これだけの爪痕を残してやっと雨が上がり
さりとて元に復興するのはまだまだ先。
コロナに大水害・・・この先、日本は大丈夫?と
心配ですが、折しも今日は終戦記念日。母が居れば
「あの日を思えば何だって出来る」と言っただろう。
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もう何年も最後の爆震地、京橋あたりに行くことも
無かったが、今朝のTVで触れていたので思い出した。
子どもの頃は、「戦争痕」と言うだけで“へぇ~すごいなぁ”
と思うだけ。今おもえば 戦後何年も手つかずのままの
京橋・森之宮当たりの爆撃の凄まじさを思えば
「さも有りなん」とおもう。
ひと筋違うだけで運よく戦火を逃れた我が家でも
周りは焼け野原。生駒山がすっぽり見えるシチュエーション
に当時の住民はどうして這い上がったのかなぁと思えば
母の「何だって出来る!」が背中を押してくれます。
因みに終戦時の母は35歳であった
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