青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

ブログを3倍おもしろく読む方法

2009年01月12日 22時48分32秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。


 最近、たまに「あー、ブログやってんですか!
 URLを教えて下さい!!」って言われたりするんですが、
 残念、あんまり教えてません。
 結構、思い付きで書いているので、
 「んー、悪口じゃないんだけど、例えばあの日の記事を読まれたら気分を悪くされるかも…」とか、
 あんまりいい予感がしない場合が多いんですよ
 (考え過ぎ…ですかねえ!?)。

 その一方で、いろんな人から尋ねられることで、
 勉強になったりもするんです。




 勘の鋭い方はおわかりでしょうか。
 私は、尋ねてくれた人になったつもりで、自分のブログを読んでみるんです。
 そうすると、良くも悪くも、
 自分のことが客観的に見えてきます

 もちろんこれは、自分のブログだけでなく、
 誰かのブログ、ひいては文章、作品に応用できることです。


 ちなみに、私が「〇〇になったつもりで」読む場合、
 尋ねてくれた人の他にも、
 ・憧れの人(「好きな人」じゃないですよ!)
 ・以前の職場の方々
 ・友人
 こんな具合に、沢山の妄想(?)をしつつ、読んでみたりもします。


 自分のブログでやると少し怖いですが、
 まあ、それも含めて楽しいし、勉強になるのかな、と思ったりもするのです。

正しい姿勢

2009年01月12日 22時32分02秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 「俺はどこの世界でも上手くやっていく自信があるぞ!」っていう、
 めちゃくちゃ威勢のいい人って、いるじゃないですか。
 私はまあ、老け込んでいるつもりはありませんが、
 「適性」ってものの大きさに泣いてきた人間なので、
 こういう話には少し疑問を感じます。

 しかし、納得できる部分があるのもまた、正直なとこなんですね。


 ◎ ◎ ◎


 これは結局、感じ方の問題…、かもしれませんが、
 私はいわゆる「上手くいっている人」と会うと、
 ・挨拶や礼儀がしっかりしている
 ・何事も誠実にこなしていく
 ・笑顔が素敵で、暖かい雰囲気を作るのが得意
 ・聞き上手で、安心して話ができる
 ・とにかくマメ
 など、折り目の正しい生き方をしているなあ、
 こんな印象を持ちます。


 逆もしかり、です。
 平気で遅刻をしたり、
 礼儀に疎かったり、
 人の気持ちを考える努力をしなかったり、
 こういう人って、やっぱりなにかしらの苦労をしている、
 もしくはしてしまう気がします。


 ◎ ◎ ◎

 要は、正しい姿勢を学ぶことが、まずは基本だと思うのです。

 どんどん上手くいっている人を、お手本にしていきたいです。

やっぱり不器用なんです

2009年01月11日 16時10分31秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 上手くはないかもなー、と思います。

 私のブログのことです。


 「なるべくわかりやすい表現で書こう」、
 「後味が悪くなること以外は正直に綴ろう」、
 「一読してもわからないような内輪の話は書かないようにしよう」、
 一応、こんな気持ちでは投稿してるんです。

 だから、あまり構成とかは考えず、
 思いのままに書いていたりするんですよ。


 でも、誰かが読んで、本当にわかりやすい文章か、
 話題にしたいことや意見がずれていたり、論点のすり替えになったりしてないかと振り返ると、
 うーん、と思ってしまいます。


 だからまあ、時間ができた時なんかはログイン→推敲→ログアウト→見直し→ログイン…という具合に、
 振り返ってみたりもしてるんです、実は。


 ブロガーの皆さん、同じ気持ちの方がいたら嬉しいです。

「優しい恋人」なんていません。

2009年01月10日 18時41分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 よくある話ですが、特に女性が言う、
 「彼は優しいから好き」って言葉、あるじゃないですか。
 これ、「優しいから好き」って気持ちを放置しとくと、
 だいたいろくなことがないと思います。


