三木正夫 好きです須坂! がんばろう!

信州須坂から徒然なるままに様々なことを書き記してまいります。

須坂市メールマガジン2005年5月6日から東山魁夷画伯詩碑除幕式  馬車よゆっくり走れ

2013年05月06日 | Weblog

東山魁夷画伯詩碑除幕式

 5月25日(日)に、東山魁夷画伯の詩碑完成除幕式が、信州須坂町並
みの会主催、須坂市の後援で、蔵の町並みの入り口になる横町中央交
差点付近のポケットパークで行われました。東山画伯の奥様、
すみ夫人もご臨席下さいました。
 除幕のあと、須坂市出身のチェロ奏者、宮澤等さんの指揮でメセナ
ジュニアオーケストラが、東山画伯がお好きだったモーツァルトの
「アイネ・ハイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏して下さいま
した。(文化会館附属のジュニアオーケストラがあるのは、県内では
須坂と伊那だけです。)

「馬車よ ゆっくり走れ!」について、東山画伯は、同名のご著書で
次のように書かれています。


 ティルの寓話

 メルンはエルベ・リューベック運河に沿う古い町で、いくつもの小
さな湖と深い森に囲まれた美しい環境に在る。
 ティルの像がこの町にあり、ティルの話の一つに、こんなのがある。
 ある朝、馬車を走らせて田舎道を進んでくる人がある。よほど急ぐ
とみえて砂塵を立てて走ってきた。道端にいたティルの前で馬車が止
まり、
「次の町まで何時間かかるかね?」と聞く。
 ティルは馬車の様子を見て答える。
「そうさね。ゆっくり行けば4、5時間だね。急いで行くと、1日がかりかね」
「人を馬鹿にするな」と、男は怒って馬に鞭を当て、前よりも早く馬を
走らせた。
 2時間ほどで馬車の車が壊れ、次の町へようやく辿り着いたのは真
夜中だった。

 また、東山画伯は、詩碑の建立に際して次のような文章を頂戴しました。


 馬車よ ゆっくり走れ!

 この言葉は、私がドイツ留学中に聞いた言い伝えによるものです。
この寓話の解釈については、人それぞれでしょうが、この世の中の、
すさまじいまでの急速な変化に対する警告と云うべきものではないで
しょうか。
 馬車はある節度を持って走っていれば問題はないのですが、四六時
中、猛スピードを出して走り続ければ、やがて車輪がはずれたり軸が
折れたりして、取り返しのつかないことになってしまうでしょう。
 この須坂市には、他の処では失ってしまったものが、数多くまだ残
っていると聞いております。一つの特色ある街として人間のぬくもり
の在る家並みを大切に保存して戴ければ、たいへんに嬉しいと思いま
す。
 目新しいものを創る努力を、古くて伝統あるものを保存する努力に
置き換えて、市民の皆様方の気持ちが一つになって、盛り上げて行っ
て戴ければと願っている次第です。(建立のしおりから)

 私は、以前から絵画とともに、東山画伯の温かさと生きる喜びを感
じさせるお言葉が好きでしたので、引用させていただきました。

 詩碑建立の経過は、次のとおりです。平成8年、江波戸昭明治大学教
授から、奥様のご遺言によってボランティアで活動している町並みの
会にご寄付をいただいた際に、市制施行40周年記念に東山画伯の詩碑
を建立したい意向を江波戸教授に申し上げると樺山武弘様を紹介いた
だきました。
 樺山様は、ヨーロッパの民族音楽を通じて東山ご夫妻とご交誼をも
っておられ、仲介の労をおとりいただきました。その結果、東山ご夫
妻から「馬車よ ゆっくり走れ!」のご提案をいただきました。建立募金
活動では、市民約500余名のご協力をいただきました。
(建立のしおりから)

 式典のあと、須坂クラシック美術館で茶話会が開催されました。最
初に、樺山武弘様から、東山ご夫妻は、チャリティーコンサートでご
依頼があればチケットを手配したにもかかわらず、わざわざご応募さ
れてきたことや、やすらぎを感じる音楽をお好きでいらっしゃるとい
うお話をお聞きし、娘さんの樺山晶子様がヨーデルやカウベルの演奏
をして下さいました。

