運命と出会う瞬間

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真名井こと清正の井

2010年08月21日 13時56分01秒 | Weblog
私が、勝手に、東京の真名井、と呼んでいるのが明治神宮の中の清正の井。

昨年暮れあたりから、どなたかがテレビとかで話されたらしく、以前は人も行かない奥水だったけれど、今ではいつも人が並び整理券が出ている。
もう、こうなったら行くこともままならないと、以来、横目で列を見ながら通り過ぎていた。

でも…今朝、目が覚めたら時計が555の5並びだったから。
今日は聖なる朝、神さまの朝、そう思って一日が始まったから。

用事があっての早朝出社の後、地下鉄に乗りたくなくて表通りをずっと歩いたら
明治神宮に足が向いていった。


拝殿を目指し、葉裏のあいだの空と風を見上げながら歩いていたら、折りしも、朝一番の列に、
守衛の方が整理券を配っていらっしゃるのに出くわした。

 一瞬の躊躇。

でも、まさに、このところ、押し寄せていたいろんなことが一点に集約されはじめ、自分の中でのやるべきことが、今度こそ、カッチリと、定まりました、と
5時55分の朝の空に報告した今朝だから、大好きな星降るあの清水にも挨拶をしないなどということはどうかしら、って、意を決して並んだ。

後ろにずらりと並ぶ方々を待たせながら、三人ずつ列になっての清正の井との再会は、ゆっくり唄ったり話たりもするわけにはいかず、澄んだ水も、星や渦は出ようがない感じだった。


それでも、自分なりに挨拶をして、そっと和紙のしおりに水を浸み込ませた。

拝殿にも夫婦楠にも挨拶をし、本当に無心で、大御心をひき、境内を出てからひろげて、
これまで、何度もひいたのに遭遇したことも見たこともない御歌のその内容に驚いた。

だって。。。これこそ、今朝、報告し自分に曇りがないか照らし、御心にかなうならお力添えを
と頭を垂れながら、拝殿に向かって申し上げたことへのまさしく答えだったから。

 『茂りたる うばらからたち払いても
    踏むべき道はゆくべかりけり』

もう、どんなことでも泣かないようになったと思ったけれど、かたじけなさに涙がどーっとあふれ出た。

 苦しむ必要はなにもない。
 気づきがあれば、あなたは、もうたくさんだということができる。
 癒しの道を見つけ、自分の道を変容させることができる。
 苦しみはリアルでさえない。
 他の人があなたに嘘をついたとしよう。それも結構である。
 彼らがあなたに嘘をついたのは、恐れていたからである。
 あなたが見抜くことを恐れているのである。
 そのことで傷つくことはない。
 あなたのまわりで何が起きようと、自分のこととして受け取らないこと。
 それは他の人たち自身のせいである。
 すべての人はそれぞれの夢の中に、その人の心の中に生きている。

でも、ちょっと思う。
 もしかして、私は、自分でも覚えていない
 遥か遥か昔に
 今度、会うときは、彼らが人生で一番大変なときに
 会うようにして助けるよって
 そう約束をしてきていたのかもしれないって。
 
 あなたは周りのすべてのものから愛を感じとる
 あなたの人生は、あなた自身や他の人たちとの葛藤から自由である。
 あなたの想像力と、知覚の新しい目を使って、私はあなたに、自分が新しい人生、
 新しい夢、ありのままのあなたでいる人生を送っているところを見てもらいたい。
 あなたは、幸福であり、本当に人生を楽しむことがゆるされている。

 ヘーゼル、あなたがジャーナル、ジャーナルと言った、あの意味は

 ジャーナルとは、旅の日誌ということなのかしら。