青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

包帯をしています

2009年01月07日 16時24分02秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 同情を買いたくてお話しするわけじゃありませんが、
 現在、私の手は包帯でぐるぐる巻きになっています。
 私は肌が弱く、特に空気が乾燥する秋から冬にかけては、
 あちこちに「あかぎれ」ができてしまうのです。
 おそらく手を使わない日はこれから3か月、包帯をして治癒します。


 で、ここまでは前置き。


 この「手荒れ」、昨日に始まった話ではありません。
 もうここ5年以上の長い付き合いです。

 そんな私が、判断を誤って、
 数年前に手を酷使する職業を選んでしまったことがありました。
 それだけではありません。
 職業そのものも厳しく、一年間で無数の人が辞めていくような職場だったのでした。

 私自身、本当にバカだったと思います。


 ☆ ☆ ☆


 で、そんな職業を続けているうちに、
 現在とは比較にならない位、手が荒れてしまったことがありました。
 具体的には、手を曲げるたびに血が出てしまい、
 逆に手も曲げられないほどに皮膚が固まってしまった個所もあった位でした。

 ここまで荒れると、心配をしてくれる人が出てきました。
 これはこれで、ありがたい話でした。
 中には「手荒れが酷いから辞めたらどう?」と言ってくれる人もいました。


 でもね、結局は辞めてしまったんですが、私の中での理由は違うんです。

 体だけでなく、厳しい職場環境に気持ちも負けてしまったからなんです。
 また、たかだか手が荒れたぐらいで辞めるのは責任放棄だと思うのです。
 気持ちがついていかなかったからなのに、「手荒れ」という理由で辞めるのは問題のすり替え以外の何物でもない、
 私はそう思ったんですね。


 だから、気力が戻った現在、
 環境は違いますが、手荒れ程度のことに、私は負けません
 これは自信を持って言えます。


 包帯を巻くとどうしても目立ってしまいますが、
 同じように手荒れする体質の人、
 構ってちゃんになりたくない人、
 共に頑張りましょう。

ニュースの読み方・その2

2009年01月07日 01時07分02秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。


 いきなり結論から入りますが、
 「〇〇というのは悪い(or良い)」とする記事には、
 「〇〇の中には◎◎もあれば■■もある」という思考力を奪ってしまう効果があるものだと知っておいて下さい。

 これについては、いくつも例があるんです。


 で、そうだなあ、長い話になりますが…

 「道路特定財源」って言葉、覚えてます?
 簡単に説明すると、
 これは主にガソリン代に上乗せして政府が徴収しているお金のことで、
 このお金を使って、道路を整備しよう、という制度があるんです。

 ところが、「どうやら必ずしも財源が適切に使われてないんじゃないか」ということで、
 昨年、与野党で揉めに揉めて、この制度がなくなったり、
 そしてまた復活したりしました
 (知らなかった人、これでおりこうさんになりましたね、笑)。

 でも、私は思ったんです。
 「道路特定財源」制度のお金で作った道路の中には、
 本当に必要があって作ったものもあれば、
 全く無駄じゃないか?という印象を受けるものもあるわけです。
 与野党がやり合って議論がされたのはいいことですが、
 制度がいいか悪いかという点で衝突してしまったのは勿体なかった、と思います。
 どちらの意見にも、正しい部分と少しずれている部分があるからです。
 「道路特定財源」の使い方にもいろいろとあるわけで、
 制度そのものがいいとか悪いとか、一緒くたにぶった切るような判断をしようとすることは、私には疑問でした。
 また、制度そのものの善し悪しについて、
 煽るような表現を使った報道もあり、感心はできませんでした。

 だから、いきなりバッサリと白黒つけるのではなく、
 例えば上乗せする分を減らしたりとか、
 ベストではなくても何かベターな結論は出なかったのかな、というのが私の考えでした。


 ☆ ☆ ☆

 最近で言えば、とうとう派遣労働の問題が炎上しかかっていますが、
 派遣労働を経験した私からすれば、
 同じ派遣従業員でも、様々な方々がいると断言できます。
 具体的には、本当に家計が火の車で、自立して生きていくために必死に仕事をしている方々もいれば、
 何かの片手間にやっている方々もいます。
 なにしろ、様々な条件の方々が働けるのが派遣労働の側面なので、
 様々な方々がいるのが当たり前なのです。

 ところが、「派遣労働者が…」という記事を見ると、私が悪いのかもしれませんが、
 あたかも派遣労働をやっている人がみんな苦しんでいるような印象を受けてしまうことがあります。



 ☆ ☆ ☆



 だから、「〇〇は▽▽だ」という、断定調のニュースは、
 勇気を持って、

 「〇〇は100%、▽▽なのか?」
 「〇〇っていうけど、その中にもいろんなケースがあるんじゃないの?」

 と、一呼吸して、頭で少し考えながら読むのがいいと、
 私は思います。
 いきなり「善し悪し」を見るのではなく、
 「どうしていいのか」、「どうして悪いとされてしまうのか」を考えること
 ただ文字を追っているだけでは、ニュースを見ているのではなく、
 ニュースに見られてしまっていることにしかなりません。
 そうでないと、世の中で起きていることを、本当に知っていることにはなりません。



 ちなみにこれ、ニュースだけの話じゃありませんよ??

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