 ☆ ☆ ☆


 まず、「優しい」ってなんだ?という所から、お話ししていきます。
 いろいろと考え方があると思うのですが、「優しい」というのは
 ・めったに怒らない
 ・ニコニコしていることが多い
 ・話を聞いてくれる
 ・自分の意見を理解してくれる
 ・わがままを通してくれる
 ・包容力がある
 ・励まし上手
 …といったあたりが相場ではないでしょうか。

 でも、こういうのって私から言わせれば




 自分の意見や主張がない




 だけの場合もあるんじゃないの?って、
 指摘(ツッコミ)を入れたくなったりするんですよ。


 例えば、そうだなあ…、

 私がそうなんですが、両親とあんまり仲がよくないとするじゃないですか。
 でも、親戚の前とか、例えば「とりあえずまあ、両親とは仲は悪くありませんよ」という空気にしたい時、
 波風を立てないように適当に優しくしてしまうはずなんですよ。

 で、恋愛もこれと同じなんです。
 極端な例を出しましたが、
 相手が嫌いとかいうレベルまでいかなくても、
 とりあえず「無条件に」優しくしてしまう場面って、
 実は結構あるのではないでしょうか。

 「好きな人と一緒にいるんだから当たり前でしょ?」と言われてしまうかもしれませんが、
 果たして本当に当たり前なのか、私は疑問に思います。
 好きな人だから、なんでも優しく感じてしまうだけなのかもしれません。
 「どうして優しくしてくれるのか」まで考えている人は、
 意外に少ないのではないでしょうか。


 ☆ ☆ ☆

 要はこの「優しい」っていうのがくせ者で、
 なんとなく「優しい」という言葉で気持ちをごまかしているだけみたいな場合って、
 往々にしてあるのではないでしょうか。

 「不細工な相手には、とりあえず「優しい」と言っておけ」という言葉がある位です。
 相手の本当の姿を真剣に考えず、
 正面からぶつかりもしないで「優しい」だなんて言うべきではないて思います。


 本当に優しい人っていうのは、
 甘えさせてくれるわけでも、緊張感がないわけでもなく
 「相手の存在を本当に大切だと思って行動できる人」ではないでしょうか。
 「本当に優しい人は強さを兼ね備えている人だ」とは、まさに正しい言葉だと思います。
 「優しい恋人」なんて、当てにするもんじゃありません。


 以上、個人的なグチもあって、長くなりました、笑。
 私は「とりあえず優しい人」なんかにはなりたくありません。
 現在、特別な相手がいるわけではありませんが、
 勘違いされて、めちゃくちゃ悔しかったのでした。

包帯をしています

2009年01月07日 16時24分02秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 同情を買いたくてお話しするわけじゃありませんが、
 現在、私の手は包帯でぐるぐる巻きになっています。
 私は肌が弱く、特に空気が乾燥する秋から冬にかけては、
 あちこちに「あかぎれ」ができてしまうのです。
 おそらく手を使わない日はこれから3か月、包帯をして治癒します。


 で、ここまでは前置き。


 この「手荒れ」、昨日に始まった話ではありません。
 もうここ5年以上の長い付き合いです。

 そんな私が、判断を誤って、
 数年前に手を酷使する職業を選んでしまったことがありました。
 それだけではありません。
 職業そのものも厳しく、一年間で無数の人が辞めていくような職場だったのでした。

 私自身、本当にバカだったと思います。


 ☆ ☆ ☆


 で、そんな職業を続けているうちに、
 現在とは比較にならない位、手が荒れてしまったことがありました。
 具体的には、手を曲げるたびに血が出てしまい、
 逆に手も曲げられないほどに皮膚が固まってしまった個所もあった位でした。

 ここまで荒れると、心配をしてくれる人が出てきました。
 これはこれで、ありがたい話でした。
 中には「手荒れが酷いから辞めたらどう?」と言ってくれる人もいました。


 でもね、結局は辞めてしまったんですが、私の中での理由は違うんです。

 体だけでなく、厳しい職場環境に気持ちも負けてしまったからなんです。
 また、たかだか手が荒れたぐらいで辞めるのは責任放棄だと思うのです。
 気持ちがついていかなかったからなのに、「手荒れ」という理由で辞めるのは問題のすり替え以外の何物でもない、
 私はそう思ったんですね。


