(やさしい経済学)危機・先人に学ぶ ハーバート・サイモン(1) 閉塞 打破するには 東京大学教授 松井彰彦
日経120320
サイモンは1916年、米ウィスコンシン州ミルウォーキーの賃貸アパートで生まれた。父はドイツの大学で電気工学を学んだ後、米国に移住したユダヤ人技術者であった。米国ではごくありふれた中流階級の移民の子だったのである。
サイモン少年は幼いころから賢く、3年半も飛び級した。年齢の高い子どもたちが同級生だったこともあり、けんかは極力避けていたらしい。「戦って逃げる者は生きて再び戦える」というアメリカ独立戦争時にゲリラとして戦った将軍の言葉を守っていたという。
一方で討論が得意で、米国で盛んなディベートでは周到に準備した「証拠」に立ち向かえる相手はいなかったという。ただし、このディベートで少年が学んだことは「論理で相手を打ち負かしても相手の意見を変えられるわけではない、ということ」(自伝「学者人生のモデル」)であった。人間はそれほど合理的ではないというサイモンの思想に通底する人間の限定合理性に少年時代から気づいていたのかもしれない。(→カーネギーの「人を動かす」に通じている。)