常盤中学校創立60周年記念式典祝辞
9月29日(土)、常盤中学校創立60周年記念式典が挙行されました。私は、次のような祝辞を申し上げました。(実際は、時間の関係で省いてご挨拶しました。)
常盤中学校創立60周年記念式典及び60周年記念誌の刊行、誠におめでとうございます。業田記念事業推進委員長さん、市ノ瀬校長先生を始め大勢の皆様に心からお祝いと敬意を申し上げます。
昨年の東海吹奏楽コンクールでの金賞受賞、本年の全国中学校体育大会での男子バレーボールの活躍は、60周年に華を添えるものでありますし、常盤中学校の総合力の表れであります。
昭和21年(1946年)に日本国憲法が、翌22年には教育基本法が公布され、同年須坂町立須坂中学校が設立されました。23年、須坂中学校は常盤中学校と相森中学校とに分離独立しました。
当時は、校舎もなく、満足な教科書もない状況で、不自由なことばかりでしたが、何かを求めようとする気持ちが学校全体に満ちていたとお伺いしました。
戦後60年を経て教育基本法が改正されるなど、子育てや教育をめぐり様々な議論が行われています。須坂市でも、「子どもは宝プロジェクト」を推進しています。
ハードでは小中学校の全面耐震改修、そしてソフトでは、乳幼児から中学生までの一環した子育て支援、補助教員の配置、AEDの教育機関への配置などを行っています。
しかし、一番重要なことは、常盤中学校創立当時の、地域と一体となった教育への理念、行動であります。
昭和から平成に、20世紀から21世紀に、次世代を担う生徒を鎌田山の麓で見守ってきた常盤中学校には、学校を愛し、学校運営に献身的な協力をしてくださった先生方や、ご家族、地域の皆さん、そしてここで学びあった多くの友だちの大切な思いが込められ、現在も息づいています。
今、常盤中学校では在校の先生、生徒の皆さんを中心に「カモシカ広場」の整備を進められています。植栽を始め、完成までには多くの方々の協力と年月が必要ですが、それだけ思いの深い公園となるでしょう。
明治神宮のうっそうとした森は、「須坂町公園設計案」を記され、鎌田山とも深い縁がある本多静六林学博士らが中心となって、百年後の完成を目標に、人の手によってつくられたものです。「ひとづくり」である教育もまた百年の大計であります。
中学生から成人までは、人生で一番多感で、一番多様な経験ができる時期です。「艱難辛苦、汝を玉にす(大変な苦労は、立派な人間に成長させる)」ということわざがあります。
常盤中学校の「登竜門」をくぐる皆さんには、夢に向かって、失敗を恐れず、困難にくじけず、ベストを尽くし、悔いのない人生を過ごしてほしいと思います。
そして友人と「切磋琢磨」した努力は、皆さんがこれからの人生を生き抜く、かけがえのない友情と糧になるものと確信をいたしております。
本多博士は、「須坂町公園設計案」のなかで、「鎌田山は、当地方眺望第一の公園である。其偉大なる景観は他に比すべきものがない程である」と述べられております。
須坂のまちを一望し、さらには千曲川、飯綱山、北アルプスを眺望する鎌田山の頂に立ち、抱いた希望を胸に未来へ羽ばたいてほしいと念願しております。
先日の「何でも鑑定団」で紹介された吉田博画伯の絵画も、鎌田山山頂から眺めた須坂市の景色でした。私は上京し、日比谷公園及び明治神宮の森を見るたびに、本多静六博士と須坂市の関係に誇りを持ちます。
時々、本多博士の「人生を成功させる12か条の秘訣」と、ただいま素晴らしい合唱をお聞かせいただいた校歌を思い出して下さい。
結びに、常盤中学校の更なるご発展を祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。
○ホルンとピアノの調べ
当日は、常盤中学校卒業生の世界的ホルン演奏者の水野信行東京音楽大学教授と、ピアニストの松岡美絵さんのコンサートがありました。在学生にはいい思い出になりました。
コンサートでは、S.ケーラー作曲の「1940,5,14 ロッテルダム」を演奏されました。これは1940年5月14日のナチス・ドイツによるロッテルダムの爆撃を主題にしたものとのことです。
水野さんは、後輩に「世界は一つ。世界平和を実現するため、引っ張っていく人になってほしい」との希望を託しました。
水野さんは、常盤中学校吹奏楽部時代の、恩師から言われた一言が音楽家への進路を決心したと述べていました。先生の影響力の大きさを感じました。
