日経春秋(2007/4/11)
「雨中再び嵐山に遊ぶ 両岸の青松 数本の桜を挟む」。21歳の中国からの留学生、周恩来が京都・嵐山を訪れてこう詠んだのは1919年の4月だった。「瀟々(しょうしょう)たる雨 霧濛濃(もうのう)たり」と続く詩句には失意に伴う春愁の気配がある。
そのはずで青年は東京で一高などを受験したが志を果たせず、神戸から祖国へ帰る途上だった。100年ほど前の日本留学熱の渦の中にあった若者はやがてフランスへ留学したのちに戦争と革命を戦い、ついに中国の国家最高指導者となった。35年前の日中国交正常化の調印式では田中角栄首相と署名をかわした。
天津の南開中学で周恩来元首相の後輩にあたるという温家宝中国首相がきょう日本を訪れる。小泉前首相の靖国神社参拝などをきっかけに途絶えていた中国の首相の訪日は7年ぶりになる。「氷を解かす旅」と呼んで日本特集を組むメディアもあり、日本大使館などを群衆が襲った「反日」の熱気はさめたらしい。
「人間の萬象(ばんしょう) 真理は 愈(いよ)よ求むれど 愈よ模糊(もこ)たり」。あいまいな現実の中から一点の光を見いだそう、と若い周恩来は記した。丘の上の詩碑から渡月橋を見渡すと背景の新緑を縫って桜が舞う。指導者がタクトを誤れば培った信頼の舵(かじ)が反転する。「戦略的互恵関係」へ向けてそのことを互いにかみしめたい。
『風林火山』。
中国は春秋時代の呉の将軍・孫武が書いた兵法書『孫子』の軍争篇の一説を引用した物
「雨中嵐山 周恩来」解釈
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/fusang07.htm
※愈求愈模糊:追求すればするほど、ぼんやりとしてくる。(人の世の真理を)追求すればするほど、分からなくなってくる。雨のために嵐山の景観が朧になってきたことと、自分の信念とをかけている。「愈…愈…」の文型。「愈A愈B」は、「Aをすればするほど ますますBになる」。「…をすればするほど」「…をすればするほど ますます」「一層」の意。 ・模糊:ぼんやりとしている。
※模糊中偶然見着一點光明:ぼんやりとしたその中に、偶然に一つだけの光明を見いだした時。 ・光明:景色を詠じている意味では、陽光であり、心象からは、輝かしいもの、希望、成功の見込み、という意味になる。