 だから、気力が戻った現在、
 環境は違いますが、手荒れ程度のことに、私は負けません
 これは自信を持って言えます。


 包帯を巻くとどうしても目立ってしまいますが、
 同じように手荒れする体質の人、
 構ってちゃんになりたくない人、
 共に頑張りましょう。

ニュースの読み方・その2

2009年01月07日 01時07分02秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。


 いきなり結論から入りますが、
 「〇〇というのは悪い(or良い)」とする記事には、
 「〇〇の中には◎◎もあれば■■もある」という思考力を奪ってしまう効果があるものだと知っておいて下さい。

 これについては、いくつも例があるんです。


 で、そうだなあ、長い話になりますが…

 「道路特定財源」って言葉、覚えてます?
 簡単に説明すると、
 これは主にガソリン代に上乗せして政府が徴収しているお金のことで、
 このお金を使って、道路を整備しよう、という制度があるんです。

 ところが、「どうやら必ずしも財源が適切に使われてないんじゃないか」ということで、
 昨年、与野党で揉めに揉めて、この制度がなくなったり、
 そしてまた復活したりしました
 (知らなかった人、これでおりこうさんになりましたね、笑)。

 でも、私は思ったんです。
 「道路特定財源」制度のお金で作った道路の中には、
 本当に必要があって作ったものもあれば、
 全く無駄じゃないか?という印象を受けるものもあるわけです。
 与野党がやり合って議論がされたのはいいことですが、
 制度がいいか悪いかという点で衝突してしまったのは勿体なかった、と思います。
 どちらの意見にも、正しい部分と少しずれている部分があるからです。
 「道路特定財源」の使い方にもいろいろとあるわけで、
 制度そのものがいいとか悪いとか、一緒くたにぶった切るような判断をしようとすることは、私には疑問でした。
 また、制度そのものの善し悪しについて、
 煽るような表現を使った報道もあり、感心はできませんでした。

 だから、いきなりバッサリと白黒つけるのではなく、
 例えば上乗せする分を減らしたりとか、
 ベストではなくても何かベターな結論は出なかったのかな、というのが私の考えでした。


 ☆ ☆ ☆

 最近で言えば、とうとう派遣労働の問題が炎上しかかっていますが、
 派遣労働を経験した私からすれば、
 同じ派遣従業員でも、様々な方々がいると断言できます。
 具体的には、本当に家計が火の車で、自立して生きていくために必死に仕事をしている方々もいれば、
 何かの片手間にやっている方々もいます。
 なにしろ、様々な条件の方々が働けるのが派遣労働の側面なので、
 様々な方々がいるのが当たり前なのです。

 ところが、「派遣労働者が…」という記事を見ると、私が悪いのかもしれませんが、
 あたかも派遣労働をやっている人がみんな苦しんでいるような印象を受けてしまうことがあります。



 ☆ ☆ ☆



 だから、「〇〇は▽▽だ」という、断定調のニュースは、
 勇気を持って、

 「〇〇は100%、▽▽なのか?」
 「〇〇っていうけど、その中にもいろんなケースがあるんじゃないの?」

 と、一呼吸して、頭で少し考えながら読むのがいいと、
 私は思います。
 いきなり「善し悪し」を見るのではなく、
 「どうしていいのか」、「どうして悪いとされてしまうのか」を考えること
 ただ文字を追っているだけでは、ニュースを見ているのではなく、
 ニュースに見られてしまっていることにしかなりません。
 そうでないと、世の中で起きていることを、本当に知っていることにはなりません。



 ちなみにこれ、ニュースだけの話じゃありませんよ??

