今回のコロナパンデミックによって、僕たちの世界はその外装を剥ぎ落とされて、そのなんともみすぼらしい骨組みが露出しました。
グローバル資本主義というのは、人・モノ・資本・情報が国民国家の国境線を自由に超高速に行き来するというシステムのことです。
でも感染拡大のせいで、電磁パルス以外の形状のものは簡単には国境線を超えることができなくなりました。
グローバル資本主義は「金さえ出せばなんでも買える」というふうに信仰されてきましたが、実は「マスク」一つさえ買えないことがあるということもわかりました。
どこの国も医療器具・医療品の戦略的備蓄の不足に苦しみました。「商品」として仮象しているモノのうちには、「ほんとうに要るもの」と「ほんとうは要らないもの」があるということも、今回の教訓の一つでした。
自動車やコンピュータは「あると便利」ですけれども、「ないと死ぬ」というものではありません。でも、医療資源や食料やエネルギーは「ないと死ぬ」ものです。
そういう物質を他の商品と同列に扱うことはできません。でも資本主義はその平明な事実を隠蔽してきた。「ほんとうに要るもの」を人々が市場で調達することを控えて自給し始めても、「ほんとうは要らないもの」を手に入れるために命を削ることを止めても、資本主義は立ち行かなくなるからからです。
医療は商品だという信憑も崩れました。医療は金を出して買うものである、金がない者は医療を受けることができない、病気で苦しんでも自己責任だというのが新自由主義時代の常識でした。
でも、一般の症病はそれで済んでも、感染症相手にその「常識」は通用しません。アメリカにはいま、2750万人の無保険者がいます。彼らは発症しても適切な治療が受けられないまま重症化します。
放置しておけば、彼らを感染源にウィルスは蔓延し続ける。感染症は「全住民が等しく良質な医療を受けられる社会」でなければ抑制できない症病です。アメリカはそれまでそういう社会ではなかった。
ウィルス一つによって、わずか数ヶ月の間に、ほんの昨日までこの世界の「常識」だと思われていたことのいくつかが無効を宣告されました。それがどのような意味を持つことになるのか、人々はまだそのことを主題的に考え始めてはいません。
日々の生活に追われて、そんな根源的なことを考える暇はありません。でもこの歴史的転換点以後の世界を、「生き延びるために」有益な知見や情報を伝えることは、国(政府)やコロナに関わる知見者がすべき大切なことです。
政府は目先の緊急事態宣言解除か延期かばかりに踊らされて、コロナ問題の本質と世界の変化を長期的に捉えていないように感じます。