三木正夫 好きです須坂! がんばろう!

信州須坂から徒然なるままに様々なことを書き記してまいります。

嬉しい年賀状   「本多静六・日本の公園を育てた人」

2008年01月12日 | Weblog
嬉しい年賀状   「本多静六・日本の公園を育てた人」

本多静六林学博士の縁戚にあたる遠山益お茶の水女子大学名誉教授さんから次のような嬉しい年賀状を戴きました。
『今年度は「本多静六・日本の公園を育てた人」を出版の予定です。
「臥竜公園」を20~30頁にわたって、大きくとり上げます。もう原稿はできています。』

遠山益先生は、「本多静六・日本の森林を育てた人(実業之日本社)」を出版されていますが、この中でも臥竜公園に触れて戴いております。

「本多静六・日本の森林を育てた人」(実業之日本社)
[日販MARCより]
今、脚光を浴びる「蓄財の神様」として知られる本多静六の、林学者としての業績をまとめた初の評伝。近代日本の知られざる偉業に、歴史・自然科学の両面から光を当て、今日的意義を考える価値ある1冊。

また、須坂市及び臥竜公園が遠山益先生により紹介されています。
本多静六通信第15号  P7からP9
http://www.town.shobu.saitama.jp/honda/thusin/15/15.pdf    
から以下引用です。
(以下引用)
本多静六の名を知らないのは、普通の現象であろう。本多の生まれ故郷に隣接した都市の市役所職員数名に尋ねたところ、本多の名を知る人は一人もいなかった。以下に述べる例は、むしろ例外なのかもしれない。
長野市と千曲川をはさんだ隣接の小都市に須坂市という魅力的な町がある。須坂のキャッチフレーズは糸の町、蔵の町、臥竜がりゅう山の町である。明治維新以来、日本の近代化を支える程繁栄した須坂の蚕糸業で、町全体活気に満ちていた。その時代市街地にある臥竜山を公園化することになって、本多はその設計を担当した。臥竜山は美しい樹幹の赤松林で、これらの自然を生かし、麓には大きな竜ヶ池を掘り、その周囲には桜を植栽するという計画である。園内の桜は約八百本、当時植栽した桜は樹齢七十年を超えている。当然、日本桜の名所百選に選ばれている。
須坂市民は挙こぞって臥竜公園を誇りとし、これを愛し、護り、育てる気風に溢れていた。
それゆえ、これを設計した本多静六の名も広く知られていた。これら市民に支えられる限り、臥竜公園の名はこれからも汚されることはないだろう。因に三木正夫市長の名刺の表面には、満開に咲き誇る臥竜公園の桜が、裏面には名勝臥竜公園(本多静六博士設計)とある。

本多静六と臥竜公園
臥竜公園は、長野県須坂市にある公園で、大正年5年(1926年)本多静六により設計されたものである。設計案の中で本多は、公園整備の必要性について、都市では自動車等の交通機関や工業の発達により、人々の生活は人工的・機械的となり、塵埃と喧騒のため不健康の状態に陥っている、それを改善するには公園が必要で、公園のない街に住む人は、窓のない家に住むのと同じである。衛生上大害があると述べている。また、地方都市において公園を整備することは、都市としての発展を促すばかりでなく、地方文化の普及・発展にもつながるものだといっている。
次頁の写真は、臥竜公園の造成中及び完成後の写真である。
(以下略)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。