血液型信仰

2009年01月06日 23時02分24秒 | 雑感、雑記
 こんばんは。



 どうやら、日本では「血液型」に性格や気質の傾向も求める文化が、
 依然として強いようですね。
 …ですが、私は、そんなものはあんまり気にしたことがありません。


 私はなぜかよく「A型」に間違えられるのですが、
 どうやら「0型」のようです
 (親がとんでもない人なのか、教えてもらったことがありません。
 調べようかと思ってます)。


 もちろん、統計的なデータがあってこそ、
 血液型で人を判断するようなことがあるのかもしれませんが、
 私はやはり、「お遊び」で留めておくべきだと思います。


 考えてもみて下さい。

 私はあんまり詳しくありませんが、
 例えば「0型」は、血液型診断では「おおらか」とされるようですが、
 一方で「だらし無い」イメージも根強いなど、
 全ての血液型には長所と短所がある、ということのようです。
 …ということは、「血液型」という極めて種類の少ないもので、
 無意識にしろ、勝手に先入観を作ってしまう
 こんなことをされて、果たして嬉しいものでしょうか。
 いい部分だけだけならまだしも、悪い部分もあるのであれば、
 血液型で誰かを見たり、
 逆に誰かのちょっとしたことを捕らえて血液型を決めつけたり、というのは良くないと思います。
 こんなことをする位なら、
 どーんと自分の五感で、相手を知ってみたほうが何倍もいいと私は思うのです。


 もちろん、「血液型の話題」は、
 自分なり、誰かなりを知ろうという気持ちがベースにあるからこそなのだと思います。
 しかし、血液型が気になり、それに囚われ過ぎて、
 ありもしない先入観を作ってしまうと、
 逆に相手を見誤ってしまうことになりかねません



 こういう理由で、私は、
 血液型はあんまり気にしないのです。

雇い止めの話

2009年01月05日 19時41分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。


 日比谷に派遣の労働が行き渡らない方々が集まっている、という報道がされていますね。

 これに対して、インターネットや友人の声を拾うと、
 ・彼らの自己責任だ、甘えるな!
 ・負け組を大量生産した政治が悪い!
 ・勝手に人を集めて後は政府に丸投げだと、ふざけるな!
 ・憲法にもある生きる権利をどう思ってるんだ!
 ・弱者は彼らだけじゃない、彼らを救済する税金には、真面目に税金を払ってる低所得層のものも入っているんだぞ!
 ・結局、どんな社会なんだよこれ!
 …と、様々な意見が聞かれます。

 私自身、日雇い労働というものを経験しているので、
 正直なところ、私はどんな意見でもそれなりに納得できてしまいます。


 …ただし。
 同じ日本人である以上、「文句の言い合いで終わる」のだけはやめてくれと思います。
 政治を見れば「与党の無策だ、野党の失策だ」とやり合い、
 労働者同士でも、身分や環境によってわざわざ敵味方を作り、
 結局、前向きな結論を出そうとすることに労力を使っていないと思います。
 また、喧嘩みたいなことをしているうちは、
 まだ余裕はあっても危機感がないのかな、こんな印象を受けます。


 〓 〓 〓


 私の経験で言えば、ある仕事をして心身共に完膚なきまで潰され、
 働く自信が全くなくなり、
 ニート寸前になりました。

 で、始めたのが日雇いの仕事でした。

 その時の気持ちを、つい昨日のことのように覚えています。


 「お願いします。お金が必要なんです。能力はありませんが、仕事を下さい!」


 もちろん、相手は派遣会社です。
 人間をまさに物のように扱う人も、はっきり言っていました。
 でも、初めて勤務をして、わずかながらもお金をもらった時、
 素直に嬉しい、すがすがしい気持ちになったことも事実です。


 〓 〓 〓


 こんな話をなんで挟んだかというと、
 要は「歩み寄ってみてはいかがですか」と、私は思うからです。
 労働意欲がない人が集まっているわけではないだろうし、
 どの業種、どの企業もみんな人がいっぱいだ、なんてこともないと思います。


 私はドシロウトだし、無責任なことは申し上げられません。
 しかし、まだまだ工夫の余地はあるのではないか、
 そんな期待を持っているのも事実です。


 どちらの肩を持つつもりはありませんが、前向きなニュースが流れてくる日を待っています。

年賀状

2009年01月05日 19時11分49秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 昨日がクリスマスカードだったので、
 きょうは、年賀状の話をしたいと思います。


