昨9日の長崎平和式典、被爆者代表の井原東洋一(いはらとよかず)さんの「幼い頃、神の国日本、欲しがりません勝つまではなどと教えられて過ごした私は、相次ぐ空襲に逃げまわり、防空壕で息を潜め・・・」で始まる「平和への誓い」に耳を傾けました。
井原さんは9歳の時に被爆し戦後71年間、核兵器廃絶の実現を訴えてきたお一人で、「広島に歓迎されたオバマ大統領は、空から死が降ってきた、と叙情的に表現されましたが、広島のウラン型原爆に対して、長崎にはプルトニューム型原爆が投下されたことから、私には、二種類の原爆による実験ではなかったのかとの思いがあります」・・・。さらに「非核三原則を法制化し、近隣諸国との友好交流を発展させ、北東アジアの非核兵器地帯を創設することにより、はじめて平和への未来が開けるでしょう」と・・・。
そして式典に参列したアベ首相を前に「国会および政府に対しては、日本国憲法に反する、安全保障関連法制を廃止し、アメリカの核の傘に頼らず、アメリカとロシア及びその他の核保有国に核兵器の“先制不使用宣言”を働きかけるなど、核兵器禁止の為に名誉ある地位を確立されることを願っています」と、一昨年の被爆者代表の城臺美彌子(じょうだいみやこ)さん共々、力強い訴えが心に響きました。
(写真はwikiから借用)
米国による2種類の原子爆弾の投下で発生したキノコ雲、左が広島で右が長崎です。当時、長崎市の人口約24万人のうち、原子爆弾「ファットマン(Fat Man)」で約7万4千人が死亡し、広島と合わせて21万人以上の尊いいのちが失われました。この“絶対悪”を風化させることなく、せめて8月だけでも次世代へ語り伝えてゆかなければと思います。
ところで福島第一原発事故による汚染水は、未だにコントロールされるどころかトンでもないことになっています。汚染水処理の現状で、トリチウムという放射性物質については全くなすすべがないまま、いずれは海へ流すということになるそうで寒気がしてきます。
また放射性物質を原子力発電所まるごと石棺で封じ込める方法について、チェルノブイリの場合には地下の構造物はまだ壊れずに維持されていたので地上だけに石棺を作れば済んだが、福島の場合にはもう地下がボロボロに壊れているので石棺で封じ込めができないようです。
元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生は「これだけ酷いことをやっても、誰も責任を取ろうともしないし、処罰もされないという、こんなことが起こり得るんだろうかと思うようなことが今起きている」と、金儲けのための原発再稼働への警鐘です。今、日本人は戦争への道と同じく原発事故も、もう一度痛い目に合わなければ分からないところまできているのではと痛感するこの頃です。
小出裕章ジャーナル http://www.rafjp.org/koidejournal/no155/