運命と出会う瞬間

映画・小説・音楽・・なんでもありの気ままな感想

春の発酵ぬか床

2010年03月09日 01時08分42秒 | Weblog
糠漬けが大好き。子供のころから、きゅうりの糠漬けが大好きだった。

いまの部屋に来て、ようやく台所周りも落ち着いて、冷蔵庫も来て、あきらめていた食品をちょっとずつ、丁寧に品選びして、本当に必要なものだけを慎重に買っている、、春になると出回り始める糠どこや糠付けのもとなどが、日々の誘惑、待て待て、あの小さな冷蔵庫の一段をほとんどを占めちゃうぞ、と横目で見ながら買わずに帰る日が続いたが、頭のなかにはもう、きゅうりや大根やにんじんの糠漬けのイメージでいっぱいだ。
とうとう。。。メールした、ひと言。「ぬか床ある?」
翌々日、来た返事、発酵糠どこを送ります。。きゃーー、やった。
いそいそときゅうりの、新鮮なのを選び、漬け始めた糠漬けは、昔の糠床とちがって、さすが発酵糠床、もう、味もちゃんとして漬かっている。

春から、夏の、格別の喜び、糠漬け。。。蕪もキャベツもたまらない。
先日はじめて食べておどろいたかぼちゃやメロンの糠漬けや、筍も挑戦してみたい。
葱の糠漬けもおいしいのだ。
流しにある、ふきのとうを、これは。。どうだろう、と眺めている。
あんがいほろ苦いおいしい糠漬けになるのかしら。

教えていただいた話だけれど、お寺の住職に長寿で健康な方が多いのは糠漬けを毎日食べるからだそうだ。腸内にこの発酵乳酸菌が善玉をたくさんつくるのだって。

ささやかなおいしい幸せだ。

赤椀の世直しと民さんの個展

2010年03月09日 00時21分24秒 | Weblog
赤椀の世直し・・・最近初めて知った言葉だ。
縄文から弥生時代になって200年くらい、世が乱れ、戦いがあちこちで行われているのを憂いて、平和な国にもどそうとなんと当時の女性たちが動いたのだそうだ。
沖縄、奄美あたりを拠点に「赤椀)赤銅の世直し」のための勉強と活動をするために各地から集まった女性たちはアマミコと呼ばれてノロのような要素もあったらしい。
アマミ舞の思いと通ずるところ、おおいにあって、人品ともに、きっと当時の長だったのではと思われるT先生と盛り上がって、そのまま、尊敬する画家の民さんのところでその話をした。
ちょっと待ってて・・民さんが奥から何かを手にして戻ってきた。
なんと、立派な、由緒ありそうなどっしりした大きな赤椀だ。
これは???昔、民さんが東京でひとりでの暮らしを開拓するときに、なぜか、赤椀をもって行こうと思って特注してもらい、「私はこの赤椀に自分で稼いで銀シャリを入れてもりもり食べてやる」と決意してはじめたそうなのだ。
さらりとおっしゃるが、これがこの民さんの不思議で面白いところだ。
「普通、そんなこと考えません」「あら?そう?みんなそう思わない?」
「だって、お椀はお汁を入れるものでご飯ってあんまり思わないでしょう」
「そうかしらね、あたくしはなぜか、このお椀に、こう、山盛りに銀シャリを盛ってとおもったのよ」
。。その民恵美子さんの個展が始まる。
新宿京王プラザホテルのロビーギャラリーにて11日から19日まで。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~emiko-tami/topjpn.html

それは・・素晴らしいのだ。。すべてを白と黒の点の集合であらわす宇宙や原初の光や命を思わせる大作たちと、或る日、だっこの画を描きなさいとのイメージが来て以来、コツコツと毎日せかいじゅうの子供達の施設のために描き続けている、まったく作風のことなるやさしい「だっこ」のシリーズと。
その、いちからがすべてほんとうにオリジナル、民さんを通して出てきたエネルギーだ。
真贋という言葉があるが、世の中は結構、真に見えて雁なもの、とても器用な加工によるものにあふれ、まかり通っている。この民さんのような、粒子の一粒一粒がオリジナルな作品と傑出した「独り」己への責任を100パーセント淡々と、敢然と腹にすえている人柄とが本当にありがたく嬉しく学びになる。
真偽、というが、これまでいくつかの偽を応援して痛い思いをしたお陰で真がわかるようになった。
そして、どんなジャンルのひとでもホンモノはどんなささいな真心も見逃さない、恩も忘れない、ということも思い知った。