「求める」から「分かち合い(愛)」、そして「与える喜び」へ]
発行日時:2014 年 03 月 13 日 18 時 11 分
東日本大震災から満3年の日、また、ソチパラリンピック開催中の3月11日(火)、須坂市ダンススポーツ協会から、身体障がい者スポーツの振興を目的に、スポーツ用車椅子等を購入する資金をご寄附いただきました。このご寄附は、市民ダンススポーツ交流大会の参加者からいただいたものです。
須坂市ダンススポーツ協会からは、スポーツの振興のために、ジェットヒーター、時計、フロアシート、折りたたみイスなど多額のご寄附を頂戴しております。
また、日頃から市の体育施設を大切に使用され、秋に開催される「竜の里須坂ダンススポーツ大会」では、優勝の副賞に須坂産ぶどうを使っていただいているほか、須坂市の朝採りの新鮮な果物やおやきなどの販売や観光の宣伝をしていただいています。また、懇親会にも参加させていただいておりますが、和気あいあいとして、ユーモアもあふれる懇談をされています。
須坂市ダンススポーツ協会は、与える喜びに裏打ちされた行動をされていると思います。
一方、体育施設の整備に関して様々な要望がございます。体育施設の整備は、須坂市体育協会と市役所が、意見交換をして、優先順位を決めて、順次、整備を進めています。
長野冬季パラリンピック大会 秘話
現在、ソチ冬季パラリンピックが開催されています。パラリンピックの競技結果に関する新聞記事は、今は、スポーツ面に掲載されていますが、実は、こうなったのは長野冬季パラリンピックからです。当時、A新聞長野支局が、長野冬季パラリンピック開催前に、記者をヨーロッパの開催地に派遣し、取材をしました。(長野冬季パラリンピックは、ヨーロッパ以外で初めて開催されたパラリンピックです。また、参加者は、ソチ冬季パラリンピックも含めて最多です。)その結果、非常に深みのある記事になるとともに、スポーツ欄に記事が掲載され、それを他紙も追随しました。
開会式はテレビ中継がされましたが、閉会式は未定でした。国民の注目が高まったため、閉会式も放映されました。天皇・皇后両陛下、皇太子殿下・妃殿下を始め大勢の皇族の方にも、お出ましいただきました。大会終了後、吉村午良長野県知事にあいさつに見えたR.ステットワードIPC会長が、「日本の皇室は、障がい者スポーツに世界で一番理解がある」という趣旨のことを
述べられたことが印象に残っています。
(参考)
パラリンピック -ウィキペディア(外部リンク)
報道・メディアでの扱い
日本では、長らく、障がい者スポーツは一般になじみがなく、社会参加やリハビリテーションの観点からしか捉えられていなかったため、取り上げられたとしても、新聞では社会面に掲載され、スポーツ欄に掲載されることはなかった。
パラリンピックも1990年代半ばまでは一般になじみがなく、ほとんどメディアに取り上げられなかった。1996年のアトランタパラリンピックでは、車いすマラソンにおいて男女とも日本人が銀メダルという快挙もあったが、民放テレビや一般紙ではほとんど報道されなかった。
大きく流れが変わったのは、1998年の長野パラリンピックの開催である。この大会では開会式をはじめとして、いくつかの競技がNHKのBS放送で中継され、ほとんどの日本人がほぼ「初めて」パラリンピックを知ることとなった。教育テレビでは、普段「福祉の時間」や「障害者の時間」としている時間帯に、ヘッドラインやダイジェスト的に取り上げられ、少しずつではあるが報道の量は増え、クラス分けなど独特のルールなどが放送されたことにより、障害者スポーツの多様さにも触れることとなった。「信濃毎日新聞」では、きめ細かい取材をしており、今でも五輪、パラリンピックともに沢山の記事をWeb上で見ることができる。
またアイススレッジスピードレースに出場した土田和歌子ら、スター選手も現れるようになった。
(参考)
障害者差別とメディア(外部リンク)
朝日新聞論説委員(現・東京本社科学医療部次長) 高橋 真理子さん
わが国におけるパラリンピックに関する報道の内容分析(外部リンク、PFDファイル)