 私は写真を撮るのが大好きなこともあり、
 ここ4年、ずっと「写真年賀状」にしています。
 それだけ力を入れて、もらった人が感動できるものを届けたいと思うのです。

 しかし、ある年に、年賀状の到着が遅れたことがありました。
 それて、「こんなに力を入れたのに!」と思ったんですよ。



 でもね、イライラしているうちに、
 相手が喜んでくれたかより、年賀状が来たかどうか、っていう考えになってしまえば、
 誰も幸せにならないんじゃないか
 こんな疑問が浮かんでくるわけです。
 ああ、手段と目的を履き違えているなって。


 年賀状に限らず、贈り物は、
 冷たい言い方をすれば本来は自分の勝手で出すものです。
 好意・善意の押し売りはいけないと知りながら、
 贈り物に力を入れた時ほど、それを忘れてしまう経験
 皆さんはありませんか?


 「無償の精神」は、言うのは簡単でも、実行するのは難しい、
 それが例え年賀状であっても忘れてはいけないと思います。

クリスマスカード

2009年01月04日 19時09分52秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 もう過ぎた話かもしれませんが、
 2008年の冬、私はクリスマスカードを送りました。


 普段は「ありがとう」と伝えづらい人、
 感謝の気持ちをストレートに表したい人、
 喪中で年賀状が失礼になってしまう人、
 主に、こういった方々に、送付させていただきました。


 別に受け取った人が幸せになればいいや位のつもりで、
 お返事や反応はなくてもいいつもりでしたが、
 メールで2通、葉書で1通、お返事が返ってきました。



 なんかこう、好意は表す側も受け取る側も、
 どちらもあったかい気持ちになるいい例だと思います。

 次は暑中見舞いになりそうですが、枚数をもっと増やしてもいいかな?という気持ちになりました。

バイバイバースデイ

2009年01月03日 00時59分58秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。



 もう少しで私の誕生日です。
 毎年のように書いているんですが、身を切り刻まれるように非常に辛いです。

 理由は、3つ。
 ・これでまた一つ、歳を取ってしまう
 ・一年間、なーんの努力もしてこなかった後悔をまじまじと感じる
 ・生きてきた時間ほどの価値のない人間になってしまった

 だから、できればお祝いなんてしないで欲しいのです。
 私を祝う位なら、その分で他の人をハッピーにして欲しいのです。


 特に、「努力」の部分。

 私自身、表情に喜怒哀楽が顕れやすいので、
 昔っから「努力している人」と思われがちなのですが、
 実際はとんでもないろくでなしです。
 第一、努力を努力と思わず、
 努力していることも忘れてしまう位、当たり前に努力していたいと思うのです。


 ただ一年間、生きてきただけで祝われてもなんにも嬉しくありません。
 赤ちゃんじゃあるまいし、いちいち立ったり歩いたりして誉められて喜ぶ大人がいないのと同じように、
 ただただ生きているだけの人間を誉めたり祝ったりする必要が、どこにあるのでしょうか。


 ☆ ☆ ☆


 こんな絶望感に苛まれるからこそ、
 誕生日というものを、私は前向きに考えたいと思うのです。
 「こんなにどうしようもない人間を、一年間ずっと見守ってくれてありがとう」、
 これを繰り返しくりかえし、感謝する日にしたい
 私はこう思うんですね。

 誕生日が嫌いな方の参考になれば幸いです。


 私にとって、祝われないことこそプレゼントなのです。
 一人で適当に、こっそりケーキでも食べますから、そっとしといて下さい。

2009年の抱負!?

2009年01月02日 07時09分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。


 恐ろしいほどの新年モード、
 私はこういうの、嫌いです。

 それで、よく「2009年の抱負は?」という質問もあるわけですが、
 こんなのも意味がないと、私は思います。


 逆に言っちゃえば、「あと364日したら息切れしまーす」って、
 宣言しちゃってるようなものだからです。
 私の意識では、既に「2009年12月」の気持ちでいます。
 それぐらい、時間というものはあっけなく過ぎていくと、
 得体の知れない危機感を感じているんです!


 だから、正しくは、ちょうど区切りを過ぎたわけだし、
 これから巻き返したり、勝ち続けていくにはどうしたらいいか考えることが、
 大事なのではないかと感じます。


 特に、自分に対しては、
 新年だからと言って手加減しないように頑張ります。

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