9月29日(土)、常盤中学校創立60周年記念式典が挙行されました。私は、次のような祝辞を申し上げました。(実際は、時間の関係で省いてご挨拶しました。)
常盤中学校創立60周年記念式典及び60周年記念誌の刊行、誠におめでとうございます。業田記念事業推進委員長さん、市ノ瀬校長先生を始め大勢の皆様に心からお祝いと敬意を申し上げます。
昨年の東海吹奏楽コンクールでの金賞受賞、本年の全国中学校体育大会での男子バレーボールの活躍は、60周年に華を添えるものでありますし、常盤中学校の総合力の表れであります。
昭和21年(1946年)に日本国憲法が、翌22年には教育基本法が公布され、同年須坂町立須坂中学校が設立されました。23年、須坂中学校は常盤中学校と相森中学校とに分離独立しました。
当時は、校舎もなく、満足な教科書もない状況で、不自由なことばかりでしたが、何かを求めようとする気持ちが学校全体に満ちていたとお伺いしました。
戦後60年を経て教育基本法が改正されるなど、子育てや教育をめぐり様々な議論が行われています。須坂市でも、「子どもは宝プロジェクト」を推進しています。
ハードでは小中学校の全面耐震改修、そしてソフトでは、乳幼児から中学生までの一環した子育て支援、補助教員の配置、AEDの教育機関への配置などを行っています。
しかし、一番重要なことは、常盤中学校創立当時の、地域と一体となった教育への理念、行動であります。
昭和から平成に、20世紀から21世紀に、次世代を担う生徒を鎌田山の麓で見守ってきた常盤中学校には、学校を愛し、学校運営に献身的な協力をしてくださった先生方や、ご家族、地域の皆さん、そしてここで学びあった多くの友だちの大切な思いが込められ、現在も息づいています。
今、常盤中学校では在校の先生、生徒の皆さんを中心に「カモシカ広場」の整備を進められています。植栽を始め、完成までには多くの方々の協力と年月が必要ですが、それだけ思いの深い公園となるでしょう。
明治神宮のうっそうとした森は、「須坂町公園設計案」を記され、鎌田山とも深い縁がある本多静六林学博士らが中心となって、百年後の完成を目標に、人の手によってつくられたものです。「ひとづくり」である教育もまた百年の大計であります。
中学生から成人までは、人生で一番多感で、一番多様な経験ができる時期です。「艱難辛苦、汝を玉にす(大変な苦労は、立派な人間に成長させる)」ということわざがあります。
常盤中学校の「登竜門」をくぐる皆さんには、夢に向かって、失敗を恐れず、困難にくじけず、ベストを尽くし、悔いのない人生を過ごしてほしいと思います。
そして友人と「切磋琢磨」した努力は、皆さんがこれからの人生を生き抜く、かけがえのない友情と糧になるものと確信をいたしております。
本多博士は、「須坂町公園設計案」のなかで、「鎌田山は、当地方眺望第一の公園である。其偉大なる景観は他に比すべきものがない程である」と述べられております。
須坂のまちを一望し、さらには千曲川、飯綱山、北アルプスを眺望する鎌田山の頂に立ち、抱いた希望を胸に未来へ羽ばたいてほしいと念願しております。
先日の「何でも鑑定団」で紹介された吉田博画伯の絵画も、鎌田山山頂から眺めた須坂市の景色でした。私は上京し、日比谷公園及び明治神宮の森を見るたびに、本多静六博士と須坂市の関係に誇りを持ちます。
時々、本多博士の「人生を成功させる12か条の秘訣」と、ただいま素晴らしい合唱をお聞かせいただいた校歌を思い出して下さい。
結びに、常盤中学校の更なるご発展を祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。
○ホルンとピアノの調べ
当日は、常盤中学校卒業生の世界的ホルン演奏者の水野信行東京音楽大学教授と、ピアニストの松岡美絵さんのコンサートがありました。在学生にはいい思い出になりました。
コンサートでは、S.ケーラー作曲の「1940,5,14 ロッテルダム」を演奏されました。これは1940年5月14日のナチス・ドイツによるロッテルダムの爆撃を主題にしたものとのことです。
水野さんは、後輩に「世界は一つ。世界平和を実現するため、引っ張っていく人になってほしい」との希望を託しました。
水野さんは、常盤中学校吹奏楽部時代の、恩師から言われた一言が音楽家への進路を決心したと述べていました。先生の影響力の大きさを感じました。