議だ。
ちなみに、私はチャネラーとかって信じても好きでもないが。
そういう意味では、すべての体験、視点を変えれば互いにいろんな役を演じながら学びを助けあっているのだろうからすべて感謝だって思う。