 その後、画伯を偲んで座談会が開催されました。すみ夫人からは、
好きだった信州の山々の延長としてドイツへ留学されたこと、美術も
音楽も言葉を必要としないという話をお聞きしました。

 松本猛信濃美術館長は、ヨーロッパでは建物の外観を共有財産とい
う考え方で守っている、須坂は文化を大切にするまちで画伯の作品や
心を理解していただける、複合的な文化、ローカルな文化が大切であ
るということを話されました。

 樺山様は、いいまちにいいものが収まった、歴史のよさ、無垢のよ
さが大切と話されました。

 岡信孝画伯は、荒れていたクラシック美術館が市民の協力でよみが
えったことに触れ、須坂には文化を大切にする土壌があると話されま
した。

 青木廣安先生は、画伯が須坂駅で降り、万座で「山谿秋色(さんけ
いしゅうしょく)」を描かれたことを紹介されました。青木先生は、写生
の場所を探し回って発見し、画伯をご案内したそうです。
(谿とは「たにがわ」の意味です。)
 
 すばらしいコンサートとお話であり、もっと大勢の市民の方にお聞き
いただければよかったと思いました。

 すみ夫人には、前日24日には、須坂版画美術館、世界の民俗人
形博物館を、25日はクラシック美術館をご熱心にご覧いただきました。
 松本館長、樺山様には、開催していました「町並みフェスト2005」
をご覧いただきました。ボランティアの方々が活き活きと活躍されて
いる姿に感心をされていました。

(エピソード)
 私は、昭和63年に作成した第2次長野県総合5か年計画「ロマンと
創造力あふれる美しい長野県をめざして」の担当係長で、表紙をどう
するかで悩んでいました。
 東京に出張した際に、偶然東山画伯の展覧会が開催されているデ
パートの前を通りかかったので寄ってみました。その時に展示されて
いた「緑響く」を見てひらめき、東山画伯にお願いして使用させてい
ただきました。
 何回か色校正をさせていただきましたのも懐かしい思い出です。
 表紙は、全国一だとも言われました。
  「山谿秋色」と「緑響く」
   http://www.npsam.com/collection/kai/top.htm

 ご著書「馬車よ、ゆっくり走れ」の中に、「歩み入る者にやすらぎ
を、去り行く人にしあわせを」という言葉があります。
 これは、ドイツを旅した時にローテンブルクの城壁に刻まれていた
言葉を東山画伯が翻訳・紹介したものです。
 長野オリンピックの前には、「歩み入る者にやすらぎを、去りゆく
人にしあわせを」の気持ちでお客様をお迎えしようと言っていました。
スペシャル・オリンピックスの年に除幕式をしたことに縁を感じました。

 また、山口村の閉村日(2月12日)に「東山魁夷心の旅路館」を訪
ねました。東山画伯が東京美術学校在学中、夕立にあった際に思
いがけない温かいもてなしを受けたのが縁で建てられた美術館です。
「歩み入る者にやすらぎを、去りゆく人にしあわせを」の実例であり
ます。次のHPに東山画伯ご自身によりそのエピソードが掲載されて
います。
 http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/museum/kaii/profile.html

 ホテルオークラに、ノーベル賞作家川端康成さんが「歩み入る者に
やすらぎを、去りゆく人にしあわせを」が「オークラの心、精神」だ
と言って、直筆の書を贈呈したそうです。ホテルオークラの創始者・
大倉喜七郎氏の父で、実業家であった大倉喜八郎氏と越寿三郎氏
とは、大倉製糸須坂工場で社長、副社長の関係でした。

 須坂市立博物館のステンドグラスは、当時「大倉製糸須坂工場」に
あり、外側には桑の木と桑の葉が、その中に繭玉と蚕の卵、その中の
明るい部分には糸枠と大倉家の家紋である五階菱が、中央には
大倉喜八郎氏が受章した勲四等旭日小綬章がデザインされています。
 須坂市立博物館
 http://www.nises.affrc.go.jp/pub/silkwave/silkmuseum
    /NSSihaku/sihaku.htm

 大倉喜八郎氏の出身地新潟県新発田市と須坂市は、紫雲寺町が新発
田市と合併したことにより友好都市となりました。連想ゲームのよう
ですが、縁の不思議さを感じさせます。


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